雪辱の機会

パチンコ業界がここまで衰退するきっかけとなったのは

 

「ダービー物語事件」があったから

 

CR機が初めて登場したのは1992年のことですが発売した当時は全く売れませんでした。当時は保留玉連チャン機全盛期ですから、新しいものを出そうとしても保留玉連チャン機以外は見向きもされなかった時代。ところが翌年の11月に起きた「ダービー物語事件」によりまして時代は大きく変わっていきます。保留玉連チャン機に規制がかかり発売は不可能な事態に陥り業界は窮地に追い込まれてしまいました。そんな時代に光が差し込んだのが「確率変動」であり、その機能付加を認可したのがCRユニットを搭載したマシンでした。CR機を世に知らしめたのは西陣のCR球界王と平和のCR名画だったと思います。田山さんが池袋の山楽会館から溝の口のB店にネグラを変更した時にしきりに打ってたのが球界王でした。設定1で1/286、設定3でも1/320で32%突入あと2回継続タイプという割と穏やか仕様のCRマシン。確変絵柄で当たるか当たらんかのせめぎあいで当たったときにイスから転げ落ちそうになったという表現を多用してたのが思い出深いですがこの機械は333、555、777のうち数字の3つ揃いなら確変。3玉3とか5玉5とか7玉7だと単発の大当たりでした。要するに真ん中の絵柄がボールで止まれば単発。357に止まって三つ揃いならば確変という事で、357のリーチでも単発と確変の2通りの大当たりがあるという変わった台でした。一方CR名画は私が初めて遊技したCR機。確率が1/360ってことで本当に当たるんかいな?の疑心暗鬼な気持ちで向かったその先が、小牧市41号線名古屋から犬山に向かう道中。花塚交差点の東角にありました、ラッキープラザ小牧店が新築オープンした時でしたね。実際に遊技すると、その日は当たりましたけど重いなあという印象は最後までぬぐえず。確変か非確変かの見分けは大当たり絵柄ではなくて、小さなセグランプにHが灯るかどうかというシンプルなつくり。Hなら確変、-なら非確変という事で一喜一憂してた時代です。この機械は1/2突入であと1回タイプです。然しながらこの時代にCR機を爆発的にヒットさせ世の中に定着することに至った遊技機はこの2機種ではなくて、みんな大好きCR花満開でしたね。確変までの入り口は非常に狭いけれど、一旦突入すれば連チャン率が飛躍的にUPするという事でCR爆裂マシンのはしりとなりました。2/15で突入すると6/15で継続、あと2回タイプでした。今考えるとそれほど条件は良くないような気がしますが、当時としては1/3継続あと2回タイプがMAXでしたから継続率は破格でした。

 

2月に突入して最初の投稿はこれにしようと決めていました。CR時代の終焉を迎え世の中はお別れCR機ってことで話が持ち切りですが、そのようなことは凡人中の凡人が書く内容なので私はそのことには触れません。CRが何の略だったかについては諸説あるみたいで、一般的にはカードリーダーってことらしいですが大事なのははそういう事ではなくてCRユニットを搭載したマシンでは現金で遊技できなかったという事ですね。厳密に言えば現金で打てないんじゃなくって台間サンドに紙幣が突っ込めなかった時代です。じゃあどうやって遊技するのかっていうと、お客はまずは券売機でプリペイドカードを購入し、プリペイドカードを台間サンドに認識させてから遊技を始めるわけです。券売機で売られるカードには3000円、5000円、1万円の3種類あって帰るとき残った金額は精算機で精算できたと記憶しています。

 

日本ゲームカード⇒パッキーカード(東日本)

日本レジャーカード⇒パニーカード(西日本)

日本アドバンストカード⇒レジャックカード(中部)

 

 

