みんなでつくる! パチ&スロブログ

2026-09-05 11:00:00 la la la love somebody tonight

1パチンコ
2最重要記事(保存版)
3過去の遊技機/店
4遊技機の統計分析
5難解な計算問題
6遊技機規則
7野球(物理と数学)
8MLB
9麻雀
10日本の野球
11保険・年金・税金
12韓国ドラマ
13大相撲
14ウルトラシリーズ
15パソコン/BDR
16香川県の思い出
17屈辱的な1日
18タンポ印刷

 

1700を超える記事を書いてきますと、あの記事いつ書いたかな?ってことが増えてきて、過去記事をもう一回読もうとしても難しい。その為に記事を事細かく分類するようになりましたが、そのお陰で上記18もの枝分かれ。どの記事にも一応はパチンコというタグをつけてるので投稿した総数だけはすぐ分かるようにしています。パチンコ1740⇒1740個の記事を更新してきたってことです。パチンコ実践記の冒頭に一部分だけ書いたこともあれば、記事全体を通してテーマを決めて書いてきたものもある。


多岐に渡って書いてきたつもりなので、パチンコをしない人でも読んでもOKみたいなつもり。


そんな中で今回は「サラリーマン時代」という分類項目を1つ追加しました。

 

サラリーマン時代には色々な思い出がありまして、今までにも何度か書いてきたと思うんですけど、韓国ドラマといい、サラリーマン時代の話といいどうも断片的に書いてきてしまったのでこの際まとめときたいなと思って筆をとります。サラリーマン時代の話しといったって主役は殆ど「シャープ」に勤めていた時代のお話なので私の会社員⇒シャープ株式会社と思っても良いんですけど、それはやっぱり最初に職に就いた印象が強く残るからなのでしょうね。シャープという会社に落ち着くまでには


①そごう⇒心斎橋店採用
②第一生命⇒東京採用
③大正製薬⇒四国限定採用
④三洋証券⇒本社採用
⑤シャープ株式会社⇒本社採用


本当に行きたかったのはそごうだけで、あとはどうでもええんですけど一応銀行学部(通称)だったので金融系にも何社か応募して三洋証券で内定を取り付け、私は証券マンとして生きることを考えていました。三洋証券の面接に行くときは何故かご縁があったのか、会社の重役にちょっとしたことで偶然出会ってお話しすることがあった。「今からどこにいくんや」って言われて〇〇ですって答えると、其れが三洋証券のお偉いさんだった。頑張れよって言われて面接を受けると、さっき会った人がいたという次第で内定が出ました。特に行きたかった会社ではないけれど、証券会社にひとつ内定を貰って就職保険を獲るというのが経済学部学生の一般的な手法でしたね。ブラック企業の証券会社であれば「内定」を貰いやすいという時代。内心は証券⇒ブラックってことを知ってたので気乗りはしなかったけれど、他に内定が出なければ其処に行くつもりでした。いよいよ就職活動も終わりという時期に、シャープに面接希望を出すと広島の八本松工場まで来いって言われたので行きましたよ。
 

 「ご兄弟は何人ですか」

「男性ばかりの4人兄弟の次男です」


聞かれたのはこれだけで、答えたのもこれだけでしたね。其れだけの情報で後日内定が出たので嬉々とした次第。なんであれで内定が出るんやろなとは思ったけど、後々考えると大企業というものは優秀な人間、そうでない人間。雑草のように強い人間。私は3番目の理由で選ばれたようでしてシャープで営業マンをやるということは、ごく普通の人間よりも「あくの強い人間」でなければ生き残れないという事を分かってたかのような採用でしたね。


雑草のような人間でなければ生き残れまい。


人事のプロに言わせると、顔をみて話しただけで人となりほぼ分るということで会社への適性があるか否かを見抜けるらしいですわ。色んな役割がある中で、会社としての頭脳ではなくて、ある程度長持ちしてくれる使い捨ての「駒」として見られていたようです。仕事があまりにも厳しいから、売上の詰めに耐えられる耐性があるかどうかが重要だったように思います。


その後天理の研修所で2ケ月暮らし

配属が決まると所轄のシャープ名古屋ビルでしばし販売店実習

7月にようやシャープ家電(株)半田営業所に出向となりました。


当時は山王の名古屋ビルが愛知県の本部的役割で中部統括営業部付。その下に半田営業所とか、岡崎支店があった。場所はかつてのナゴヤ球場前駅すぐ近く。隣にホームセンターナカイがあって今では其れがドンキホーテに変わってる。従ってナゴヤ球場にも歩いていけるくらいの距離。私は金山にシャープ寮があったのでそこに住んでいた。名古屋ビルの中には家電、ビジネス、ファイナンス、エンジニアリングという企業が混在していたが、電子営業部、電化営業部という本社に限りなく近い部署もあったので将来出世するならこのビルの第一営業部(一般店)、第二営業部(量販店)に所属している必要があった。僕が恋に落ちたハイクックレディはこのビルの電化営業部の所属。多分6月のどこかで、販売店実習ではなくて四日市でホテルの一室を借りて商品を陳列販売するイベントに行かされた折。ハイクックレディが電子レンジでシュークリームを焼いてる姿をみて一目惚れでした。なんという可愛い女性。このお方は僕が今まで生きてきた中でナンバーワンかな?本田さんというんですけど、彼女以上に可愛い女性にあっとらんす。

※家電製品には其々愛称があった。
ナショナルの電子レンジ⇒エレックさん
日立の電子レンジ⇒ククレット
シャープの電子レンジ⇒ハイクッカー

 

400人くらいが新卒大卒採用で

10人くらいが本社居残り(阪大、京大、神大学生のみ)

300人くらいがシャープ家電(そのうち数人が東京中央シャープと浪速シャープ)

浪速シャープ⇒大阪日本橋だけを担当する別会社
東京中央シャープ⇒秋葉原だけを担当する別会社

80人くらいがシャープファイナンス(クレジット担当)

20人くらいがシャープビジネス(法人向けの営業マン)

シャープエンジニアリングとアトム隊は高卒だけ

 

浪速シャープと東京中央シャープに行きたかったですね。そこで配属先を大阪、東京、香川の順番で希望を出すと、その中間の愛知県に配属されることになり、それで私の人生が大きく変化することになりました。間に落とされるかもって思ってはいたけれど、当時の300人の中では可もなく不可もなくという評価でしょうかね。沖縄や北海道に配属されたルーキーが涙を流しながら惜別したことを考えると「まだマシ」だった。これが他の県に配属されたら今とは全然異なる人生を歩んだと思うけれど、パチンコ好きの私に神は「愛知県」への配属を指定した。


