パチンコの原点

今年も1年が暮れようとしています。毎年おなじみの大晦日投稿であり、紅白歌合戦を見ながら最後の記事投稿作業を始めたところです。記事はだいぶ前から書き始めておりますが、その日の心理状況をありのままに伝えるためには、最後までどういう表現が良いのかを思案するのが常です。確か2014年頃東京オリンピックの開催が決定したと思いますが、その時の本音は「自分生きてるかな?」ということでした。いつ死んでも良いという心の準備はできつつあります。2018年の4月8日には人生で初めて九連宝燈を和了しましたし、その年の11月3日には四暗刻、緑一色というトリプル役満和了という大願を成し遂げまして麻雀への未練は一切なくなりました。2019年の6月29日には大好きなチン・セヨンさんにお会いできたので、もうこの世に思い残すことはないでしょう。マンションから持ち家に引っ越したことも、精神的な安堵を得ることにつながっており、お金に対する執着心は残すことではなく今の家族を守ることにシフトしましたので、FXやら株式投資などには興味がなくなってしまいました。それよりも気になるのは私の記事を読んでいる方がパチンコで勝てているか否かですね。

 

今年も1年間「土日パチンカー」の記事更新にお付き合い頂いて有難うございます。パチンコビレッジにおける日記のコーナーがどんな役割を果たしているのだろうかと考えることはよくあります。元々業界人向けの情報提供サイトでありますから、個人の日常生活の暴露というものはあまり意味がないものかもしれません。一般のパチンコユーザーにとっては知名度の低いネット媒体だと思いますが、土日パチンカーという言葉で検索すると、一発でここにたどり着いてしまうものですから、サングラスの兄ちゃんとか例の二人組みの遊技客に見つかったらどうしよう?って思いながら戦恐々としつつ記事を更新してる日々であります。いつだったかサングラスの兄ちゃんが「土日パチンコ」という言葉でネット検索したけど見つからなかったという話を聞いてドキっとしたことがありました。土日パチンコではここにたどり着けないけど、土日パチンカーならここにたどり着いてしまう。両者の線引きがもたらす不思議な出会いは、貴方と私との間に縁があったか、縁がなかったかということなのでしょうね。(※今は土日パチンコでも検索できるようになってしまいました)。膨大な情報量があるネット社会のパチンコというカテゴリーの中で、私の記事を選んでくれた方には何かと縁を感じますね。これからもどうぞよろしくです。
 
 
 
初回投稿から6年半。土日パチンカーという看板にそぐうような内容を目指して記事の掲載をやってきましたが、私が土日パチンカーという立場で遊技できるのはあと数年しかありません。引き受けた時点でかなりの年齢だったし、そこから6年半も経つとどうなるかってのは明白。あと数年で定年退職なので、ここでの記事掲載についても是非を問われるでしょう。サラリーマンではなくなった人間が土日パチンかーと言えるのでしょうか?甚だ疑問ですし定年を過ぎると平日パチンカーになってしまうので、今まで書いてきたこととは真逆のお話もせねばなりません。現時点でさえも、私の記事を読んでいる人がいるのか否か不安なのに、定年を過ぎた高齢者の記事を読みたいと思う人がいるでしょうか?従いまして、いつまで続けるのかという問題が視野に入ってきましたが、この件につきましては私の一存では決められないので、社長が辞めろと言った時が辞める時ということでご理解願います。私自身は死ぬまで現役を貫くつもりですが、それが人様に提供できるような実践内容かどうかは別のお話。土日パチンカーに代わり定年パチンカーとなる日はすぐそこまで来ています
 
2019年の大トリはパチンコの原点と題してお送りします。最後までお付き合い下さい。
 
今日は何故私がパチンコにのめりこんだのかという事から始めてみたいと思います。本格的にやるようになったのは大学に入ったときからですが、その下地は高校時代にありました。坂出高校に通った時代の1年と2年の2年間、学校帰りにいつも立ち寄っていたのが坂出駅近くにあるゲームセンター。そこでフリッパーと呼ばれるゲームマシンに夢中になりました。一般的にはピンボールっていうんですけど、右手で玉をはじくとパチンコ玉とは逆方向に発射された玉が関門ゲートをくぐり抜けて落下してきます。これをフリッパーと呼ばれる左右のハネで拾ったり、打ち返したりするわけですが、狙い定めたところに玉を打てるかどうかで得点が大きく左右されます。 穴に入れる。ゲートを通過させる。突起物に当てられるかどうかは、すべて遊技者の技術次第です。得点を重ねていく過程で、いくつかの条件をクリアするとエキストラボール(再ボール)、エキストラゲーム(再プレイ)のチャンスが生まれます。狙い通りに的を当てるとパチン、パチン、パチン。エキストラゲームを獲得した音が高らかに鳴り響きます。この音を聞くのがたまらなく好きだった。        
        