東京、大阪、名古屋で別々のカード会社を設立し、それぞれの地域毎に異なる券売機をお店に設置しました。こうすることで、お客が使ったお金は全て該当するカード会社に筒抜けとなり、売上高を握られたパチンコホールが「脱税」ができないように雁字搦めにすることが当初の目的でした。そのような目的で始まったCRユニット搭載遊技機は日本国内に一斉に広がり、現金機は廃れていきます。そして上述した3企業の株価は急上昇。再雇用の業界においても、この3社からの求人要請が目立つようになり私個人としても、ニッポンマンパワーから面接を受けてくれないかと依頼された事もありました。現金機がCR機に切り替わる時代の流れというか、追い風に乗ったカード会社は錦の御旗を掲げて日本中に一大旋風を巻き起こします。それくらい再雇用の業界では、人を欲しがる企業となりましたが、私は今だけの流行だからこの先どうなるかは分からんぞってことで冷ややかなる目線。入社する気もなく白けた気分で再雇用の現場を見ていました。

 

僅か数年で瓦解します。

 

カードを偽造する人達が急増したんですね。

 

 

ニッポンの紙幣は偽造防止という点では大変優秀なようでして、千円札、5千円札、1万円札の偽造は殆ど話題にならないくらい流通しませんがプリペイドカードに関しては、偽造防止という技術に乏しくあっという間に偽造カードが日本中にばら撒かれました。これによりまして上述したカード会社の株価は一気に大暴落。日本ゲームカードだけが最後まで残っていたと思うんですけど、レジャーカード、アドバンストカード会社はあっという間に倒産に追い込まれこのシステムは破綻します。結局南極、偽造防止に関しては紙幣に優るものはないって事で、台間サンドもプリペイドカードだけじゃなく4紙幣にも対応。島設備に紙幣搬送レールを設けることで現金投資ができるようになったのであります。紙幣搬送レールが登場することにより、CRの当初の目的は瓦解し、今までの現金機となんら変わらない遊技環境となりました。※紙幣搬送レールは機械と機械の間に5cm位のレールを通しサンドから金庫まで紙幣を運びます。右角で打ってるときは、打ち手の右側がジェットカウンターで左側の隅が金庫です。サンドに突っ込んだ紙幣が横スクロールで移動しながら金庫に収納されます。

 

関西枠⇒820×531mm

関東枠⇒810×522mm

CRは全て関東枠。つまりパチンコ台は810×522が主流ということになりました。

 

 

元々は関西と関東とでは、パチンコ台の大きさは違っていたのですが、CR機の登場によりまして何が変わったかというと、遊技機の大きさが変わっただけというお粗末な結果をもたらして、当初の脱税目的は達成されぬまま今日に至っております。売上金額をパチンコホールとは別の企業に管理させることで、脱税をやらせないというのはこの業界にとって非常に意味のあるものだったと思うし、この方向に舵を切ったのは間違いではなかったと思うのですが、計画があまりにも性急すぎた感は否めず。もうちょっとカードの偽造防止とか色々な堀を埋めてから始めれば時代は変わったかもしれませんが、当時の遊技機業界はダービー物語事件で失った遊技熱が大き過ぎて歯止めを掛けたいという思いが警察とパチンコ業界双方に生じ、事を早く進めたいという焦りがあったかと思います。結局のところ現金機⇒CR機に変わって、ヘソの賞球が2個減った代わりに確率変動だけが認められて遊技機の射幸性能が大幅にUPしてしまったというのが事実ではないでしょうか。

 

 

現金機の頃は

(1)確率変動認めず

(2)大当り獲得2300個だけの当り勝負

(3)ヘソ7個返しで通常ベースは極めて高い

(4)ラッキーNO.が引けるか否かで勝敗が決まる

(5)大当り後の保留抽選に強制大当りの仕込み

 

 

CR機になって

(1)確率変動認める

(2)3段階設定を認める

(3)大当り獲得2300個で確変継続あと2回ループ

(4)ヘソの賞球は5⇒4⇒3⇒1と減るいっぽう

(5)無制限営業が主流

 

 

脱税という行為に対してメスを入れるから受け入れたCRユニットの構想は、カード偽造によりまして全てが瓦解したわけですが結果的にはCR時代は来なかった方が良かったですね。ずっと現金機のまんまやらせてもらえれば、パチンコの衰退はあと30年は遅らせることができたと臍を噛みますが本当に残念です。現金機で保留玉連チャン機が登場する前までは

 