お前はパチンコを打てと。


そういわれても最初は自転車しかなかったからパチンコ屋に行くのも大変よ。最初の数か月は半田、武豊界隈のパチ屋に行くのが精いっぱいでその頃は、会社の目の前にある有楽(住吉)をメインにしつつ、偶に武豊まで自転車で行ってたように思う。武豊に関西電波半田店(住所は半田市)というのが私の取引先で、その近くにコロナワールドがあり、有楽武豊店があったと思う。有楽だったかどうかは覚えていないけど、関西電波に向かう道すがら右手に1軒パチンコ屋があってそこまで通ってたのは事実。後に有楽口田店とその近隣にもう1店パチ屋ができたけど其れはしばらく経ってからのこと。有楽の住吉店も今では、2店舗が並んで立地してるけど当時は1店舗だけだった。


 これが関西電波半田店だったお店。今ではGEOに変わってるけど面影はある。特に店内に入ってこの階段を見たらリニューアルした時のことを思い出すよ。私が担当してた家電量販店は殆どなくなっているけど、大体GEOとかBOOK OFFのようなお店になってますね。CD/DVD中古販売、ゲームアプリの中古販売のようなお店に変わってしまいました。1990年代に繁栄した家電量販店は今ではほぼなくなってます。

 

当時はもっと大きなお店だったと思ってたけど、こうして見ると案外小さいね。この店の女性スタッフにもひとりだけ私に惚れてる方がいたので、まあまあ好きなお店だったし、シャープのシェアは高かった。そういうとそんな話しばっかりやなお前って思うかも知れんけど、大体こういうのは分かるからね。基本メーカーの営業マンなんてお店の奴隷のような扱いを受けるんだけど、気に入られた女の子からは特別な目で見られるからまあまあそういう感情は分かる。ほぼどの店に行っても私に惚れてる女の子がひとりくらいはいたから。自慢話ばかり書いて申し訳ないけど私は事実をありのままに書いているだけ。1980年代の後半にこの店がリニューアルする時があって、1回全部お店の商品を持って帰るって事があったから大変だった。この階段の上に冷蔵庫とかエアコン売り場があったんで、二人して重たい冷蔵庫を下ろすわけ。シャープの冷蔵庫は5台くらい陳列してたので下ろすのは大変な作業よ。8月?真夏の閉店以降に全部商品を運び出して、後日リニューアル直前にまた同じ場所に納品するってことになったからこの日のことはよく覚えていますよ。深谷、伊藤、宮本、私の4人でお店のシャープ製品を一旦は全部運びだしてすっからかんにする。その後別の日に今度は同じ商品を搬入するんで気が遠くなるほど疲れたな。


このような力仕事はほぼ100%メーカー側の人間のお仕事だった。

 

対等な関係ではなかったですね。建前ではメーカーと販売店はメーカー>販売店って言われます。遊技機業界も遊技機メーカー>パチンコ屋という関係が成り立っているし、概ね日本の製造業と販売店の関係はそんな感じ。商売の上では確かにそうかも知れんけど、実際に営業マンが販売店を訪ねると営業マンの立場は弱い。お店に入ると、まずは足りなくなったカタログを補充するけれど、メーカーの営業マンはまずはこれにお店の店舗名スタンプを押印することから始まります。お店のカタログだから店の人間がスタンプを推すのが当たり前だと思っているかも知れんけど、何故か家電業界には店の人間は何もしないというしきたりがある。


陳列している商品が入れ替わる時でも基本お店の人間は何もしない。


棚割は定番制なので本部商談で決まったスペックを優先して並べられる。S定番は大型店、中小型店とも必須。A定番は大型店は必須、中小は選択。B定番は店の規模を問わず選択とかね。この選択がある商品が売り切れ廃番になって次の商品を入れる時に、シャープにするか三洋にするかビクターにするかというのは悩ましいけれど、其れを決めるのは売り場の担当者である。このような状況が生まれた時に、シャープを選んで頂けるように努力するのが各メーカー営業マンの仕事である。そこでめでたくシャープが選ばれた時は、新製品の受注となるけれど、受注⇒納品となってもお店の人間は何もしない。


選ばれし商品のメーカー営業マンがいそいそとお店に出向いて商品を展示させて頂くのだ。


ビデオデッキとか掃除機とか炊飯器などは気にもならんけど


冷蔵庫とか29インチの大型テレビはとてつもない労働力を伴う。流石に冷蔵庫を並べる時は手伝ってくれたりもするが、其れ以外は基本営業マンがひとりで作業を行うのでしんどい。29インチのカラーテレビは当時は50kgくらいあったけれど、其れをテレビ台を組み立ててテレビを乗っける作業はとてつもない苦痛だった。1番下の置き場ならまだ良いけど、2段目になると地獄。50kgを軽々と持ち上げる力がないとこのような作業は無理だから。2段目ってのが分かるかどうかですけど、1段目はテレビ台の上にテレビを置いて、2段目はテレビ本体だけを棚の上に置く感じ。従って2段目の位置は、人の目の高さくらいになるんで50kgの物体を其処に置くというのはかなり危険な作業でした。


勿論このような商品の展示は、古い商品を新しい商品に入れ替える時も同様だったから。旧型商品⇒新製品への切り替えの時期は地獄だった。テレビではお店の主力となる松下、ソニーは返品⇒入替はないけれど、弱小メーカーの三洋、シャープ、ビクターはこのような旧型商品⇒新製品への展示入替は本部指示により決められた作業だった。


誰も逆らえない。

 

商品の展示シェアを拡大し、販売量を拡大するためには本部商談の可否が重要な分岐点だったので、旧型商品の展示品返品を受け入れても「新しい商品を入れたい」という本部商談窓口の思いは、本社の意向とも合致していた。松下、ソニー、東芝は展示品の返品は拒絶したけれど、シャープ、三洋、ビクターは拒絶すると販売機会を大幅に失う。本社レベルでは容認した商品の入れ替えですが当事者としての営業所長及び営業マンにとっては耐えがたき苦痛。営業所長は展示品を整備するためのGR整備費用を自己負担せねばならんし、営業マンは入替に伴う労働力が殊の外苦痛だったから。本部商談が上手くいかなければ、定番の上位に食い込めないのでC⇒B、B⇒A、A⇒S定番になるように努力してくれないと困る。其れが故展示品の返品受け入れも容認せねばならんという意向は分かるけど、問題は


本部商談で返品となることが決まっていても


営業マンが返品の申請を行うと営業所長の機嫌がすこぶる悪くなるという事。悪く言えば八つ当たり。このような板挟みにあうのが日常茶飯事だったので、もうやってられへんわって感じ。定番での上位ランクを獲得するために本部は色々と苦労して商談をまとめてくれるけど、其れを実行に移せば営業所長からメッチャ怒られる。営業所は独立採算制というコンセプトがあって、展示品返品に伴うGR整備費用が営業所の利益を圧迫してしまうから。

 

