三洋

2011年の東日本大震災以来、この業界は悪化と劣化の一途を辿っています。

 

(1)2011年 東日本大震災
(2)2011年 出玉を期待させる広告の規制

(3)2012年 貯玉再プレイ手数料の禁止
(4)2014年 4月以降消費税率5%⇒8%
(5)2014年 ヘソの賞球1個OK
(6)2016年 ヘソの賞球4個以上
(7)2017年 パブリックコメントの受付
(8)2018年 規則改正のめり込み対策第2弾
(9)2019年 ヘソの賞球ゼロOK
(10)2019年 10月以降消費税率8%⇒10%
(11)2020年 コロナウィルスの流行

 

2011年以降はパチンコ業界に対して大打撃を与える事件が立て続けに起こっています。こうしてみると本当にこの業界は大変な時代を迎えたよなあと思うのですが、本日はその流れに対して逆行できなかったパチンコホールさんに対する思いを語ります。ええ、勿論パチンコ三洋のことです。割と最近になってからこのブログを読み始めた方には分からないかもしれませんが、当記事に最初からお付き合いして下さってる方ならばそれがどういう意味かは良く分かると思います。「土日パチンカー」ゴーニィとは三洋の直営店をアジトとして人間模様を描くことでした。お店ができたのは1974年らしいですが私がこの店の存在を知ったのは1985年ですね。従って35年もの長きに渡って何らかの関わりがあったということで思い出は沢山ありますね。元々ジジババしか来ないような客層だったから、このコロナウィルスのおかげで息を止められたのではないかと思っておりますが、業界全体としては上述したような逆境に次ぐ逆境だったわけで、この店に限らずパチンコホール営業はどこも厳しくなっていることは事実です。全11項目の中で遊技客にプラスに働いたのはヘソ4個賞球になったときだけ。それ以外は全部客にとって不利になるような出来事ですが、私自身が最も痛手を受けたのは2012年に実施された貯玉再プレイ手数料の是非でした。これには参りましたね。何故参ったかというと

 

貯玉再プレイ手数料の禁止
換金率3円⇒3.6円への以降
優良パチンコホールの終焉

 

タイホウ熱田店との決別を意味するからです。

 

貯玉再プレイの手数料が禁止されれば、この店が換金率3⇒3.6円になることは明白。ならばこの店が今後は1店舗固定打ちとして使えないお店になることは明白でした。予想通りの大劣化を遂げたタイホウ熱田店にはこの年の9月で見切りをつけ、私は100万個の貯玉を現金化してこの店との別れを告げました。無論貯玉を現金化するとかなりの玉価値相違による利益が出ますが、このときはそんなことはどうでも良かったです。そんなはした金など要らぬからタイホウ熱田店を返して頂きたい。

 

 

タイホウ熱田店
マリオン十番町店
キャッスル尾頭橋店

 

換金率3円の優良店は全て3.6円の悪行店に生まれ変わり、中川区一帯のパチンコ環境は激変いたしました。私が大好きな3円店を全て失うことになったのです。残ったのはタイホウ中川中野橋店ただひとつ。この店だけが3.3円として換金率据え置きで生き残りました。これからは中野橋をあてにするしか道がないのかということなんですけど、ここで大きな問題は私自身のヘタレ病でした。2011年にパーソナル店舗に切り替えたときに生じた早上がり、早止めは私にとっては深刻な問題でした。パーソナルシステムの欠点は持ち玉が常に表示されていること。プラスに捉える人もいるけど私にとってはマイナス。元々計数管理システムはパーソナル以外にも個別JCという形で20年くらい前から存在していました。私がパチンコ復帰を決めた2002年、桜山のダイマルでバトルヒーローを打ってたとき個別JCで遊技すると、いつもより止め時が早いなということに気付き原因を考えました。玉積みなら丼勘定で遊技できるけど、個別JCでは持ち玉がリアルに表示されていて、ワンプッシュ毎に玉が減っていく様子に耐えられないということで早く止めている。従ってこの頃から既に計数管理では客滞率が上がらないという傾向は出ていたのです。これはお店にとってもマイナスで、粘れるはずのお客様が粘れなくなると稼働を失う可能性が出てまいります。止めた後にすぐに客が座るような新台導入時期でない限り、稼働率は玉積みよりも下がるでしょうね。

 

タイホウ熱田店は玉積みだったけど

タイホウ中川中野橋店はパーソナルだった。

 

このことが一番の懸念点でした。2011年は本当におかしな年でした。6月に午前中で9万勝ったラブ嬢に味をしめて早く止めても勝つときは勝つ。ラクをして勝てるんだったらもう無理しなくても良いんじゃないだろうか?的な安易な思考回路が、その後の私の人生を狂わします。この年は一体何度あったでしょうか。自分がやめた後の爆裂が頻繁に目立つようになりました。特に酷かったのは佐武市で朝1回転目に当たった奴が17連したのにまさかの早上がり。ラブ嬢打ったのが6/5(日)でその次の週末に熱田店に佐武と市捕物控という変った蓮チャン機が入ったのでそちらで佐武市を朝一から遊技。このとき私の隣で遊技してたのがサングラスの兄ちゃんで、彼は私より後に来て隣に陣取るとなんと1回転目に激熱の島流しリーチ。これが見事にヒットして17連チャン。以降も右肩上がって終日3万個近い爆勝ちでした。サングラスの兄ちゃんの爆裂を尻目に私の方はどうだったかというと、終日嵌り気味で大して連チャンもせず35500円のマイナスでした。