<コスモⅡ、エキサイト麻雀、ファンキーセブンの時代>

(1)ヘソの賞球が7個

(2)スタートが8

(3)通常時のベースは7×8=56

(4)1000円当たりの回転数は45.5/K

 

これくらいの環境でやらせてもらってたので負ける気はなし。デジパチを1日中ぶっ放しても4万円以上負けないという環境にいたので、この時代こそが脱ギャンブル依存症だと思うし、パチンコの本来の姿だったように思います。ただ、ただ世の中のマジョリティがそれを許さなかったのでこの業界は段々と間違った方向に舵を切っていくことになる。それが保留玉連チャン機でした。ダービー物語さえ出なければ…

 

ダービー物語さえ出なければ

 

その後の30年はパチンコ業界も安泰だっただろうなあ!

 

できれば保留玉連チャン機は登場しないで欲しかったけれど、保留玉連チャン機の登場により保留玉連チャン機が規制される事態を招いたけれど、一旦射幸心に火がついてしまうとその火を消すのが難しくCR機、確率変動という「餌」に釣られてしまいました。これが今日までの過熱と衰退を繰り返していた時代から、衰退の一途を辿るまでに変化する様なのですがそのCRの時代もついに終焉となりました。これからはどんな時代が待ってるのでしょうか?衰退の一途を辿ったのがCRの時代なら、次の時代には更に衰退が加速する?それとも横ばいからじわじわ衰退の色が強くなる?回復は有り得ないと思いますが、衰退するスピードは予測しきれませんね。

 

CR機⇒P機

 

P機に変わったので、これからはP機の時代が長く続くと思うのはかなり無理があります。P機の時代はそう長くは続かんでしょう。CRを出すときに目論んだ当初の目的は、今も尚くすぶり続けているはずなのですぐに管理遊技機の時代に移り変わるんだろうと思います。脱税をさせないというのが外部からの圧力であり、長年の悲願ですからそれを実現するためにな並々ならぬ決意でお上が動き出す。筆者はそのように予想しております。

 

CR規則改正前

(1)T1Y2300個(16ラウンド)

(2)確変継続率上限65%

(3)ヘソの賞球4個返し

(4)通常ベース4割目標(建前だけど)

(5)時短は大当り終了後100まで

 

 

CR規則改正後(2018年以降)

(1)T1Y1400個(10ラウンド)

(2)確変継続率上限なし

(3)ヘソの賞球1個返し

(4)ベースの目標なし(無制限搾取)

(5)時短100制限撤廃

 

 

ギャンブル依存症解消。パチンコ依存症解消を目的として、2018年に法改正が行われましたが、何にも改正されとらん。むしろ射幸心を煽る点では悪化しとる。ヘソの賞球を減らして客の利益を無制限にむさぼりとる。その代わりに連チャン率9割以上を認め、時短回数制限撤廃を認め射幸心を煽りまくった遊技機開発になっとります。2018年の規則改正は何のため?っていうくらいギャンブル依存症患者を多発させるような仕組みに変えてしまってます。バカバカしいのにほどがあるけれど、16R⇒10Rになったことだけが穏やかなる方向に向いてるという事ですが、それ以外はほぼ全てが規則改正前よりも荒っぽくなっている。これじゃあ初代北斗無双がなくなって嘆く人の気持ちは理解できへんし、ダンバインがなくなって嘆く人の気持ちも理解できへん。

 

だってその代わりはいくらでも作れるもん。

 

2017年のパブリックコメントの受付はなんだったんすか?

2018年の規則改正はなんだったんすか?

第一次のめり込み対策は効果抜群でした。

第二次のめり込み対策でギャンブル依存症は減らせたのですか?