100kgの冷蔵庫とか50kgのカラーテレビの商品入れ替えには相当の労働力を伴うし、営業マンにはそれ相応の苦労が強いられるけれどそれでいて、営業所長の八つ当たりを食らえば面白くないことこの上ない。通常の商品はまだ良い。1番困るのは季節品で夏は扇風機と冷房専用エアコンと冷風扇。其れが9月になると冬物商品の本部商談が始まって、石油ストーブ、石油ファンヒーター、電気カーペット、電気毛布、加湿器の納入が始まる。


9月には夏物商品の展示品、在庫品が全て返品となり冬物商品を納品する。

4月には冬物商品の展示品、在庫品が全て返品となり夏物商品を納品する。


1店舗ならええけど。僕は20店から25店舗くらい担当していたので、それはそれは大変よ。


<NEBA加盟店>
当時の本部商談とはNEBA加盟店のバイヤーとシャープ家電販社の本部窓口の人間若しくは本社の人間が商談を行うこと。1度だけ名古屋ビルに本社の人間が来て、量販店のバイヤーと価格折衝をしている場に同席させて貰った。NEBAは1968年に家電量販店の組織を作ろうとして発足。最初は79社、のち96社まで膨れ上がったが徐々に減っていって、2000年代にはその幕を閉じた。家電量販店各社は、メーカーによる人的ヘルパーの強要で徐々に販売競争力を失ったと言われている。販売応援の依頼により売ってもらうことが常習化した店は、自分で販売するノウハウとか力が弱くなっていったというのが業界の見方である。NEBAに加盟しなかったYAMADA、KOJIMA、KSが今の家電量販店の主体になっているのは皮肉である。当時の序列は

1位ベスト電器(九州)
2位ダイイチ(広島)
3位ラオックス(関東)
4位上新電機(大阪)
5位マツヤデンキ(大阪)
・
・
8位栄電社(愛知)だった。ここにYKKの名はない。

 

半田とか武豊には
関西電波半田店、ユニー半田、ユニー武豊、エイデン半田店、カトー無線半田店、ホーエー家電半田店。

この辺のパチ屋は
有楽住吉、キング半田、有楽口田、有楽武豊、公楽乙川

右回りする日は
ユニー常滑、名鉄常滑、マツヤ電気つつじヶ丘、ホーエー家電新舞子から、ユニー太田川、カトー無線東海、
石橋東海へと渡り

この辺のパチ屋は
100マン$3と100マン$5。サンアポロ、ゴールド7、パチンコ三洋、プレイランド大京、あとひとつ名前忘れたけど大京以南にもう1店舗。更に南下して南加木屋には柿畑一番館という名店があった。

 

1番大きな問題点は刈谷にあったかな。


お店は担当営業マンに、日曜日には販売応援に来いって指示するから。水曜日と日曜日の週休2日制。土曜日は毎週出勤日という事で営業活動をしていたけれど、1番困るのは店長クラスの人間から販売応援に来いと言われる事。日曜日に販売応援に行くと、代休をとるから水曜日以外の平日に休むけど、そうすると販売店から電話があった時に対応する奴がいないんで、営業所長がカンカンになるわけよ。休んだ翌日に出社すると営業所長の檄が飛んで、思いっきり怒られるからもう休めないって。


日曜日の販売応援に行くと
代休の代わりの手当ては出さんという


だから代休を取得すると、申請時にはOKしておきながら問題が起きると翌日には死ぬほど怒られて、代休なんか取るなって言われるから手当は出さんけど、代休も取るなってことになり途方に暮れる。だから販売応援に来いって言われると、都度お店の人間とは揉める。何のために休日出勤するんか分からんけど、唯一の大義名分は


自分の売上に貢献するって事かな。

 

代休も取れん。給料も出ないただ働きだけど、シャープは売り上げの詰めが厳しいから日曜日に販売応援に行って自分が50万円くらい売れば其れなりに注文もくれるやろってこと。そこまでして売上予算を達成せねばならんのかって思うけど、当時のシャープの営業マンは、自分の売上予算を達成する事が、今でいうなら「大谷選手がホームラン打つくらい嬉しい」らしくて


給料なんか要らんから、自分の予算を達成したいという人が殆どだった。ほぼ会社に洗脳されてます。


日頃から営業所長とか所轄の上司による、売上の詰めが厳しすぎて、それから逃れることができるなら給料なんかどうでも良いから1円でも売り上げが欲しい。売上予算を達成するという使命感が強くなったのは、毎日毎日厳しい売り上げの詰めを行った営業洗脳によるものだった。自分が半田から岡崎に転勤になった折、トヨタ生協を担当していた営業課長さんが、毎週日曜日にはただ働きで販売応援に出向いていたけれど、其れが当たり前だと思ってるって言ってたのを聞いて。何で販売応援に行かんの?って諭された時は自分にはない感覚やなって思うしかなかった。其れは長年売り上げの詰めに追われていて、毎日の営業だけでは事足りず、ちょっとでも自分で商品を売ってきて売上予算達成するのに貢献したいという気持ちに


追い込まれて行った末路だったと思うんです。


これは考え方というよりは、営業洗脳ですね。


そういった洗脳に慣れた人間ばかりが、会社に居残って出世していったのでその伝統が代々受け継がれるわけ。自分が若い頃はそうした。だからお前も従えと。


ホームセンターとか生協ならそういうやり方も絶対ないとは言い切れんけど、僕の場合は家電量販店がメインだから事は単純ではなかった。自分の担当店では


ユニー⇒ダイイチバルザ(広島のダイイチとの業務提携)
ユーキチ⇒今のドミーホームセンター
早川電気商会⇒個人の販売店。当時はバッタに横流し


この3企業は、商品センター(倉庫)を持っていなかったから販売応援による売り上げ⇒自分の売上に繋がったけれど、上記以外の家電量販店は、専用の大型倉庫を持っていて購入した商品は一括倉庫に保管していた。本部商談で、沢山商品を買うと安くすると言われてバイヤーは大量に商品を抱える訳。するとお店には〇〇の商品に関しては、営業所には発注禁止で商品センターに発注するようにと指示を出してしまうから。本部商談で沢山買って貰った拠点(名古屋では山王ビル)は良いけれど、個別の営業所はシャープの商品が売れても営業所に注文が入らずに、商品センターに注文が入ることになる。俺が売っても俺の売上にならんがな。

 

名古屋山王ビルは当時は第二営業部


第二営業部ばかりに売り上げが集中して、各営業拠点に売上が入らない。これでは不公平だからたまには「割り振り」と呼ばれるものがあって全体売り上げの何割かが月末に半田営業所の売上として計上されるけど、其れは毎月決まった額ではなくて第二営業部の売上が順調な時は正当に割り振られ、第二営業部の売上が困窮すると割り振りはないという理不尽なものだった。