        
フリッパーは1ゲーム3ボール制で、玉が左右のアウトレールを通過するか、ど真ん中のアウトゾーンを通過するとロス。再ボールはゲーム内で1個追加。再ゲームはゲーム終了後に3個追加ですが、共に複数獲得OKなので、腕次第では僅かなゲーム代金で何時間も遊べます。学校が終わって駅まで直行すれば3時40分の汽車に間に合うけれど、いっつも3本くらいは遅らせて帰ってましたね。因みに当時の通学路線には電車というものがなくて汽車です。とんでもない田舎なのでした。坂出から乗って端岡という駅で降りるけど、いつも一緒の福井君がひとつ手前の国分寺駅で降りるので、彼を見送ってから家に帰るというのが慣わしでした。        
        

        
        
讃岐国分寺(第八十番札所)        
        
       
聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺の中で、当時の原型がそのまま残ってる数少ない貴重なお寺です。友人の家が国分寺の近くで、私の家はそれよりもちょっとだけ東に行ったところ。まあ大体坂出と高松の中間地点で、坂出駅からは20分程度の道のりでした。クラブ活動もやらずに、毎日夜の7時くらいにならないと帰宅しないので、さぞかし家の人間には私の行動が奇怪に映ったことでしょう。勉学に励んでいるから遅くなってんだなと思ってたらしいのですが、ほぼ毎日仲の良い福井君とフリッパー三昧ですから話になりません。福井君も私もかなりの腕前でしたから、私等がゲームセンターに入って遊技を始めると、何人かのギャラリーが集まってきます。毎日来てるからコイツら上手いんだというのは知れ渡っています。フリッパーはど真ん中に玉が落下してくると大ピンチです。こんな時は、一瞬で右に寄ってるか左に寄ってるかを判断し左か右に揺らしながらフリッパーを動かします。あまり強く揺らすとブザーが鳴り響いて電源が落ちてしまいます。チルトエラーです。従ってこんなときはエラー寸前のギリギリまで揺らしてフリッパーの先端に玉を当ててロスを防ぐのです。左に右にパチンパチン。右よりなのか左よりなのか、ほんのちょっとの判断でも狂えば玉はロスしてしまいます。神業でしたね。「オオオオオーーーーっ」。フリッパーさばきがギャラリーを沸かせます。        
        
        
気持ちいいですね。私も福井君もハイスコアを塗り替えるのが趣味でしたから、毎日記録の更新目指してレッツゴー三匹でした。ところがこの頃ゲームセンターに一大革命が起こりました。インベーダーゲームの登場です。フリッパーは実際の遊技球を飛ばしてターゲットを狙い打つアナログのゲーム機ですが、インベーダーゲームは液晶画面内で操作するだけなのでどちらかというとデジタルゲーム機でした。ピシュッピシュッピシュッ!名古屋打ちという攻略方法が日本全国に広まりまして、インベーダーゲームはフリッパーに取って代わり世の中を席巻し始めました。私等が通っていたゲームセンターでも、徐々にフリッパーは廃れインベーダーゲームをやる人ばかりになったんですけど、私と福井君は相変わらずフリッパーしかやらなかったですね。モニターに映し出される敵を相手に戦うよりも、実際のボールを的に当てるゲームの方が楽しかったんですね。        
        
        
 アナログのゲーム機=フリッパー        
デジタルのゲーム機=インベーダーゲーム        
        
アナログの遊技機=パチンコ機        
デジタルの遊技機=パチスロ機    
    
        
        
インベーダーゲームが出てもそれに見向きもせずフリッパーに拘り続けた自分の姿は、世の中の主流がパチンコからパチスロに移行してるのにパチンコに拘り続ける今の姿とダブリます。お前は年寄りだから、相変わらずパチンコばっかりなんだよって言う意見が多いとは思いますが、必ずしもそうではありません。高校生の頃から私はずっと「玉」が好きなのでした。玉を愛し続けるか、玉からコインにシフトするかの選択は人それぞれだと思います。結果として私は玉にこだわり続けた訳ですが、その素地は高校時代のフリッパーにありました。玉が動いて行く方向とか着地点を物理的現象として考えることが好きで、これはフリッパーもパチンコもかなり共通点があります。コインは球体ではなし、コインそのものが動いていく姿を楽しむものではないからつまらないと感じます。球体が作り出す奇怪な物理現象というものが味わえないから、この年になっても未だにパチスロに馴染めないということでしょう。        
        