 

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日記

 

SABUITI

佐部市2日間

 

土曜日大苦戦で翌日の日曜日にもう一度同じ台を遊技しに行きました。ここでの出来事は上述した画像の中に書いてある通り。当時の記録をそのまんま掲載しておりますが、この日はサンドエラーがあってワンプッシュしたにもかかわらず投資金額はゼロ円。その1回転目にまさか!昨日のサングラスの兄ちゃんと同じ現象が私の台にもやってまいりまして、朝イチ1回転目に島流しリーチがヒットして17連チャンするという奇跡が起きたのです。昨日の様子を見ていただけにこの17連チャンはなんとしてもデッカク膨らませて帰りたいところですが、昨日35500円も負けているということで、私はたった3000個投資するだけで席を立ちます。17連で16000個は5万円の勝ち。ここから13000個になったところで止めているのは、前の日に35500円負けていてそれが戻ってきたからにほかなりませんが、もっと深刻な問題は先週のラブ嬢早止めが頭にあったからではないでしょうか?この日は玉積み環境なのですが、もはや玉積みでもパーソナルでも早止めするような癖がついてました。下の画像はその1ヵ月後に中野橋店で遊技したもの。止めるはずもない展開で、早々と止めたのは何故?っていう特賞間回転数履歴です。

 

HAMASAKI

 

(1)ラブ嬢
(2)佐武と市捕物控
(3)浜崎あゆみ
(4)ピンクレディ
(5)銀河鉄道
(6)必殺仕事人Ⅳ
(7)柳生一族

 

2011年は遊技機としてはヘソキングから電サポキングに以降する転換期だったように思います。ここに掲げた(1)~(7)までは全て電サポ重視の台なので長時間遊技には不向きな台ばかりになってしまいました。機械が客滞率を取りにくい仕様になったことも一因ですけれど、それにしてもこの年は酷すぎました。何やっても勝ってるときは最後まで粘れず自分が止めた後は悉くばっくれつ。今まで経験したことのないような感覚を覚え、本当に深刻な病に陥ったという気分でしたね。ここまで早く止めるようになったのは、機械のせいだけではなくてパーソナルシステムが原因だ。従ってこの問題を何とかせねばならぬという課題に直面していたときに貯玉再プレイ手数料の禁止という悪魔の事件が起きるのです。手数料禁止が殆ど自分の遊技に無関係だったという人もいるかもしれませんが、そのような方は多分パチンコのことを何にも分かっちゃいないか、若しくは養分ど真ん中人生ですね。少なくともパチンコで勝とうとしているか、勝ち組みと言われるような人ならば事の重要性がわかって貰えるはず。ヘタレ病に陥り、自分が止めた後の爆裂が深刻な問題となる中で、着々と進むタイホウ熱田店時代の終焉。2012年の8月11日にこの店は換金率3⇒3.6円へ上昇。玉積みからパーソナルシステムへの以降。タイホウ新聞の廃止、大型液晶画面によるデータ表示の廃止。リニューアル後しばらくは良心の欠片を見せていた同店ですが、徐々に馬脚を現し始め9月の初旬には使えないお店に変貌。熱田を見限る事態となったその頃ひとつの光が差し込んでくる訳でございます。

※ヘソキング⇒通常当たりと時短である程度戦える台
※電サポキング⇒通常当たりの出玉と時短が極端に少ない台

 

パチンコ三洋との出会いでした。

 

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熱田を見限ったあとキャッスル尾頭橋店がリニューアルしたので遊技しに行ったときの実践結果です。おそまつくんのゲージが甘そうに感じたので手を出すと一瞬にして9万円の爆裂。味をしめた私は翌週も同じ台を打ったのですが、今度は一瞬にして6万円が溶けました。色々と楽しめる台なんですが、如何せん勝ちと負けが両極端。おそ松くんは好きな題材であり、演出もゲージも私好みなのですが358機はやりたくない。299機であれば割と勝ち易いスペックなので何とかなるだろうと思っていましたが、店は利益の取りやすい358ばかり買うので299は導入店舗が殆どありませんでした。P-ワールドで検索すると愛知県でただ1つだけだけ導入しているお店があったのですが、それがパチンコ三洋でした。そういう訳で2012年10月の第1週、おそまつくんのミドルを打ちに行く下調べのため東海市の三洋を訪ねました。

 

藍さんという人が出迎えてくれました。
運命的な出会いでした。

 