あー半田営業所の売上というのは私個人の売上って事ね。第二の売上が1000マンあったら、半田営業所の売上が30マンから50マンくらい売上伝票が計上されるって事。極僅かな割り振りを貰うために月末には、今月の「割り振り」いくらありますかねって交渉をせねばならんけど交渉してもせんでも、ゼロって事も結構あったから。そうなると


何のために販売応援に行ったのかわからせん。


①栄電社(エイデン⇒EDION)は西三河発送センター(マルハン安城の近く)、西春発送センター
②ホーエー家電は小牧のタイセー倉庫
③関西電波は三重県の倉庫
④イトーヨーカドーは関東の倉庫


各企業にはそれぞれの大型倉庫があり、其処に一括購入した商品を納めて各店舗からの受注に対応する。一括購入した商品を営業所に発注してしまうと、倉庫の物量が減らないので基本的には「倉庫」への発注となります。だからこのような企業に対する売上は営業所レベルではコントロールする事ができない。勿論一括購入した商品以外は、営業所に発注が来るけど其れでも本部商談以外の営業マンにとっては理不尽だと思うしかないですね。売上の詰めが厳しい企業の割には、公平性を欠くやり方だと思うので当時は大問題だった。


だから①から④までの企業はあまり相手にせずに、ユニー、ユーキチ、早川で売上の核を作ろうとした訳。


刈谷にホーエー家電かりがね店というのがあって


其処の店長が僕を一人前にしようとしてくれたんだと思うけど、兎角販売応援の要請がしょっちゅう来るので良く喧嘩した。ここまでのことを考えると、僕がかりがね店に日曜日に販売応援行く理由なんかひとつもないでしょ?強いて言えばお店と僕との人間関係を考えるってことだけど、一方的に「販売応援」という理不尽な要請に応じ続けるのは正しいとは思えない。何年か前にダイエーかどっかで同じようなことが社会問題となり、クローズアップされてメーカーの人間による店舗応援はダメ出しされました。当たり前のことと思います。お店が営業マンに給料を支払う訳でもないのに、なしてお店の人間が取引先に対して無償・無給の人的応援を依頼できるのか?このような理不尽な要求は却下されてしかるべきだと思うけど1980年代から1990年代までの日本にはこのような悪しき習慣が成り立っていた。


大量生産・大量消費の時代にはこういう事が日常的にあったんですね。

 

かりがね店とは、販売応援に行く行かんで喧嘩して揉めて決裂。意図的にしばらく疎遠にしてたけど、ほとぼりが冷めると何かのきっかけで仲直りして店長と飲みに行く。飲みにいくどころかこの店長は大の女好きだから、刈谷のいかがわしいお店に連れてってくれた事がたびたび。ヘルス?って言うのかな。本番はNGだけど、上と中はOKで最後は女の子が手でごしごしやって抜いてくれるって奴。上はキスで中はオッパイ。僕が望んだわけじゃない。この店長が行きつけの店に行こうってんで無理やり連れて行かれただけだよ。勿論彼のおごりで。元々食品の営業マンをやってた人で食品業界は販売応援に行くのが当たり前でやってたらしいから、その習慣を俺様に持ち込もうとするわけ。だけど僕としては上述したような理由があるから


代休不可
有給不可
手当もなし
売上にも貢献しない


やってられないから何度も説明したけれど、分かって貰えなかったなあ。


僕としては、かりがね店はホーエー家電の中では1番思い入れが強いけど良くもあるし、悪くもあったお店。シャープの営業マンとしてやってけるかどうか。営業とは何ぞやという事を教えて貰ったので感謝してることもあるけれど、販売応援に関しては絶対に譲れなかった。販売応援に渋々行った事も1回か2回はあったけど、その姿を見かけたこの店のお客さんが、「お前のことが気に入ったから付き合ってくれ」って頼まれたこともあったけど、まあまあ美人だけど僕の好みじゃなかったんで色好い返事はしなかった。この手の自慢話はどの店に行っても多少なりともあったから許せみんな。当時はモテモテだったから。


店長補佐がかなり優秀な奴だったんで、色々と勉強になったわ。販売応援を断る術も教えてくれるようになったし、店長とは異なる視点で営業マンとして僕の成長を育んでくれた人。だけどその人は店のお金を使い込んでクビになっちゃったんで人は見かけによらぬもの…そう思ったらかりがね店を放り出されて碧南辻店の店長補佐になってたからワロタ。碧南に行って1度だけ4人麻雀やった事がある。優秀だけどちょっと変わった人だった。


碧南辻の店長もクセは強かった。

新舞子の店長はメッチャデリケートな人。パーラージャンボのすぐ近く。

半田の店長はよく分からん人

東刈谷の店長はイケメンだけど商売熱心ではなかった。


ホーエー家電は5店舗担当してたけど、今では全部BOOK OFFみたいなお店に変わってます。

 

売上の事を考えると東海市からは


早川電気商会(大府)
サンテラス刈谷(ダイイチバルザ刈谷)店
ユーキチ東浦

この3店舗がメインでしょっちゅう行ってました。時間がある時だけ、ホーエーかりがねと東刈谷まで遠征。


大府にはろくなパチ屋がなくて、この辺では刈谷が中心。ご存じマルシン777(刈谷)とタイホウ刈谷店(今はない)。名古屋から知立バイパスに向かって有松インターを降りると、中京女子大があって尚も真っすぐ進むとラッキープラザ大府があって、その先に中手町という三差路の交差点がある。

 

 

中手町の三差路を真っすぐ行くと新富町の交差点があり、これを右折するとABC刈谷店に出くわす。新富町のすぐ東にマルシン777があり尚も進んだ先にかりがね店があった。中手町交差点を南下するとタイホウ刈谷店があって、その先をずっと南下するとメガガイア刈谷(今のZENT刈谷)店があるけどね。

 

この地図で見ると中手町を南下してタイホウ刈谷店があって、新富町の隣にはコンコルド刈谷店があって、そのすぐ東側にマルシン刈谷店があった。あとサンテラス刈谷のすぐ近くに名前忘れたけど1店パチ屋があって、その店ではロボスキーばっかりやってたなあ。


①タイホウ刈谷⇒コスモⅡとエキサイト麻雀
②マルシン刈谷⇒ハネモノ三昧
③コンコルド刈谷⇒ハネモノが中心
④サンテラスのすぐ近く⇒ロボスキー(ハネモノ)

これがロボスキー。私この台はロボコンをモチーフにしたんかと思うてましたけど、ロボット&スキーの板のような動きをするんで脚を潜り抜けてVに入ったって思ったらスキーの板がグニュンって曲がってVを外すとかね。兎に角Vが甘い遊技機だったけど、SANKYOは割とV甘のハネ物を出すことが多かった。Vが甘いSANKYOのベスト3はロボスキー、うちのポチ、道路工事だな。今見るとこの台の2チャッカーゲージはめっちゃ甘いですね。大して釘が開いてなくても打ち止めすることが多かった遊技台。記憶が定かではないけれど、この台だけはサンテラス刈谷で一仕事終えてから何回かは遊技したはず。仕事中にパチンコをやった数少ない経験だったと思います。其れくらいこの機械には入れ込みました。
 