        
        
パチンコを物理的な学問と捉えているのかも知れません。    
 
 
高校を卒業した私が玉にのめりこんでいく過程については、これまでにも何度か書いてきましたから今日は割愛します。大学時代は技術介入バリバリの環境で楽に勝てたパチンコが徐々に勝てなくなっていったのは、度重なるルール変更によるところが大きいのですが、制約なしに自由に遊技できた学生時代に比べて会社の休日だけでやるようになったという点も大きかったと思います。少しばかりの挫折を感じた私が思いついたのは釘調整というパチンコの原点に立ち帰ることでした。命釘しか見えてなかった学生時代のやり方では限界を感じていたので、一念発起して基礎的なことからパチンコを学ぼうということで本屋さんに行って釘調整に関する本を何冊か買ってきました。このとき買ったのは、吉田由紀雄さん著作の「パチンコで儲かるちょっと良い話」と「これで分かった!パチンコの釘調整」です。吉田さんは元々は釘師として長年玉ゲージとハンマーを握り続けた人でしたが、高年になってから全国遊技場経営釘調整専門学院を開校し理事長に就任しました。この人が書いた本を貪るように読んでパチ屋に出向いていくという日が続きます。デジパチが主流の時代でしたが、釘調整をマスターする為にはハネ物を攻略しなければ話にならんだろうということで1年間はデジパチを封印して、ただひたすら平台を打ち続けます。平台というのは、一攫千金タイプではなくて普通機と呼ばれるチューリップ物とハネ物の総称です。正村ゲージの遊技機は盤面の左側だけを見るけれど、まずは天釘に当たって跳ね返った玉が谷釘と風車にぶつかります。谷1本釘で玉が右に流れるか左に流れるかが決まります。寄り釘は全てバラ釘なのでここは釘師によって調整方法は千差万別です。遊技者目線としては最も看破しにくい調整箇所でしたね。        

 

 

風車回りの釘調整がハカマへの誘導になることは明確でしたし、風車は上向きになっていた方がハカマへ誘導されやすいのも明確。ハカマのズレと落としが鳴きに影響することも明確。ヘソの道が2チャッカーへの誘導釘になるし、その最終形である三角形の釘構成がここへの入賞を左右することも明確。出玉に影響する重要な部分は分かっていたつもりでしたが、いざ店に入って遊技台を見つめていてもその台の釘調整が良いのか悪いのかさっぱり分からない。そこで私は、打ち止めになった遊技台とそうじゃない遊技台とを見比べて間違い探しを始めす。複数台同じ機種が並んでいる中で、ひとつだけ打ち止めになる台がある。その台と隣の台とを見比べます。あっと思うほど明確に違う向きをしている釘があることに気がつきます。1台だけ見ていたときは分からなかった釘の微妙な向きが、見比べることで鮮明になるのです。

 

打ち止めになった台は、1本釘が左を向いている!
 
 
違いはたったこれだけなんです。寄りに関する釘が左を向くと玉は中央に寄ってくるけれど、その釘が右を向くと玉はアウト方向に流れてしまう。たったこれだけの違いで打ち止めになるのかならんのかという差が付いてしまうという現実を突きつけられて愕然とします。これが急所となる釘の存在に気付いた瞬間でした。釘師は全部の釘をいじってる訳ではなくて、この急所となる釘調整を柱にして出玉をコントロールする。無論これだけが釘調整ではないんですけど、急所となる釘の存在に気が付いたのは大きな収穫で、それ以降は打ち止めになった台と隣台との間違い探しをすることが楽しみになってきました。機種によって急所となる釘が違うからです。1年間もこんなことをやっていると急所となる釘はおろか、出玉を左右する釘の場所と向きがほぼ理解できるようになりました。オレはパチンコだけで一生メシが食っていける!。20代半ばのこと。
 