「このライターあんたのじゃないの?」と声を掛けられたのが新鮮な思い出として残っておりますが、その日はメインどころに199と299を4台設置しておりどう見てもスタートは7を超えるであろう釘調整。店の人間と「多分換金率低いよね?」。「そうね」っていうやり取りがあったと思うけど。「三洋の台しか打てんね」。「そうね」っていうやり取りがあったと思うけど、この日は換金率いくらってことは知らぬまま帰宅しましたが3円以下だろうなというのは分かりました。今どきこんな店があるのかって思いながらもその週末ついに朝イチからこの店に突撃すると、目当てのおそ松くんはメイン場所から1コースに左遷されしかも4台⇒2台に減台ということで面喰いました。何から何まで変わったお店でしたね。こんなことする店は滅多にないんですけど、釘はそこそこ開いてる感じだったので文句言わずに遊技するとこの日は終日打ってスタートは74.96で4万円くらい勝ちました。デラックス海物語が大盛況で、海を打つジジババで盛り上がる店ん中でただ1人冷静に勝てる島を分析する人間。メインは海だけど、勝てるのは雪物語。今日はおそ松くんを打ちに来たけれど、人気のない機械はすぐに撤去されそうだから最近入ったばかりの雪物語や大工の源さんもしばらくすれば撤去されると思う。結局この店は海のミドルしか大事にしないんだねっていうことで、IDパチンコが機能しない状況では勝ち難いと感じました。然しながら久しぶりにバカみたいに回る遊技台に直面し、30年くらい前に感じた昔ながらのお店。アットホームな雰囲気。フレンドリーな店員さんとの会話は確実に私の心をとらえ始めていました。嬉々として翌日もこの店を訪ねるのですが、昨日打った台はあっと驚くほどの締め。僅か1日打ったくらいでこの締めはないだろう?って思ったのは、自分が打たなかった奴は締まっていなかったから。肝のちっちゃい店やなと思ったけれど、客層を考えればさもありなんで、私みたいに1人の人間が終日ぶっ飛ばすというのは他の客では有り得なかったこと。私の行為はパチプロか?軍団の一味か?と思われても致し方ないこと。むしろそれほどまでに釘のアケシメに神経を尖らせているということは常時釘が動くということ。もしかしたらこの店は戦える店なのではないだろうか?光を感じた瞬間でした。

 

(1)低換金率でよく回る。
(2)回転率の良い台は三洋の台に限られる。
(3)ほぼほぼ海が中心の店である。
(4)サイトセブンには加盟していない。
(5)タイホウ熱田や中野橋よりも遠い。
(6)玉積みである。

 


長短両方ありました。タイホウ熱田や中野橋は家から6キロの距離。三洋は家から15キロの距離。こんな遠方まで行かなきゃならんのかっていう思いとサイトセブンが使えないので、ほぼIDパチンコは無理っていう事で一旦はこの店とは距離をおきます。然しながらパーソナルによる深刻なヘタレ病を克服するためには、まずは長時間稼動しやすい環境を求めないといけません。2012年はこのあとも中野橋で遊技を続けていましたが、例のヘタレ病は一向に直らずその年の年末についに決断するのです。

 


これからはパチンコ三洋をネグラにしよう。

 


こうして2013年の元旦からパチンコ三洋に鞍替えということになりました。ところが意を決して臨んだ元旦の日はまさかの店休み。元旦が休日とは知らなかったので、この年の1月2日から新しい門出となったのであります。当時のこの店はデラックス海物語が主流だったので、しばらくは大苦戦を強いられました。何せゲージの辛い機械で、回ると踏んだ台が全然回らなかったというのがしょっちゅうありましてこの年の1月から4月まではあんまり勝てていませんね。しばらくパチンコとは疎遠になりそうだなと思っていた矢先に「神のお告げ」がありました。パチンコビレッジで新規ライター募集のお知らせ。これは自分にとっては賭けでした。ライターのお仕事をやるのは自分の好みではないけれど、その当時の弱った心を叩きなおすには絶好の機会だと考えたのです。私が書いたパチンコの実践記録が公知になるのであればみっともないパチンコは打てない。以前の輝きを取り戻せるのではなかろうか?という切なる思いでしたね。元々パチンコの実践記録とか日記は毎週書いていたので、今までやってることを掲載するだけで良いということで迷いはなかったですね。ネタに困ることもないし、ネタは現場に落ちている。但しヒト様にお見せする以上は、長時間遊技した過程をお見せしたいということで、これを契機に麻雀格闘倶楽部をバッサリと止めてパチンコの活動に専念することにしました。三洋を好んで通ったのは低換金率、よく回るということが第一だと思うんですけど、最後に決め手になったのは

 

玉積みだったと思いますね。

 

上記掲載した浜崎あゆみは新台導入週。浜崎あゆみのパチンコ化ということで鳴り物入りでホールデビューを果たし、当時としてはモーニング娘に次ぐ歌モノということで話題性がありました。こういう状況で初めて打つときは大概稼動は伸びるものですけど、この日私は25000個に手が届くとあっさりと遊技台を放棄し家に帰りましたが、結果的には大失敗でその後も右肩上がり。今までなら絶対にこんなとこでは止めないだろうなというような特賞間回転数履歴ですがこの頃の私は本当にヘタレ癖がついてました。このままでは駄目だという危機感は相当強かったですね。ビレッジの募集があった時もこの店があったからこそまともな実践記事が書けると思ってたし、そうでなければ私はビレッジのライター募集には応募してないですね。当時の私はヘタレパチンコから脱出すべく相当の覚悟を持って記事投稿を始めたわけであります。パーソナル遊技で短時間稼動、止めた後の爆裂に悩みに悩んだ自分が求めたのは玉積みに戻すということでした。

 