刈谷ではこの4つくらいですかね。
 


右回りの日はこれでおしまいだけど、左回りの日にはまずは碧南、高浜から。


栄電社碧南店、石橋碧南店、ホーエー家電碧南辻店、ユニー碧南、ヤオハンベスト高浜店、栄電社高浜店


この辺のパチ屋は
碧南の天王、高浜のダルマが中心


碧南・高浜では栄電社高浜店がナンバーワン。この店は元々松下のショップ店だったけど、FCとしてエイデンの傘下に入ったお店。FCというだけあって店主とその奥さんが僕に良くしてくれた訳。RC店の栄電社はクソだけど、FCなら話しは別で例の倉庫への発注など無視して、販売応援に行った時は全部僕に注文をくれる訳。お前が応援に来てくれとんのに、発送センターなんかに注文できるかと言われて涙する。私はこの店の店主とその奥さんに好かれていたのでこういうことを言われると、このお店だけは販売応援に来ても構わないと思っていた。有難いお店だった。今はBOOK OFFに変わってるけど。


つまり全部が全部機械のようなつながりではなかった。


FC店というのはお店独自の考えがレギュラーチェーンとは異なるので、極稀に商売心を揺さぶられる思いもした。早川とかユーキチとかエイデン高浜とか、カトー無線東海とか、関西電波半田では人間対人間の有難みを感じることも少なくなかったですがね。ダイイチバルザとか高浜以外の栄電社とかホーエー家電とかは販売応援を要求するばかり。つまりは自分にとって都合の良いことしか要求しない奴ばかりなのでクソッタレも良いとこ。

FC⇒フランチャイズチェーン店。ロイヤルティ払って看板を貰う
RC⇒レギュラーチェーン。本社直轄の店
エイデン高浜、マツヤデンキ刈谷とつつじヶ丘、ヤオハンベスト、イトーヨーカドーはFC。ホーエー家電の5店舗は全てFVC。巷にあるコンビニは殆どのお店がFC。


①ダイイチ(ユニー)⇒刈谷、太田川、東浦、常滑、半田、乙川、碧南
②栄電社⇒半田、碧南、高浜
③イシバシ⇒東海、碧南
④カトー無線⇒東海、半田
⑤関西電波⇒半田
⑥マツヤデンキ⇒半田、つつじヶ丘、刈谷
⑦ホーエー家電⇒半田、碧南、かりがね、東刈谷、新舞子
⑧ユーキチ⇒東浦、大府
⑨早川電器商会⇒大府
⑩名鉄ストア⇒常滑
⑪ヤオハンベスト⇒高浜
⑫イトーヨーカドー⇒刈谷

全部足すと28店舗もあるけど、このうちの20店舗くらいを担当してた。ただこの28店舗の中で、ユニーは店としては刈谷と太田川はアピタと名を変えて建物はあるけど、家電売り場としての「バルザ」は残っていない。其れ以外の店で残ってるのは早川電気商会とマツヤデンキ刈谷店とドミー東浦店だけなんですねえ。


ダイイチ⇒アピタとして刈谷、太田川存続
栄電社⇒上記3店は閉店(エイデンからエディオン)
イシバシ⇒廃業
カトー無線⇒廃業
関西電波⇒GEO(ギガスカンサイはケーズの子会社)
マツヤ電気⇒刈谷だけ存続
ホーエー家電⇒BOOKOff(企業存続ベリーズ)
ユーキチ⇒ドミーとして存続
早川電気商会⇒東芝の店として存続
名鉄ストア⇒閉店
イトーヨーカドー⇒閉店


家電量販店として残っているのは、マツヤデンキ刈谷だけですね。この店がどこにあるかというと、中手町三差路の南側。昔はトリイ、今はAOKIがある店舗の隣です。早川電気商会は元々が東芝の店で当時の店主の2代目が家業を引き継いでると思われますが、家電量販店ではありません。家電量販店としては27店舗もあったお店が、今も尚残ってるのが1店舗しかないってのは隔世の感ですね。家電という分野はメーカーも弱くなったけど、其れを売る販売店も弱くなった。今では関東のYKKとエディオンが幅を利かせてるだけで、其れ以外はみなダメになりました。※関東のYKKとは、山田、加藤、小島のこと。

 

朝事務所に降りてくるとまずはタイムカードを打刻して9時から作戦会議を実施。作戦会議というよりは今日の売上自己申告なので1日で最も嫌な時間帯だ。販売店からの電話にも追われ、営業上司からの売上指示にも追われ忙しく本日の「メニュー」を書き始める。

19CR2B×5
25CM2B×3
VC200B×5
VCL860×2
RE810W×2
SJ80WB×3
AH2200×5
CJA300B×5
AN500×5


とか適当に見つくろって。販売先と販売する商品名をずらずらと書き出して上司に報告する。

19Cとか25Cはカラーテレビのこと。数字は各々のインチ
VCはビデオデッキでVCLはビデオカメラ
REは電子レンジでSJは冷蔵庫
AHはエアコンでCJは電話機。AN500はツインファミコンだ。


上司が言う。これじゃあアカンよ。100万くらいの売上にしかならない。今月のノルマを考えると、お前はもっと売ってこなイカンとお許しにならない。見積もった金額が少ないと上司が許さんし、かといって上司の満たす金額を提示すると、そんなもん今日1日で売れっこない。適当に見つくろうったって、売れそうな見込みのある商品を書いている訳だから書きゃ良いってもんじゃないのよ。伊藤課長の言い分と僕の主張が折り合うまで言い合いは続き社を出る頃には既に10時くらいになっていた。


あー、今日も地獄の1日の始まりだ。


右回りにするか、左回りにするかだけ決めているので今日は碧南・高浜から。そうやって毎日、毎朝150万売りますみたいな誓約書を書かされて営業所を出るけど気が重いに決まってる。そんなに売れっこないから。車は軽トラ、極稀に事務所の女性スタッフが伝票を打ち間違えて届けなアカン冷蔵庫を出荷指示するのを忘れることがあったから。店は今日中に届かなアカンとクレームが入るけど、商品の発送は専門のトランコムがやることになってるから出荷指示を忘れると発送業者は頑として言う事を聞かない。そんな時は僕が豊川倉庫まで車を飛ばして冷蔵庫を荷台に乗せて、お店まで運ぶもんだから軽トラじゃなきゃダメなのよ。冷蔵庫に紐がけして固定することを「万力結び」と言ってた。この万力結びができないと冷蔵庫は運べない。