釘調整を理解した人間が、大きな収益を上げたのは一発台と権利物。クーデター、ツインズ、バレリーナは釘読みが巧拙の分けれ道となります。朝一番の台選びは宝探しのような感覚で、甘い台を探せる人間だけに与えられた特権の恩恵は莫大な利益をもたらしました。当時のパチプロと呼ばれていた人たちは、変則的な台の釘読みが苦手でしたね。勿論できる人も数多くいたとは思いますが、私が接するパチプロさんは一様に難しい機械の釘読みはできなかったのでライバル不在の不戦勝。いつも宝にありついていたので、年上のプロの方からどうしても急所を教えて欲しいと頼まれることもありましたが全てお断りしました。同業者には決して手の内を明かさないというのがこの時代の掟です。まだ独身の頃のお話でこの頃が最もパチプロになる可能性が高かった時期だと思いますね。当時勤めていた会社は一部上場企業ではありましたが、その実態は売上至上主義という名のもとに、営業マンを地獄の果てまで追い込んでいくブラック企業。給料が安い割に仕事は3Kだっので働く目的とか生きがいはありませんでした。そんな苦しい時期に、フルーツパンチやブラボーキングダムというパチンコの歴史に燦然と輝くような名機が出現したものですからたまりません。このまま社会人としてキツイ仕事を続けるくらいなら、いっそ好きなことして人生終えようか?心は揺れ動きます。
 

ブラボーキングダム登場のときが最も危なかったです。
 

単発回しをするだけで簡単に10万円勝てる機械。これがブラボーキングダムの正体で、この時代は本当にシャープを辞めてパチプロになろうかどうしようか随分悩みました。1992年~1993年頃のお話です。1991年の年末に生まれて初めてデータロボという機械を目にしたというお話は以前に書いたと思います。私が釘読みを始めたころから既にホールコンピュータというものは存在はしてたのですが、これが実際のホール営業に影響が出始めたのはもうちょっと後になってからのことで、ダイコク電機がデータロボをパチンコホールに持ち込むようになった頃から世の中が動き始めます。釘調整の難しいハネ物がパチンコホールの営業の中心から外れ、徐々に片隅に追いやられていきました。保留玉連チャン機とアレジンの登場で、時代は一気に射幸性能を求める機械だけにお客の心と財布が奪われるようになり、パチンコホールもまたそのような機械を中心とした営業にシフトします。元々釘調整の簡単なデジパチは釘師による高度な技術を求められないし、ホールコンピュータの導入によりスタートと利益の関係が数字で見えるようになると、釘師の行っていた仕事が如何に適当だったかが露見します。出た台だけを締めて、出ていない台の釘は据え置きという考え方は徐々になくなっていきました。釘は横並びで全台が同じスタート率になるような調整が求められる時代へと移り変わっていくのです。
 
 
釘師はもう必要ないんじゃないか?
 
 
ホールコンピュータの登場により、釘師が行っていた仕事は正しくないと証明されてしまったのです。釘師の行う仕事はいくら精度が高くても所詮人間の手作業なので、ホールコンピュータが示す数字には太刀打ちできません。これからは高い給料を支払って釘師を雇うよりも、自前の社員の手で釘調整を行った方が理にかなっている。1993年頃から釘調整を行う人間が、釘師から店員の時代へと急速に動き始めました。丁度私が会社務めからパチプロへと転身するかどうかの瀬戸際で悩んでいた頃とダブります。目で見て分かるようになったんですよ。釘調整が下手くそになったってのがね。たとえデジパチのような釘調整が簡単な機械でも、釘師がハンマーで叩いた遊技機と、店員が叩いた遊技機では何かが違う。メリハリがない?横並びの釘調整?何かが違うけど、明らかに違う。パチンコ台に心が灯っていない。パチンコ台の釘調整に疑問を感じるようになっていくのです。
 

パチプロになるか否かの線引きを考えてみましょう。
 
 
パチプロになる人は皆パチンコが好き。パチンコとかパチスロとかに関係なく、好きなことやってて暮らしていけるのならばそれで一生を終えたいということでなる人が殆どだと思います。今のご時勢では、これからパチンコ、パチスロで専業を目指すというのは非常に難しいと思いますが、私が彷徨っていた時代。1993年頃ならパチプロとなって生活を始めることはそれほど難しくはなかったですね。極端な言い方をすれば、努力すれば誰でもなれた時代でした。ならばパチプロにならないという条件も考えてみましょう。
 
利点
(1)好きなことやってて一生暮らせる。
(2)始業時間と終業時間がない。
(3)上司に指図されることがない。
(4)転居するのもしないのも勝手に決められる。
(5)ライバルが少ないのでパチライターの道が開ける
 
欠点
(1)目と耳を酷使する。
(2)実力がなければ生活が破綻する。
(3)社会保険全額自己負担(会社員なら半額企業負担)
(4)結婚するのが困難になる。
(5)子供に職業を聞かれても答えられない。
 