軍団やパチプロさんは玉積みだろうがパーソナルだろうが関係ないというでしょうし、それが本筋なのかもしれないけれど私は玉積みじゃないと駄目ですね。止め打ちや期待値。仕事量。そんな言葉を並べ立てる文章は最初っから書くつもりはなかったし、第一そんなのは安田プロとか腕の良いパチプロさんにお任せすれば良いのです。自分みたいな土日ユーザーは、仕事量なんて言葉を使うのではなく簡単な止め打ちと敵手看破だけで、十分勝っていけるということをお伝えしたかった。勿論止め打ちはやった方が良いのですが、愛知県の場合は殊更技術介入に対して厳しいですし、三洋もニューギンもそういうのに厳しいですから、なかなかそれにフォーカスして文章を書くことはできなかったです。従ってパチプロさんが望んでいるような表現はほぼ使わなかったし、パチプロさんが望む方向には書いてこなかった。パチンコで一番勝つことに苦労してるのは、多分土日しか打てない人達だろうなということで「土日ユーザー」にフォーカスを当てました。これが不満で文句を言ってくる専業の方が多数おられましたが、趣旨が違うよってことを理解していただくにはなかなかしんどいと思ったので全部削除しましたね。因みに仕事量という言葉は誤解を招くので絶対に使わない方が良いです。一般的に仕事量と言われれば力学的エネルギーか電気的エネルギーを連想します。決してお金を意味する言葉ではありません。

 

力学的エネルギーならF=ma (質量×加速度)
電気的エネルギーならE=QV(電荷量×電圧)
仕事量というのはエネルギーの大きさを表す言葉なので、パチンコに用いるのは不適切です。

 

そんな訳で2013年と2014年はパチンコ三洋でしか遊技していないのですが、僅か2年間の間で色んな人たちとの出会いがありました。軍団はエクセル含めて3つくらいのグループがいましたけれど、その中でも最も凌ぎを削ったのが山本さんを頭とするグループ。この人たちとはどれくらい同じ島にいたかなあなんて考えるんですけど、3連休の最後が月曜日の時は必ず競合してたし、それ以外の週末でもかなりの割合で同じ島で戦ったんじゃないかなって思います。軍団の賃金とかルールは殆ど彼らに教えて貰ったし、彼等から学ぶものは多かったと思います。パチプロという括りで思い出深いのは、池田さん、田中さん、平松さんの3人。プロではないけど一時的にその店に常駐してたのは水谷さん。それ以外には元サンキョーの営業マンと河童ちゃん。西尾組のお二人さんもこの時代でしたね。雑誌関係では必勝ガイドでレイリーさんとトラマツさん。攻略マガジンではアンドレさんとジャイロキャプテンさん。確か沖縄の先行導入時にはオリコウの珍留さんと居合わせた日があったんじゃないかと思う。

 


水谷さんというお方は実に喧嘩っ早いのでよく誰かと揉めるんですけど、一度朝の並びで面白いことがありました。寝ずの甚八がタバコを吸おうとしたんですけどライターを車の中に忘れてきたんで、水谷さんが持ってたライターをちょっと拝借して火をつけたのであります。したらば何を思ったのか、この人は「戦に出る前に俺の火を取ってどうするんやー」って激怒したのです。パチンコする前に火を奪うということは、俺の闘争心を燃やしてしまう(なくす)ってことで、俺が今日負けたらお前のせいだからなとイチャモンを付け始めたのであります。あんまりにもしつこいものですから、私が仲に入って「まあ、まあ」となだめようとしたらこっちにも火の粉が飛んでくる有様でもう手がつけられない。怒鳴られた甚八は放心状態で泣きながら俺の顔を見て「そんなに言われなアカンこと」って愚痴をこぼすから、そんなことないよとかばってやりましたけど未だにそこまで怒るようなことなのか?謎であります。プロ中のプロやねって思ったのが池田さんで、この人は三重県のお方。三洋に来るときは近くの安いホテルに泊まって1ヵ月くらい常駐。他にアテができるとバイクでもって日本全国を渡り歩きます。基本関東が多かったようです。バイクの移動とホテル住まいを繰り返しながら、ほとんど自宅の三重県にはいないという徹底したパチプロ生活をやってたものですから、私は心の底から凄いなと思いましたね。

 


水谷さんと池田さんと田中さんは三重県の人。何故だか三重県民が愛知に攻め込んでくるとこの店に常駐するんです。田中さんも常駐し始めると1ヵ月くらいは一緒になるのですが、2014年の年末にあることで出入り禁止になりました。エイケービーフォーティエイト右打ち中の必殺のV外しです。店長が変わって望まない客に対して粛清し始めた時期でしたが、ほぼ時を違わずして私も同じ運命になったのでこの人にはやけに親近感がありました。今では田中さんはパチンコとパチスロを両刀使いでこなす達人。元々手先が器用で止め打ちは上手いし立ち回りはスマート。典型的な今どきのパチプロさんという感じのお方で今でもたまには会います。トラマツさんで思い出深いのは、2014年のお盆休み。ギンパラの強ミドルを打ってた日の夜。この日トラさんは左カド番にご執心で朝から夕方までその台でやってたんですけど、そいつは全然回らないということを私は知っておりました。よくそんな台をやるねって内心笑いながら見てたのですが、何を思ったのか夕方になってから血相を変えて中カドに移動してきました。これは良く回る奴なのですが、私が打ってた台が177番でその2つ右隣の180番台です。彼がこの台に移動してきた頃合いで私の台に赤保留が出ました。すると何故か赤保留ではなくてその2つ手前の保留玉で大当たりしたんです。こうなると保留消化1回転目はヘソで次からは電チューなんですけど、ここでさっきの赤保留が最前列にくるわけです。つまりこの時点で私はトイレに行きたかったんですけどトイレに行けない状態が目の前にぶら下がります。そんなに連チャンしないから大丈夫って時に限って続くんですけど、これがなかなか終わらない。18回目までは我慢できましたが、とうとう膀胱が持たなくなって意を決します。赤保留ってたって絶対に当たる訳じゃない!