営業途中でパチンコを打つのはかなり難しいやね。


売上が届きそうにないと分かると、矢も断てずに次から次へとポケベルが鳴る。携帯電話じゃないのでベルが鳴ると、公衆電話ボックスを探して(大体場所は把握してるけど)電話を掛ける。営業所長の怒鳴り声が電話口に鳴り響く。けたたましい。うるさいわボケって思いながらもハイハイと返事して「頑張って売ります」みたいなことを言って電話を切る。しょうもない電話だ。売上が届いてないくらいの事は分かっとるわお前に言われんでも。大体〇〇売りますみたいなことを言っててもその通りに売れるはずがないんで


「お前150万売るって言ったやないか。まだ70万しかいっとらんぞ。150万売るまで帰ってくな」


ギャーギャーとうるさい。この電話対応が四六時中あるから、営業中にパチンコなんてやっとれんて。


店回りと偵察はするけど。

 

19時くらいに事務所に戻ってそこからが今日の反省会。「お前150万売るって言って出て行ったのに、今日は120万しか売れんかったぞ。この30万の齟齬を説明せい」。って言うんで色々と今日の成果を語る訳。エイデンは20日締めなので締め前には発注しぶるからアカンかったとか。ダイイチはテレビ担当の発注予算が一杯で、在庫分を押し込めんかったとか色々言い訳しながら2時間を過ごす。売上の詰めが始まる。


勿論自分に落ち度を感じることは度々あった。「今日第二の塚本がダイイチのRE-110Wを回してくれんかって言ってきた。他の店では売れすぎて商品が足らん足らんといってるのに、何でお前のお店だけは売れ残ってんねん」。売れ筋商品がだぶついてるのは半田営業所だけで、他の拠点はみな販売店に在庫を押し込んでるから。押し込めない僕の押しの弱さに問題があったのだろうと思う。結局議論するのはそういう事で、向こうもバカじゃないから売れるだろうという商品×販売店の組み合わせを十分理解しているから、其れに対して押込みが弱いとお前が悪いと指摘される。


既にお気づきと思うけど、シャープの営業は売れ!じゃないからね。押し込め!だからね。


売れるのはお嬢さん営業で、押し込めが本当の営業。この時期にエアコンは品薄でもうすぐどこも無い無いと言い出すから、今の内在庫持っとけよって押し込むのがセオリー。其れができてるかできてないかは、私の担当店の売り上げを見れば大体分かるってのが上司の理屈で、其れをどうやって言いかわすかが俺の仕事だった。毎日がせめぎあいだ。上司も理由もなく売り上げの詰めをする訳じゃない。他の営業マンは売って来とんのに私の其れが弱かったら、弱い部分を徹底的に攻め込んでくる。言われるだろうことはこっちも大体予想がついてるから、その話になったらどうやって「売れない理由」を答えるかを1日中考えてる訳。


そうやって毎日19時から21時までみっちり売上の詰めが続く。


毎日のことだからこっちも体が慣れてくる。事務所を出た時から、店に着いたら肉体労働やらされっ放しだし、事務所に帰って来たら売上の詰めにどうやって対抗するかの「応酬話法」の連続だ。これが1年間延々と続く。正直もうしんどい。会社辞めたい。いや止めなければもうすぐ死ぬだろう。身体が持たんし心も持たんよ。其れが1月から12月まで。


しんどいなあ。営業所長はその上に詰められるし、営業課長は所長に詰められる。営業マンは営業課長に詰められる。販社にいる人間は事務担当じゃない限り皆「売上の詰め」に追われて1日を過ごすし、1ケ月を過ごすし、1年を過ごす。ほぼ毎日売上伝票の事を考えてる人生なので、私の20代は暗黒の歴史だ。遊びというものがない。時間のクリアランスというものがない。売上予算は毎月3000万くらいだったと思うけど、その3000万を日割りで計算すると1営業日平均で150は売らんといかん。私の20代はこのようにして売上の詰めだけで8年間を過ごした。勿論20代だったから、其れなりに悪事は働いてたので全部が全部悪いことではないのよ。ユニーを担当してたので、夏休みには決まって女子大生がアルバイトにやってくる。私は取引先の女性には手を出さなかった。付き合えば逃れられないような気がしてたので全く恋愛感情は抱かなかったけれど、その反面アルバイトに来た女の子にはちょっかいを出す訳。サンテラス刈谷にバイトに来てた子が割と可愛い子だったのでデートに誘おうとすると「誘ってくれないんですか?」って言われてありがとう。この子は豊明の桶狭間辺りに住んでたけれど、その子の家を送り迎えしているときに豊明ってのはめっちゃ不便やなと痛感した。旧東海道を通る道。基本山の上に家があり、全ての道路が1号線に集約されちゃってるので何処に行くにしても渋滞なのよ。この子はお兄さんがリコーの営業マンだったんで親近感を感じたけれど、女性の方が遊びたがり屋で、私の方は売り上げの詰めで疲れてるから相手の要求には答えられなかったなあ。短いお付き合いでした。乙川にも可愛い子がいたので手を出そうとしたけれど、勤務中に大学の宿題をやってたから其処に狙いを付ける。英語を翻訳する課題だったので、俺が翻訳してやるわと言って宿題を手伝ってあげる訳。その子が持ってる英語の本を家に持って帰って日本語に訳して返すと喜ばれました。基本、取引先に来たアルバイトの高校生とか大学生が私の標的ですがね。毎日の仕事が肉体労働と売上の詰めにより厳しすぎるので、偶にはこういう事でもしないと身が持たなかったってのはあると思う。幸いにもあんまり断られた経験はないけれど、日常の仕事が厳しすぎたんでひとりの女性に深入りしデープな関係になることはありませんでした。本田さんとの付き合いも、アルバイト女性との付き合いも「息抜き」って感じでしょうね。其れくらいすがるものが欲しかった。


話を元に戻すけど

毎日毎日朝9時から夜の9時まで働いているうちに、段々と疲れてきた僕は朝起きれんようになってしまったんですわ。

 

4階建ての事務所で3階と4階は、今は使っていないから俺たちの寮として機能したのもまずかったと思う。事務所の4階に住んでるものですから、朝は8時45分に起きても間に合っちゃうって思ったら朝起きれんて。夜の9時まで売り上げを詰められて、終わってから飯食うと10時。風呂入ると11時でそれからが私の時間。プロ野球ニュースを観ながらしばし自分の時間と思うと夜中の2時くらいになってたな。其れで眠りにつくと朝起きるのは容易でななかった。最初は起きようと努力してたけど、其れが常習化すると段々と罪の意識も軽くなり慢性化して行ったわけ。朝の9時んなっても僕が事務所にいないと営業所長が伊藤課長に、見に行って来いとい檄を飛ばす。伊藤課長がドンドンドンドンとドアを叩いてようやくお目覚めだ。週に2回は遅刻するから、普通の人間だったら何とかしようと努力するんだろうけど、その辺が腹が座ってるのか、メンタルが強いのか?ずぼらな僕の性格は