ざっと思いつくだけでも長短10項目が挙げられますが、この中で欠点の(3)が重要。案外軽視されがちなことですが生涯年収に大きな差が出ます。会社勤めをやらない人は、国民年金、国民健康保険に加入するかしないかは人それぞれのようですが、本来なら皆年金、皆保険ということで義務付けられている項目でしょう。パチプロんなって年金と保険の両方を支払うとなるとかなりの自己負担金額となりますが、企業に就職すれば会社が半額負担してくれます。しかも給料からの天引きなので、支払ってるという感覚さえ薄れてしまうという大変ありがたい制度です。独身であれば負担は自分に課せられる金額だけですが、結婚して子供を授かると負担は非常に重くなってしまいます。とってもじゃないけど家族3人分の年金と保険を支払っていくのは困難であり、これでパチプロ生活が破綻してしまうこともあると思います。20歳過ぎてから職に就いて40年くらい経つと1000万円くらい違ってくるんじゃないでしょうか。何もしないで1000万貰えるのと貰えないのは大違いです。ですから嫌々ながらも会社員としてまっとうに生きた方がお得なのです。それでも色んなハンディを乗り越えてパチプロ稼業を継続し、伴侶を見つけめでたく結婚したとしましょう。ここで一番困るのが子供が生まれた時のこと。自分の子供に、「パパの職業はなーに?」と聞かれた時に答えられない。現実問題として、パチプロになった時一番の苦痛がこれだと思います。
 
 
自分の子供に自分の仕事を暴露できないのは拷問です。
 
 
 
30歳前後の頃会社を辞めてパチプロになろうかどうか悩んでいましたが、いろいろ考えた末に結局私はパチプロという人生を選びませんでした。その理由のひとつは上記に掲げたようなことがあるんですけど、決め手になったのは、こんな理由じゃないんです。釘調整の方法が横並びになったということ。そして釘師による調整から徐々にパチンコホールスタッフによる調整に変わったということ。この頃から私は、将来パチンコの釘調整はなくなるんじゃないのか?という不安と疑惑が付いて回るようになりました。この当時は、遊技釘は盤面に対して概ね垂直であることという規則内容は知りませんでしたし、保通協の検査を通すために意図的に小物入賞を増やして、店に入れてから営業できるような小物潰しをやる手法も知りませんでした。釘調整の是非にまつわる専門的な知識は全然知らなかったのですが、実際に現場で目にする遊技釘を見ると釘調整そのものがなくなるんじゃないだろうかという思いは強かったですね。メリハリの付いていた遊技釘の物理的形状が段々と台毎の差が小さくなっていったので、将来的にはこの差はもっと小さくなる=調整自体がなくなるという考え方でした。1993年頃から感じ始めたことが、そこから25年経った今現実のものとなるのです。これが私がパチプロを断念した一番の理由ですね。釘調整がなくなればパチプロ稼業は破綻する。釘調整がなくなるということが怖かったのです。
 
 
スタート勝ちから確率勝ちへと脳内革命
 
 
ホールコンピュータの浸透がひとつの契機だったと思いますね。釘師全盛の時代には、数字に現れなかったスタート率が、ホールコンピュータの出現によりパソコンのモニターに全て映し出されてしまう。今までお前らは何をやっていたのだ?そもそも論として高い給料を支払って釘師に任せていたのは、君たちが全台のスタート率を等しく調整できる能力があると思っていたからだ。それなのに何故台毎にこんなにスタートのバラツキがあるのだ?意図的に台毎に優劣を付けていた釘師の仕事に対する不満は決定的なものとなり、釘調整は大きな変革をもたらします。スタート至上主義を貫けるものなら貫きたい。されど時代は移り変わりつつあるし、本当に遊技釘そのものがなくなる日が来ないとも限らない。悩んだ私が次に考えたことは、確率勝ちできる人間を目指すということでした。大学時代にベーズの定理に出会い、確率統計学を学んでいた自分はパチンコの世界で確率勝ちを続けることが不可能ではないというのは何となくわかっていました。ベーズ統計学を追求していけば、パチンコで勝つための勝利の方程式を導き出すことができる!そのためにはまずは膨大な標本つくりが必要だったので、私が遊技した抽選回数や大当たり回数は全部記録を残すことにしたのです。遊技釘がなくなっても勝てる仕組みを作り出そう。そう思ってこれ以降25年もの歳月をかけてIDパチンコの研究にのめりこむのです。

 