 


もしかしたらハズレだ。いやきっとハズレなんだ。

 

大急ぎでトイレダッシュして戻ってくると、そこにはちょうどいま大当たりしたサメがこっちを向いて笑っておりました。

 

ギンパラ177

 

ヘソ落ちです。ヘソで当たってしまうととそれ以降の100回転は1/72ではなくて1/259になってしまいます。この話を後日池田さんに話したら、お前何でトラマツに打たせてトイレに行かんのかってたいそう怒られました。右2つ隣にはトラマツさんが打ってたので彼に代打ちを頼めよっていう話でしたけど、その時は彼の顔と名前くらいは知ってる程度で、気軽に話しかけられる間柄じゃなかったのでそんなことはできませんでした。これがスッポンとか甚八なら絶対に代打ちを頼んだでしょうが、相手がトラさんでは気が引ける。まあ当時の自分としてはそんなことできませんでしたね。5回転後にはヘソの抽選で赤保留があることが分かってるのにトイレに行く自分。嗚呼無情ですよ。

 

常連さんにも思い出深いですね。甚八とスッポンは何度も登場させましたが、他にも白髪のおじさんは世紀の台被りの時の相手。この日は絶対に彼がが遊技しに来ると思ってたので、いつもよりも早めに店に着いたのです。白髪の人が私の後についた時点で「勝った!」とほくそ笑んだらお店の方から今日は抽選ですよと言われ仰天。くじを引くと白髪と私の順番が入れ替わり狙いのギンパラに座ったのは白髪のおじさんの方でした。面白いもので同じ台しか打たん人間を沢山見てきましたが、末尾が6の台しか打たない人がおりました。106番か136番にしか座らない彼の名はまさに六助君。そんなことをこ知らずに1回だけ106番に座って勝った日があったんですけど、彼はこのことをよく覚えていてあんたは俺の台を狙うからなとマークされましたが、そんな彼の性癖を知ってからは106番と136番は常に打たないようにしてましたね。スッポンはもう呼び捨てにするのは止めようと思うのです。彼のお住まいは私の家の近くなので、今でもニューギンに行ったときはお会いしております。彼の本名ははなしさんというのです。漢字は知りません。つい最近まで三洋に出入りしてたようですが、三洋が年内閉店だよってことも彼の口から聞きました。常連のババアには手を焼きました。この人は近くのキョウラクで清掃係をやってたオバちゃんで年は私よりも1回りくらい上。目の付け所が素晴らしいのでいつだったか、彼女が打ってた台を意図的に遊技したら67000個の爆裂ですよ。2014年の4月20日のことですが、これがパチンコビレッジを始めてから最高の出玉数ですね。前日ご執心だったそのお方が夕方店に来て私の元に文句を言いに来ましたね。その台昨日は私が打ってたんやで(知ったてわそんなこと)。

 


常連さんとの関わりは良い思い出ばかりです。2014年の6月ごろまでは太田さんという人が店長をやってまして、この人はどちらかといえばウェットなタイプで軍団が集まってくることをあまり拒絶しなかったですね。拒絶しないどころかむしろ歓迎してるんじゃないの?って思えるフシモあって、いつだったか軍団の是非について話を振ると、彼等の稼動はお店にとって有り難いと言ってました。それだけお店の稼働率については三洋の本社からプレッシャーかけられてるんだろうということが分かりましたけど軍団排除ではなくて共存をやろうとした人です。それ故釘調整も割りと寛容だったのでそこそこお店の稼働率は高かった時代です。店長が変わってから方針がガラリと変わり、釘調整も締めるときは容赦ない締め方をしたために、軍団とか池田さんのような人たちは徐々にこの店から離れていきました。それと同時にパチンコで負ける常連さんが目立つようになっていったので、稼働はガタ落ち。この年の6月後半から10月にリニューアルオープンするまでは本当に深刻なほどお客さんが減りました。そこでこの店は、従業員をサクラ代わりにして幹線道路に面する一番目立つところに従業員の車を止めるようになったのです。止めてる車の数が少ないと繁盛していないように見えるから、目立つ場所には従業員が車を止めてお客さんがいっぱい入ってるかのような演出をするってこと。今どきこんな原始的なことやるかね?って笑いながら常連さんと話してましたが、本来なら従業員さんは目立たない第2駐車場に車を止めて入って来たいと思うのです。目立つ場所に止めたら誰が何の車に乗ってるのが丸分かりだから従業員の心理としては嫌だと思うんです。これが不憫に思えたので、僕と白髪と甚八とはなしさん水谷さんは毎週お客が戻ってくるにはどうしたら良いかと作戦会議です。従業員さんが目立たない駐車場に車を止めて出入できるようにするためには、失った客を取り戻さないといけない。結局は朝の並びに集まった人たちが協力して長時間パチンコに持ち込むこと。そうすれば夜光に虫が集まってくるように、客も徐々に増えてくるということで、土日のたんびに長い時間パチンコ打とうなが合言葉でした。お店の人たちはそんなこと全然知らんかったやろと思いますが、陰では稼働の落ち込みを心配し、何とかしてお客を取り戻そうと作戦会議。いい常連さん達ですわ。