どうせ伊藤課長が起こしにくるから


無理して起きなくてもええんじゃないのと


まあ会社に対する不満もあったし、どうせ数年後には辞めようと思ってたから「朝起きることを」諦めました。結局南極半田にいる間は、週に2回の遅刻は直らずに転勤の辞令が出たのが1991年の年度末でした。真面目な性格なら、この会社で20代を全部無駄にするって事にはならないんだろうけど、その辺が8年も続いた理由でしょうかね。ここまで会社がブラックだと普通の人間なら1年も持たん内に辞めると思うけど、元々メンタルが強いのか?何にも感じない人間なのか分らんけれど、遅刻が常習化する過程で、どうせ伊藤課長が起こしにくるんやから、起きんでもええやんって開き直るところがおもろいわな。この伊藤課長という人は、僕が半田営業所に赴任した時に、最初にスカイホーム(ホームセンター)に連れて行ってくれた人。営業所長が、まずは「伊藤君、〇〇君を面倒みてくれんか」と言ってスカイホームでの店頭販売並びにお店の仕事を覚えて来いと指示をしたから其れに従った。その日のうちに僕は、スカイホームにアルバイトに来てた女性二人にちょっかいを出して会社の寮まで連れ込んでしまった。相手はまだ高校生。いや高校生が大人の住み家に興味を持ったらしくて「どんなとこ住んでんの?」という興味本位で僕の部屋に来ただけで別に恋愛感情があった訳ではないのよ。然しながら女二人を連れ込んだことが先輩にバレて、伊藤課長の耳に入って僕は死ぬほど怒られたんだ。


「お前バカか。お店にとって女の子は商品なんだぞ。商品に手を付けたらアカンに決まっとるやろ」


と説教されて悶々とする。このことが公になり、僕は営業所の皆から「お前は宇宙人や」と言われるようになってしまいました。とんでもない新人が入ってきよったわ。そんな感覚よ。因みにこの高校生二人が愛知県に来てからの、僕にとって初めてのデート相手となりました。場所は犬山。この二人が「お菓子の城」に連れてけってうるさいんで渋々OKした次第。愛知県の北部に小牧市というのがあって更に北上すると犬山城。その近くに竹田製菓が主催するお菓子の城があって、この高校生二人が興味津々で断るにも断れず一緒に行ったという事。名鉄楽田という駅を頼りに電車と徒歩で行ったけど、お菓子の城というよりは、お菓子工場の見学という感じ。まあ高校生二人がキャッキャ、キャッキャと喜んでいる姿を見てこれも社会勉強よ。半田営業所に赴任したての頃はまだ20代の前半やったから、僕はイケイケの乱暴者でしたね。何年か前に山口達也さんが、強制わいせつ罪で書類送検されたって事が大々的にテレビでやってたけど、僕も今ならわいせつ罪で捕まってもおかしくない程度のことはやっている。会社に赴任して間もない頃、営業所長が新入社員歓迎会を事務所の隣の「大将」っていう飲み屋でやってくれました。洋子さんと別れて数か月経ってたんで僕はかなりムラムラしてたんですわ。酔っ払ってトイレに行くと、そこには会社のエンジアリングで受け付けやってる子に出くわして。話したこともない相手やのに、何故か僕はこの子とキスせなアカンという感情になってしもうていきなり抱きしめてブチューっとディープキスを5分間くらいやっちまいました。其れをエンジニアリングの所長に見つかってあとで怒られる訳ですけど、この時は相手が拒まなかった。あとで知ったけど、この女の子は酔うとキス魔だそうで、あんまり拒まないらしい。当然この日の出来事も女性から僕に文句をいう事もなかった。大体駄目なら5分もキスさせてくれへんやろし。このことは営業所内で大事件となったけどここでもまた、僕は「宇宙人扱い」されて周りからは変な目で見られるようになっていきました。当時はお咎めなしだったけど、今だったら女性の身辺が騒ぎ立てて事件にするかも知れへんし、僕はわいせつ罪で書類送検されたかも知れんわな。この当時は新人類って言葉が流行ってましたけど、まさにその類ですな。


半田の暴れん坊ゴーニィでした。
 

 

この遅刻の問題は1番の根っこは事務所内に住んでたことがまずかったってのは後で分った。量販店の営業マンは全て岡崎支店に集めようという事になったので、量販担当の4人は皆半田から岡崎に移動になる。転勤といったって住む場所が変わるだけで、担当するお店はそのままだったので今まで通りの営業活動な訳ですが、夜の詰めが減ったのと、事務所を離れた場所にマンション借りて寮として住むようになったので遅刻はピタッと止まりました。今まで毎週、週に2回は遅刻してたのが岡崎に移動になってからは遅刻はゼロ。やっぱ4F⇒1Fに降りるだけでええという時間の甘えが遅刻に繋がっていたという事。仕事が終わって自分の自宅まで帰って過ごすと、朝早く起きなきゃって思うので直りましたね。心の問題というのはかくも大きな意味を持つのかという事を知りました。

 

営業として赴任した時は、実は量販担当ではなくてショップ店担当でした。


シャープの看板店をフレンドショップ(FS店)と言います⇒一般ルート若しくはAルート
NEBA加盟店、非加盟店、HC、ディスカウントショップ⇒量販ルート若しくはBルート


最初はAルートの営業マンとして起用されたけど、売上の比重と利益の比重が徐々にAルートからBルートに移行するようになったから半年くらいで僕はBルートの担当マンに変わりました。AルートはFS店が売上の中心だけど、松下のショップ店とか日立、東芝のショップ店にもアプローチします。容易には松下のお店にシャープの製品を陳列するってことはさせてくれないけど、極稀にテレビの売り込みに成功することもあった。大抵このようなことが起きるのは、一時的に店主が看板を上げてる企業に対して大いに不満を感じてる時。其れを感じ取ったら集中攻撃するって感じ。


Aルートの方が商品の利益率が高いので、元々はAルートが営業の柱だった。


FS店に対しては⇒マルS×0.8掛け
量販店(栄電社)⇒マルS×0.7掛け
栄電社以外の量販店⇒マルS×0.75掛け
ホームセンター⇒マルS×0.75掛け


マルSは昔の店頭販売価格。メーカー希望小売価格が6万円だとすると
マルSは49800円
順に仕入れは39840、37350、34860円

となるとユーキチ辺りはマルS破壊して、勝手に39800で売るからFS店はお手上げよ。


仕入れ価格をみて分かるように、FS店は49800円で販売するけどHCとか栄電社は39800円でも売れんことはない。39800円のチラシが出ると、そのチラシを持ってきて私等もその値段で売れるようにしてくれって文句を言ってくる。39800円の販売価格なら、自分たちの仕入れ価格よりも安い値段なのだから商売が成り立たないのは当たり前だ。こういう二重価格の問題でFS店と担当営業マンとの間で揉めるのは日常茶飯事で、これに答える解決策はなかった。物の値段の法則は購入数量に反比例するから。栄電社の倉庫に数百個一括購入する商品と1個単位でしか物を買えないショップ店との仕入れ価格が同じになることは有り得ないから。其れじゃあ店頭販売価格が一律同じになるように、メーカーが販売店に指導しようって事になるけれど