元々は釘調整がなくなるという不安から始めたIDパチンコなのですが、それを加速させたのはタイホウ熱田店に行くようになってからですね。何故かというとこの店は、独自のタイホウ新聞を発行しスタート回数、大当たり回数などの情報を横並びで台番。縦並びで日毎1週間分のデータとしてお店に置いてあったからです。ホールコンピュータから得られた信号を元にしてホールスタッフが印刷してカタログ入れに置いてくれるんですね。サイトセブンに加入すればそんなもの要らないんですが、当時はサイトセブンのことを知らなくてただひたすらこのタイホウ新聞を毎日集めに行ってましたね。1週間分のデータが掲載されているので、毎日行かなくても構わないけれど必ず1週間以内にはデータを収集してパソコンに入力していました。大ヤマト2から始まって最後沖縄2、大海2辺りまで続いたこの記録は、当時主力として戦ってきた機種は全て1日たりとも漏らさずにエクセルに入力して分析する。このような分析結果を、朝の並びで1台おばちゃん達に話をしたものですからエライことになっていくわけです。エプロンおばさん、ヤンキーおばさん、サングラスの兄ちゃん、台どつく兄ちゃん。これらは みんな1台おばさんが命名したあだ名ですが、当然私にもその手の言い方がありまして、付いたあだ名が     

 

 

ミスターコンピュータ。     

 

 

 

まあ色々とやっかみとか妬みとかその他諸々のケッタクソない感情が入ってるのねとは思ったけれど、これを機にみんなが影でコンピュータ、コンピュータとか言ってるのを聞いて気分が悪くなったこともありましたね。1台おばさん曰く、「ええがや!サングラスの兄ちゃんよりよっぽどカッコ良い名前付けたったで」というのでまあそれはそうかも知れんねと妙に納得させられましてん。その後この噂が広まり、六の付く日と土日が重なるときには、70過ぎのおばあちゃん連中が私にまとわり付くようになっていったのは2年前に書いたとおりです。 

 

ミスターコンピュータ

 

 

 
自力回転数が60万回転のデータなので、総回転数では90万回転程度だと思いますが、ここまで標本を増やしても上が85.2で下が97.5ということで上下で13%位の差がついています。TSNO.1に輝いたのは738番台でしたが、この台こそが加藤さんが朝一10連チャンをかましたあと12000発くらいで止めたけれど、その後も続けざまに当たりまくって最終的には7万発の爆裂。上記の数字を知っておれば、迂闊には止められない台だというのは分かりますが、やっぱりTSNO.1に輝く台ってのは当たるときは凄まじい。753番と716番は一度も遊技経験がないけれど、クッソ回らないのはタイホウ新聞に記載されたデータで分かってました。当時のタイホウ新聞には島単位でのスタート率の順序が記載されてましたからね。44台島ですが、片方の22台分だけでスタート率1位から22位までを掲載してくれていたというスグレモノ。打つ人によってスタートはかなり変るけれど参考にはなりましたし、この情報は非常に有り難かったですね。

 

 

TSワースト1に輝いたのは733番台で、この台は私が宵越しで3600嵌りを食らった台であります。のっけからタチが悪くて手を焼きましたが、回りグセが良いので何度もトライして何度も痛い目に遭いました。771番はパチンコではこれが最大ともいえる48倍嵌りを食らった台でありまして、一時的には低確17000回転で初当たり23回しか引けぬという悲惨な負けっぷりを記録した台であります。777番台にも苦い思い出がありまして午前中に3万個の爆裂があったにもかかわらず、最終的には全飲まれ寸前まで落ち込むという大失態をやってくれたので、私の記憶にはしっかりとこのときの思いは刻まれています。後にも先にも3万個を全部ぶちかますという経験はこの台しかありません。756番もそれはそれは嫌な奴で何度か痛い目に逢いましたが、この台との思い出は前日の最終履歴が2000回転当たらずで、翌日が六番祭で打って出ると、この日も朝一から2000回転嵌りを食らってグロッキー。私が放棄したあと最終的には、宵越しで4500嵌りという見事な嵌りっぷりでした。こうして振り返るってみると、良かった台よりも悪かった台の思い出の方が圧倒的に印象に残ってますね。入替直後からこのようなバラツキは出てるんですけど、最初の2週間までは結構確率の逆転現象が見られるのですが大体1ヶ月くらいで数字が落ち着いて、上記のような上と下に分かれます。この時点で良かった5台はその後2年間経っても良いまんまだし、この時点で悪かった5台は最後の最後まで悪いまんま。つまり入替直後から数字を収集し始めて、最初の1ヶ月経過後に順列を付けておけば大体の戦略が立てられるということですね。もっと端的にえば上述した例では、738,757,727のローテーションだけで2年間乗り切れるってことです。