 

軍団30人くらい
池田さん
田中さん
平松さん
水谷さん
元サンキョーさん
カッパさん
西尾組のお二人さん
レイリーさん
トラマツさん
アンドレさん
ジャイロさん
珍留さん
甚八さん
はなしさん
白髪のおじさん
六助さん
キョウラクのババア
谷奥さん
對馬さん
瀬戸さん
藍さん
ミサトさん

 


こうしてみると色んな人たちとの出会いがありましたし、思い出深いですね。私が本当に描きたかったのはこういうことじゃないかと思うんです。文章で人を惹きつけるのではなく、遊技場の中にいる人たちとの人間模様を描く。これは昔田山さんがやってたことになるんですけど、どこまで行っても私は結局田山チルドレンのひとり。彼を追いかけてパチンコの実践記を書いてるつもりはないけれど、どこまで行っても彼との思い出が走馬灯のようによみがえる。そして彼から離れられない。真似してるわけじゃないと言いつつも絶対に影響は受けている。


良いお店の定義

店選びの条件として、私が通うお店には「良心」があると書きました。パチンコで勝てる店は限りなく見てきたし、何十年もパチンコで良い思いをしてまいりました。一番稼ぎが良かったのは星崎の大丸でその次に、三河地区では岡崎のパーラーニューコスモ、安城のパーラースーパードーム、西尾のサンプララザⅡ。知多半島ではゴールド7にプレイランド大京、柿畑一番館。名前を挙げればこれ以外でも一杯出てきそうですが、それが良いお店かどうかってなると話は別。私が言う良いお店とは従業員さんの給料を俺が払ってやるからという気持ちにさせてくれる店。彼等の給料を払ってでも通いたいと思える店は草々ありません。

 

25店舗

メッチャクチャ勝ったなあというお店を思いつくまま書いてみるとざっと25店舗くらいあります。この中で圧倒的な勝ち方をしたのは星崎の大丸ですが、この店に出入してたときが自分自身の最盛期。日当4万円の台を1年間ぶっ通すという離れ業は遠い過去の思い出。冗談を抜きにしてその年の稼ぎだけで私はBMW323iを買いました。それぞれのお店には随分と勝たせて貰った思い出しかないのですがそれで名店かといえばそうでもないです。上記の25店舗はただ単にお金儲けの道具としてしか見ていなかったので客と店、客と従業員はドライな関係でした。私にとって良いお店とは一杯勝ったお店ではなく、特別な思いでその店だけで1年間稼動しても良いと思えた店。つまり名店といえるのはタイホウ熱田店とパチンコ三洋だけですね。6のつく日と土日が重なったときだけ私の元に群がる70歳過ぎたご婦人さん達との思い出は他の人には分からないでしょう。私を信じてついてきてくれるならと真剣に考えたし、それで勝ちまくっていたばあさんたちの姿を見るのは私にとって小さな喜びでした。よく言われるのがニューギンと三洋との比較でしょうか。この両店舗は互いにライバル関係にあって、ニューギンは三洋には負けてはいないと言い、三洋はニューギンなど眼下にないと言う。両者の言い分は色々あるでしょうが、両方の店舗をネグラにしてた私の評価はというとパチンコ三洋の圧勝なんですね。ニューギンは2002年で三洋は2013年~2014年。どちらも換金率が2.5~2.7円ということで低換金率時代の比較ですが、前者は確かに平日の割りは甘くて稼動も平日アウト4万を叩くほどの大繁盛店でしたが、土曜日になると必ず釘が締まりました。これに嫌気して翌年には私はニューギンを見限りネグラを変更してるのですが、三洋はどうだったかというと土曜日になってもほぼ釘は締まりませんでした。

 


パチンコ三洋は水曜日が休みだったので、基本月曜日と木曜日が釘を大きく開ける日。この両日にはパカンと開ける日が多かったのは確かですが、締めるのもこの両日で土日に出過ぎると月曜日に激締め。全体的に粗利を取りに来るときは休み明けの木曜日に激締めで木、金、土、日にぶっこ抜きということで必ずしも月曜日と木曜日が甘かったということはないです。軍団はほぼ月曜日か木曜日に来てましたけど、毎週釘調整を見ていた私が感じたことは平均して一番釘が甘いのは「土曜日」でしたね。釘を開けても月、木ほどアケ幅は大きくなかったですが、それでも常連さんが負けすぎているなと思ったら土曜日にパカンと釘が開いたので本当に良心的な営業スタイルでした。金夜の状態から土曜日の朝に釘が締まってると感じたことは滅多にありませんでした。三洋のことはべた褒めしてきたのに、ニューギンにはあまり思い入れを感じないのはここですね。土日の度に利益をぶっこ抜こうとするニューギンに対して土日はサラリーマンや常連さんの為に甘釘で営業してくれた三洋との違いは明確。この点でも太田店長に話を振ったことがあるんですけど、軍団が来ない時に常連さんに還元したいから土曜日に開けるんやと申しておりました。月、火、木、金、土、日の中で最も戦いやすい日が土曜日なんてパチンコホールがこの世に存在するでしょうか?私がパチンコ三洋を愛してやまなかったのはこういうことですし、それが故にこの2年間はどっこも浮気せずこの店ただ一筋。店全体としてずっと締めた状態が続くことも少なくないんですけど、いつかまた開ける日が来るからその時まで我慢ということで何があっても他の店に行こうとは思わなかったですね。2015年以降はこの店とは縁が切れたので良く分かっていません。知人に聞いた話では評判はすこぶる悪くなっていきましたが、つい最近まではなしさんがこの店に来ていたという事実からすると、この店の良心は変わってなかったんじゃないかと思いますね。駄目な店なら彼が通うはずがありませんから。