 

警察がやろうとしてたことはあまりにもお粗末だったってことは、今になって理解できますがやっぱり今の状況は長くは続かないでしょうね。すぐさま管理遊技機の時代になって、パチンコホールもお客も儲からない時代になりそうな気がします。今の時代にパチンコで勝とうと努力し始めた人たちが哀れでなりませぬが、この業界は良い方向に行くことを知らぬので、いつまでもパチンコで稼げるなんて思わない方が良い。先人達がもたらした「石橋理論」は既に瓦解してるし、この先パチプロとか軍団の居場所はないと思う。同じく土日ユーザーでこれからパチンコやパチスロで勝っていこうと思ってる人達も業界に吹き荒れる大逆風にがっかりする思う。だって現金機がCRになって何が変わったかといえば、遊技機枠の大きさが関西枠から関東枠にかわっただけ。絶対に脱税は許すまじという大義名分のもとに鳴り物入りでデビューしたCRユニットが、たった数年で瓦解し、当初の目論見が音を立てて崩れ去った屈辱を振り返ると、当時の悔しさを業界は忘れてないと思うし今度こそは絶対に仕留めてやろうと雪辱晴らすつもりで待ち構えていると思う。警察をはじめとする業界関係者があのまま終わるはずがないと思うんだよね。脱税対策は国家の威信にもかかわる問題なので取り組んだのが現金機⇒CR機への変更だった。それが大失敗に終わった過去の苦い経験を生かそうと考えている人は多いと思う。今回ばかりはただでは済まんだろうというのが今感じてることです。

 

 

現金機

CR機(1992年)

P機(2018年)

管理遊技機(2022年)

 

 

30年続いたCRの時代がついに終わります。

 

この時代の終焉は当初の目的を果たす為の雪辱の機会です。

 

いよいよ業界が動き出します。

 

コメント

  1. 村上亀吉より:

    パニーカード懐かしいですね

    いづれ確率上限が1/299位になるのだろうか?封入式が普及するのかも気になります
    店舗数・遊戯人口の減少も耳にしますが逆に業界のしぶとさも感じます

    個人的には2円貸しが主流になると嬉しいのですが、当地でも全く定着しませんでした

    タクシー業界も然り、一度行き着くところまで追い込まれないと変われないのかも知れません

    2022年2月2日 PM 9:33
  2. ゴーニィ より:

    村上亀吉様

    福岡はパニーカードでしたよねえ。
    私はもっぱらレジャックカード。マンパワーに頼まれて一度だけ彼らの話を聞いたことがあるんですけど、その実態は

    「警察の天下り企業」でした。

    そういうことが分かってから更に白けましたが、本当にあの時代のカード会社3社は、設立の背景も邪だし胡散臭いにおいプンプン。

    2円パチンコ。10円スロットは流行らないですが、成功すると魔法みたいに企業に潤いをもたらします。どっかの企業がチャレンジせんかなあとずっと思ってるんですけど、数年前10円スロットで大成功を収めたかに見えた企業の結末。今度書きます。

    またよろしくです。

    2022年2月2日 PM 10:52
  3. ピカ吾郎より:

    私の方はパッキーカードでした!
    昔 深夜のパチンコ番組で斉木しげる氏が2000円のパッキーカードでオカルト的ななんかをしていたことを懐かしく思い出しました。

    その当時の私は高校生になったばっかりだったのでそんなに打ち込めなかったですが緑色?の3000円のパッキーカードをよく買っていた記憶があります。

    規制については私は素人なのでよく分かってはいませんが、今のパチンコはほんと生きるか死ぬかですよね。

    右の破壊力が高すぎるから取れなかった時の精神&お財布的な脱力に襲われるのでとても追いかけられません。

    もう少し幅広い選択肢があれば良いのですけどね 難しいものです。

    2022年2月3日 AM 12:50
  4. ゴーニィ より:

    ピカ吾郎様

    幅広い選択肢はあるんですけど、何せ1個賞球の320機が増えすぎたので迂闊なことはできんという時代。1個賞球でもTYがあればやってけるけどそこを悉く潰すから溜息。潰されないような遊技機開発さえやれば客も納得するだろうけど、客が納得できない遊技機は多分これからも出現しないでしょう。

    今ある機械の中で、見返りと安全度を秤にかけて地雷をよけ続けて最後まで行けたら「おめでとう」。

    地雷探知機要りまっせ。

    2022年2月3日 PM 8:26
  5. ゴーニィより:

    TYじゃあないわ。忘れた。

    小物入賞口。

    2022年2月3日 PM 9:34

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