 
25年も前に私は今の状況を予見してました。
 
 
理由は異なるけれど、釘調整がなくなるという予見は当たりました。この時代は誰でもパチプロになれた環境でしたが、調整方法の異変に気付いていた人間はパチプロにはなっていないし、それに気が付かなかった人間だけがパチプロになりました。遊技釘がなくなるということが分かっていれば誰もパチプロになろうとは思わなでしょう。遊技釘が無くなるかも知れないという危機感は、私がパチプロへの道を進むことを立ちとどまらせたし、釘調整がなくなっても勝てるパチンコの研究を加速させました。それ以来ずっとIDパチンコを追及して来ましたが、最近になってようやく花が咲き始めたという実感があります。25年間も同じことを繰り返していると段々と正解に近づいていくようで、この4年間は本当に当たりっぱなしのパチンコ人生です。(1)ロープ・ア・ドープ、(2)1日1台、(3)先行逃げ切り。バクチで勝つためには姑息な手段も必要なので、色んなことを書いてきましたが結局それを実現する為の肝はIDパチンコなんだろうなというのが実感です。来年からは、物理的条件の違いだけじゃなく、IDパチンコにも触れる機会があれば良いなあと考えてはいますが、何分にもこの件は賛否両論であり、ブログ炎上の危険性をはらんでおりますので忠実に描写することは不可能。ごく一部だけの部分的な表現にとどまるべきと考えています。
 
 
ただ単にパチンコの勝ちを目指すのであれば、こんなとこ来る必要はないでしょうね。腕の良いパチプロさんが書いた文章を読むのが良いと思うし、技術介入バリバリの説明文を読んだほうがよっぽど為になるかと思います。もう私は技術介入という点では、絶対に置いてきぼり食らってるのでそのような解説文章を書く資格はありませんね。今年は冬ソナの止め打ちをやってるとき感じましたけど、技術介入で若い人には勝てません。冬ソナの電サポ開放は規則的ではないし、高速パカパカに目が付いていかない。最初は全然ダメで玉を減らしっぱなしだったんですけど、慣れてくるとようやく微増水準までは到達しましたが、上手い人ならT1Y1550まで玉を増やしてしまいます。驚きました。自分が打つと1450~1470が限界だったのに、隣の若いお兄ちゃんが1550まで増やしてるのを見て私にはもうこの世界で戦うのは無理だなと自覚しました。海物語のように一定の間隔による開閉なら問題ありませんが、不定期開閉なら今の若い人には太刀打ちできないでしょう。私が止め打ちで良い思いをしてきたというのは大抵は定期開閉の遊技機ばかりで、暴れん坊将軍(2代目)、七人の侍、水戸黄門(2代目)なので今みたいに高速パカパカには対応できてません。ここ最近は止め打ちして玉が増えると一発で店員さんが飛んで来るので止め打ちそのものにやる気が出ませんし、自分自身が320海中心の稼動に切り替えたものですから、変則的な止め打ち機に対する対処能力は全く低いです。従ってここはパチンコが上手い人向けの場所ではないですし、パチプロさんが訪問するような場所でもありません。パチンコが下手な人に集まってもらいたいと強く願う場所です。高度な技術がなくても、ちょっとした釘読みさえマスターすれば勝っていけるということを目的とした記事の公開であり、養分と呼ばれるような人達が読んだときにお役に立てる内容を提供することを心がけていきたいですね。
 

6年半、養分の為にという思いで書いてきたと思います。
 

パチンコビレッジは業界人向けのサイトであり、一般受けしないのは承知の上で記事投稿を引き受けたつもりでしたが、予想以上に一般受け悪いのねって思ったのが最初の年でした。知名度の低さが致命的なのか、私が投稿する記事の内容が致命的なのかは分かりませんが、兎角反応が何もないので色々と工夫してきたと思います。2年目からはエンターティメントを意識するようになりましたが、それでも反応の悪さは変わりないですね。今までに投稿してくれた人の内容は全部覚えていられるほどの数ですから話になりません。紙の媒体ではパチンコ必勝ガイドという雑誌が不動の地位にありますけど、ネット媒体ではパチンコに関する媒体は星の数ほど氾濫しているのでどれが不動の地位かといわれると微妙です。確かにパチンコホールの検索という観点ではP-Worldが不動の地位でしょうけど、「読む」ということに関してはここは極めて低レベル。それ以外にも有名なネット媒体も存じ上げておりますが、それを皆が知っているかといえばそんなことないと思います。パチンコビレッジという固有名詞を知っているという日本人だってアンケートを採るとかなりの少数派だと思います。恐らくは0.1%以下?否もっと少ない?良く分かりませんがパチンコ必勝ガイドを知っている数と比較すると雲泥の差であることは間違いないでしょうね。もっと知名度を上げたいです。そうなるとgreen pinkさんの目にも止まると思うし、いつかは彼女からのコメントを頂きたいですね。8年も前の出来事なので、今ではもうパチンコの世界から離れているかもしれませんが、何となく1パチで思う存分遊技を楽しんでいるんじゃないかって想像してる。そんな彼女とはもう一度ネット上でやり取りしたいと強く願ってるし、彼女は表現の天才なので一度その文章を目にすれば虜になると思う。だからこのサイトはもっともっと有名にならねばならない。紙の媒体のディファクトスタンダードが必勝ガイドであるならば、ネット媒体のディファクトスタンダードはパチンコビレッジだと 言われるようになりたい。      
※de facto standard⇒事実上の標準
 