 

私がパチンコ三洋のことを高く評価したのは、店に「良心」があったからです。

 

景品交換所

これが昔の景品交換所。一般のお家なんですが壁に穴を開けて景品と現金を交換していました。今考えたらお家の人は誰かが四六時中その場所に居なきゃならんのでかなりの苦痛を伴ったと思います。確か2014年リニューアルオープンした時に、景品所が駐車場内の一角に移動しましたね。

新旧交換所

今は焼肉屋さんですがここが家電量販店イシバシ東海店があったところです。

イシバシ

 

目と鼻の先

イシバシとパチンコ三洋は本当に目と鼻の先

 

108

これが思い出の108番台。呼出しランプは昔のまんまだ。
 

111

 

これが3コースの還元機周辺。111番台に甚八が陣取り、私はその左の110番とか108番で打つことが多かった。ここに来るとまだ甚八がそこにいるような気がしたよ。この場所で二人並んで打ってた情景を思い出す。

 

カウンター

 

 

全景

 

時の流れに身をまかせ – テレサ・テン(フル)

 

もしもあなたと逢えずにいたら 私は何をしてたでしょうか

この2年間パチンコ三洋に行かなければ私は本当に何をしていたでしょうか。パチンコ三洋がなかったらパチンコビレッジのライターにも応募していないし既にパチンコは止めて麻雀格闘倶楽部という娯楽に没頭してたかもしれない。パチンコを続けてこれたのはこの店があったからですね。
 

平凡だけど 誰かを愛し 普通の暮らししてたでしょうか

平凡だけど、タイホウ中川中野橋店でいつまで経っても回らない台を泣きながら打ってだでしょうか。
 

時の流れに身をまかせ あなたの色に染められ

元々海が嫌いだった私は、地中海や沖縄2で海に目覚めたとはいうけれど、今の自分が海ばっかりやっているのはそれだけじゃないと思う。海が嫌いだった私はこの店に通うようになって、すっかりパチンコ三洋の色に染められました。今では海しか打たん人間になったのはこの店のせいです。
 

一度の人生それさえ 捨てることも構わない

そこまでは言わないけれど、気持ちとしては心中するつもりだった。


だからお願い そばに置いてね 今はあなたしか愛せない

これは本心だと思う。


もしもあなたに嫌われたなら 明日という日なくしてしまうわ

これが現実に目の前に起こった出来事。明日を取り戻すのに何年もかかった。


約束なんかいらないけれど 思い出だけじゃ生きてゆけない

これからは思い出だけで生きていかねばと思うと悲しいです。


時の流れに身をまかせ あなたの胸に寄り添い

この5年間で何があった?タラレバになるけど、私がずっと通い続けていたならば店長と刺し違えても間違った方向にいっとると激怒したと思う。マジ喧嘩して制裁を受けたかも知れんけど、それくらいのことはやったと思う。間違った方向に進めば必ず客は離れてしまう。時計の針は元には戻らない。


綺麗になれたそれだけで いのちさえもいらないわ

自分はパチンコ三洋を離れて力強くなったと思います。


だからお願い そばに置いてね 今はあなたしか見えないの

また別の地で生まれ変わって欲しいです。

 

 

私が愛知県に出てきたのは今から35年前。その頃からのお付き合いなので、本当に思い出は尽きないし一言やそこらで語れるものじゃない。イシバシに出入りしてた頃が一番この店が輝いていた時代だと思うけれど、本当にこの時期のパチンコ三洋は凄かった。1コースから8コースまですべてが三洋の機械で埋め尽くされる様子は圧巻だったし、それを成し遂げたパチンコメーカーは他にない。読者の皆さんにとっては、2013年と2014年のたった2年間だけの思い出かもしれないけれど、私にとってはそれ以前の1985年~1992年までの方が思い出は多い。半田営業所に赴任した当初は一般ルートというショップ店回りだったのでこの場所にはあまり来ていないんですけど、しばらくして量販ルートに変わった時ここに来るようになりました。初めて来たのが近くにあった栄電社東海店。当時のエイデンには特別招待会(特招会)ってのがあってそこではいつも電子レンジの売場を任されていた。そのエイデンの隣にあったのがゴールド7で三洋よりもこっちの方が良店だった。イシバシを担当してた頃は目の前が三洋だったということは以前書いたとおりで、火曜日、土曜日の仕事終わりには必ず店ん中を偵察して打てるかどうかを判断してたけど、この頃が一番楽しかったかな。営業マンというのはこういうときに便利なもので、明日が休みというときの店廻りは取引先以外にもパチ屋が数多く含まれていたっていう事実は誰も知らない。三洋のすぐ近くにはプレイランド大京。ここで1人カラオケをやってたというのも良き思い出で、1曲100円のカラオケを10万円くらいは使ったと思う。何から何までこの場所には思い出がいっぱいあり過ぎて考えれば考えるほど当時の思い出が蘇ってくる。あれから35年も経過して随分変わってしまいました。プレイランド大京がキング666に変わり、そしてついにパチンコ三洋が幕を閉じました。

