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パピヨン11

西陣

発表時期
1974年
8月
種別 普通機
玉貸機
現金機
賞球数オール11

センター役物のパピヨン(蝶)が目を引く賞球数オール11の普通機。

 

同じ昭和49年8月に『ブリッジアベック』、『エビラ』、『プレーン』、『サルカニ』、『パワーピエロ』、(翌9月に)『エレックスグランプリ』、『エレックスフィッシュ』が発表されている。当時は、特に大手メーカーでは同時期に数機種~10機種以上を同時発表することが普通であり、それは昭和60年頃まで続いた。

 

天入賞からは左右袖チューリップへの連動、パピヨン役物からも左右袖チューリップへの連動、パピヨン役物下部の2つの入賞口からは左右落とし部分のチューリップへの連動など、全8連動。

初めてのパチンコ台との出会い。それは昭和48年頃のことだった

 

今では首都高速5号池袋線や首都高速埼玉大宮線が高架で走っている道路の地上部分は昭和の時代、国道17号線(新大宮バイパス)が走っていて、その上下線の間には大きな空き地があった。国道17号線を走ると、その空き地にパチンコ台がずらっと並べられていることがあった。子供から見てもそれは明らかに売られているものであり、しかしその場所が道路の空き地で、お祭り会場の露店のようなイメージだったから、ちょっと胡散臭さも感じていた。

 

ある日、なぜか、家に帰るとパチンコ台があった。まだ子供だったから、それは単なるおもちゃである。玉を上皿に入れて打ち、天穴やチューリップに玉が入るとチャリチャリーンと払い出されるのが楽しかった。もちろん手打ち式だったから、単に玉を1個ずつ打つのではなく、いっぺんに2個打ちして遊ぶこともあった。ガラスを外したり、裏の構造を眺めたり。

1回でも自宅にパチンコ台を置いた人ならわかると思うが、とにかくうるさい。玉を打ち、払い出しがあるたびに大きな音がする。そして、いつか飽きる。

恐らく数回遊んだだけだろう。いつの間にかやってきたパチンコ台は、いつの間にかなくなっていた。

 

当然、機種名はわからない。メーカー名もわからない。ここで紹介した『パピヨン11』より古い機種であったことは間違いないが、初めて打ったパチンコ台の機種名もメーカー名もわからないのは残念である。

『パピヨン11』に兄弟機はないが、機種名にパピヨンが付く機種は意外に多い。年代順に並べると、

『パピヨン』、『パピヨンクレパス』(平和)、『エレックスパピヨン』(西陣)、『パピヨン』(京楽産業)、『パピヨン』(三洋物産)、『パピヨン』、『パピヨンパート2』(マルホン工業)といくつもある。

ちなみに、機種名に蝶が付く機種はCR常夏蝶々(豊丸産業)くらいだ。

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