      

 

 

釘調整がなくなることは25年前に予見してました。
期待値至上主義を貫けるものならば貫いていきたい。
もスタート勝ちできる世の中はいつかは終わるのです。
そんな状況で我々に何ができるのですか?
IDパチンコの追及は間違いではなかったと言って下さい。

 
 
現在のパチンコホールには釘師と呼ばれる人は存在しません。
厄介な調整が求められるアナログ機は見捨てる時期なのです。
パチンコで勝つための方法論は変るでしょう。
釘調整以外で他人と差をつけることを考える。
パチンコで花を咲かせるのはこれからなのです。
 

原点はフリッパーにあります。たとえパチンコがどんな形になろうとも玉を愛することに変りはないし、例えパチスロを始めるようになったとしても、私がパチンコをメインに考えるってことには変りはないです。もっと早い段階。4号機の時代にパチンコからパチスロに転身した人は多いと思うし、それが器用な生き方かもしれないけれど私はそれを望まなかった。文句を言うのは筋違いだと承知してるけど、4号機時代にパチスロに手を出した人たちは真のパチンカーとは言わないと思う。真のパチンカーであるならば、どんな状況になっても玉を愛すると思うし、コインへの転身など簡単にはできないと思う。
 
 
それが私の生き方ですね。

 

 

 

 

 

 

コメント

  1. かなめ より:

    やはりあなたは私と同じようなパチンコ人生を歩んできたのですね。
    怖いくらい共通しています。

    若いころ調整釘の弱点を見つけた時の喜びを
    あなたの文章を見て思い出しました。

    羽根物なら風車上の釘と風車の向き(左向き)
    羽根の横の三角形の寄り釘の形(二等辺三角形左の2本の間隔)
    あとは役物の癖さえ覚えておけばほぼ100パーセント勝ててましたね。

    その後は一発台権利物も同様にどの釘が動けば勝てるか
    容易に判別できた時代がありました。
    常連さんたちとの交流も含めもっともパチンコが楽しかった時代ですね。

    釘調整がなくなるとは考えてはいませんでしたが、
    釘が見れることの優位性はなくなっていくのだろうなというのは
    あなたと同じように考えていました。
    そして最も私がパチンコに危機感を感じたのは1パチの登場でしたね。
    そのころから徐々に稼働を減らしていきました。

    たいていのパチプロが経験値でしかパチンコをとらえていなかった
    時代から数字やデーターを管理してパチンコに臨んでいた
    (私も似たようなデータを取ってました。今も保管しています)
    あなたがここまで生き残れていたことも、現在の打ち方も
    【(1)ロープ・ア・ドープ、(2)1日1台、(3)先行逃げ切り】
    十分に納得できますよ。

    私からパチンコに勝てない人に送れる言葉は『変化に気が付け』
    ですかね。

    まあパチンコやめた人間が言っても説得力がないでしょうけど
    あなたにならわかってもらえるかな。

  2. ゴーニィ より:

    かなめ様

     

    あけましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくです。

     

    本業の方が全く振るわず、ここ3か月間ずっと低迷しています。いつかは来るだろうと思っていた夜明けがいつまで経っても来ないので今は一番苦しい時期ですね。確率のバラツキに左右される人生は寿命を縮めるような気がしているこの頃です。

    私は貴殿のお気持ちは良く分かりますよ。変化に気づいても、それを肯定できない人達はホルコンと不正を論じるばかりです。1円パチンコの登場は本当に心を痛めたし、危機感を増幅させるような出来事でした。低貸し、パーソナルシステム。パチンコ本来の良さを根こそぎ奪い取るこの2つはいつかはこの世に登場しなければならなかった仕組みだと思いますが、人間が作った悪い仕組みは人間が正すべきとも言えます。

     

    然しながら貴殿はパチンコを止めたとは言っても、まだ戻るかもしれません。内心はいつかはホールに出る日が来るんじゃないかと思って心密かに応援しております。

     

    2020年も何なりと。言葉を発したいときにはここに来て頂きたいものです。

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