 

(1)トキワホール
(2)タイホウ熱田店
(3)パチンコ三洋

自分の人生の中で3本の指に入るお店でしょうね。


35年間の思い出を有り難うございました。

 

 

コメント

  1. かなめ より:

    今日の記事の内容は素晴らしかったです。
    思いが伝わってきました。
    わたしもあなたと同様、いやあなた以上にパチンコで素晴らしい出会いや
    楽しい時間を過ごせた人間であると自負しています。
    その私があきれるほど魅力のなくなってしまったパチンコ。
    業界にかかわる人たちにはどうにか本気になって考えてほしい。
    今の時代に合った魅力あるコンテンツとしてのパチンコ復権を目指してほしい。
    コメントを通じてだけですがあなたとの出会いもまたパチンコがあったからこそ。これもまた素晴らしい出会いの一つだと思っています。

  2. ゴーニィ より:

    かなめ様

    今年1年間ご愛読ありがとうございました。

    かなり大変な1年となりましたがやっと終わったという感じです。来年は今年以上に酷い年になりそうなので、おびえるばかりです。パチンコメーカーさんは、そういうのが分からないのでいつもお気楽ねえと思うばかり。本心では遊技機メーカーの7割は潰れて欲しいです。

    今の時代を共に生きただけでも天文学的な確率なので、ただそれだけで運命を感じるのですが、更にこのサイトに訪れてコメントしてくれる方にはなおのことご縁を感じます。ネット社会でしか有り得なかった接点です。

    この接点を大切に。

  3. U5 より:

    う~ん、かなりの超大作で読むのに2週間もかかりました。
    目頭を熱くしながら、今読み終わりました。

    ゴーニィ様、いつも投稿ありがとうございます。
    あけましておめでとうございます。(何回目だろう)

    生粋のパチンカー、スロッターにはこうゆうお店が1~3店舗は必ずあると思います。

    私も大学生だった1991~1992年、東林間(神奈川県)の駅前にあった「大学院」というパチンコ店で、ワイルドキャッツ(貯金方式)というパチスロに出会い、ひたすらハマった台を狙うか高設定を狙うかをして月10万円ぐらいのお小遣いを2年間ほどもらっていました。でもこのお店ではあまり常連さん達との交流はなく、同じ大学の友達といつもたむろっていました。

    そして大学を卒業&中退しプータローしていた1995~1997年、武蔵境(東京都)のアサヒ(現ダイナム)のクランキーコンドルで荒稼ぎをしていました。月に最低50万円は硬く稼げて、同年代の常連達(約10名ぐらい)が自然と仲良くなり、いつも一緒に行動していました。朝は自然と開店前にロッテリアに集合し、稼働後は近くのゲーセンに集まり、そのまま焼肉食べてキャバクラ行って、また朝になったらロッテリア。目押しの上手かった福ちゃん、立ち回りが上手かったゴチさん、短気でカチ盛りが上手かった川ちゃん、当時の彼女だったキャバクラ譲のパーキーちゃん。みんな今なにしてるんだろう?って時々思ったりします。

    私もゴーニィ様と同じで、「良いお店」=「稼げるお店」ではありませんでした。「良いお店」は稼げる以上に「居心地の良さ」が優先され、お店の雰囲気を形成する「店員さん」の質や「常連客」の質が重要だと思います。(あとは自分自身の性格との相性でしょうか)

    誰にもそうゆう素晴らしい青春時代と思い出はあるんですね。

    コロナが落ち着いたら、ゴーニィ様とここの読者でオフ会とかやりたいな(笑)とても興味深い、そして奥の深い会になると思うのは私だけでしょうか?(笑)

  4. ゴーニィ より:

    U5様

    毎年この時期に投稿する記事は超大作。知ってる人は知っている。今回の作品にレスポンスがゼロだったらどうしようと思いながら不安いっぱいで記事を書きましたが読んでくれた人がいることが分かってホッとしております。

    パチンコ三洋につきましては残念ですが、一方で潰れてくれた方が良かったという邪推な気持ちもあって複雑な心境です。私を追い出してからはずっとダメな方向に向かっていることは分かってたので、こうなることは高確率で予測できていました。凋落には必ず驕りが存在する。

    祇園精舎の鐘の声、盛者必衰の理をあらはす。

    パチンコ三洋が潰れてしまった理由は、店主他関係者たちの「おごり」があったことに他なりません。他の人なら兎も角、内情に詳しいこの私にはそれが良く分かります。さじ加減が難しいかじ取りに追い込まれていた環境には同情しますが、打つ手は他にも色々あったはず。難しいことにトライせず安直な方向に舵を切れば船は沈みます。軍団を最後まで断ち切れない弱さが命取りでした。

    東京に呼ばれましょう。そして飲み明かしましょう。

    コロナ君がいなくなれば。

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