商売は自由競争が当たり前


だからメーカーが如何にして店頭の販売価格を同じにしようとしても、値引きする店が現れる。メーカー側はマルS遵守してくれる販売を希望するけれど、お店は他店をだしぬいて安い店頭価格を提示すれば売りやすい。安いチラシが氾濫するのは当然のことなのでAルートの営業は徐々に販売数量も利益も取れなくなっていった。攻められるAルートに対してBルートは常に売上予算を達成する優等生だから、月末付近になると毎夜お通夜みたいになるAルートの営業班と、売上予算を達成して嬉々とするBルートの営業班との温度差が痛ましい。別にBルートの営業がAルートの営業よりも優れてる訳じゃない。だけど会社も営業所長も「売上」がいくかどうかが命なので、売上未達に終わった営業マンに対しては犯罪者のような扱いになる。


売らないことは犯罪だ。


売れるなら客を騙しても構わない。売れるなら素行の悪さもOK牧場で何をしても文句を言われないけれど、売上が未達に終われば如何に優秀な人間でも「ゴミ」みたいに言われるので当時のAルートの営業課長とか営業担当の皆さんは理不尽な、攻撃によって心を痛めたと思う。二重価格の問題で売上が未達に終わるのは明らかなのに、其れに対して具体的な「策」がゼロの営業所長の頭では其れについていくAルートの営業は毎月毎月、月末になると泣きたくなろう。恐らくはAルートの営業は毎月予算に対して85-90%くらいしかいかなかったんじゃないかな?Bルートの営業は95から105%くらいなので格差は大きかった。


だからこそ、トヨタ生協の担当課長が


「何で販売応援に行かんの?」って発言になるんだろうけど、給料も貰えない労働で売上を上乗せして売上予算を達成する事が本当にその人の為なのか?って自問自答は私の中にはありました。


1.代休は取れない
2.手当も出ない
3.売っても商品センター発注する仕組み


全ては自己犠牲によって成り立つ「売上予算の達成」。自分がタダ働きで日曜日にも仕事して売上を稼いでくれば、ほんのちょっぴり予算達成に貢献するけれど。月末に予算3000万の営業が2995万円という成果で終ろうとするときは、「商品を買えよ」と強制してくる営業所長。あと5万円じゃないか?あと5万くらいならお前がテレビを買って穴埋めしろよってことだと思うけどそんな自己犠牲で売上予算を達成することが、本当に僕の為になるのか?


毎週無給の販売応援に出向いて自社商品を売る
毎月あと5万円の壁にぶつかると商品を買って予算を達成する


こんなことが許されて?

 ブラック企業だと思うけどな。今では考えられんくらいの塩対応だと思うけど、当時の一部上場企業ってのは「其れが当たり前だろ」くらいの企業倫理だったので、今の20代の人たちは本当に幸せなのよ。1980年代、1990年代を生きたサラリーマンは少なからずこのような地獄の体験をした。営業所長からの拷問を受けても耐え忍び。耐えがたきを耐え、忍び難きを忍ぶ夜。時には本当に涙した。これが人としての生きる道なのか?一方販売店に出向いた時は、ホームセンター、カトー無線、関西電波までは対等な関係で仕事を行うことができたけれど


エイデン
ホーエー
ダイイチ

になると我々営業マンは、販売店の奴隷だった。


販売店の企業力とか販売力が高ければ高いほど、我々は奴隷になる。


「何で販売応援に来んの」
「〆前だから返品して」


売上予算を達成するためには、時として大きな力学が働く。松下、SONY、東芝のことは分からない。されどシャープ、三洋という弱小メーカーは必ずと言っていいほど、月末には「タマ」を用意する。僕らが働いていた頃は、家電製品は在庫を持てば持つほど売れる商品群があったので販売店は其れを欲しがるけれど、メーカー側はそんな商品を卸しても利益にならんから作りたがらない。

 

14インチのカラーテレビ
19インチのカラーテレビ
1800kwの冷房専用エアコン
60リットル以下の冷蔵庫
2.2kgの洗濯機
オーブン機能のない電子レンジ


家電メーカーはできるだけ付加価値のある高額商品を売りたい、作りたい。されどお店はそんなものよりも付加価値のない商品が欲しい。上記のような付加価値のない家電製品のことを「スッポンポン」と言いました。スッポンポンは在庫があればあるだけ売れたので、どこの販売店も欲しがった。だけどメーカーは作れば作るほど「赤字」なので月初には殆ど入荷しない。通常営業ではスッポンポンはタマ確保の隠し玉であり、簡単には売ってはいけない商品という扱いだから常にお店には「ありません」と答えるしかないわけ。ところが月末になって売上予算がいくか、いかないかっていう瀬戸際になると本社の倉庫から


大量のスッポンポンが倉出しされる。


これを本部商談でエイデンやホーエーの倉庫に大量にぶち込むことで、売上予算を達成していた。


この恩恵は営業所にももたらされて月末になると、架空の売上が計上されてめでたく売上予算が達成される。然しながらこのような月末ギリギリの瀬戸際勝負は、物理的に商品を納入するに至らないのでシャープがどうしたかというと


預かり売り上げの計上だった。

 

預かり売上とは、物理的に商品をお店に納入しないでお金だけもらうこと。商品の納入約束はするけれど、今は商品がないから売上伝票だけ計上させてねってことにして売り上げを上げること。其れで月末ギリギリに予算を達成することは少なくなかった。3000万の予算に対して2900万で終わったから、今月はダメだったかと事務所に戻ってくると営業所長が「予算達成したぞ、お前」って言ってくる。営業所長は早川電器商会とツーツーの中なので、月末に飲みに行ってエアコンを20台売ってきていた。商品はない。其れを預かり売上して予算を達成していた訳。そんなやり方で僕の予算が達成されても、嬉しくはないし何よりも営業マン個人の能力ではないと思うけど、預かり売上で予算の達成は個人の評価ではなくて会社の為。


SEHが売上予算を達成するため
各拠点が売上予算を達成するため
営業マン個人が売上予算を達成するため
※SEH⇒シャープエレクトロニクス販売(株)


見かけ上の体裁を良くするために、月末になると赤字の商品を大量に作って預かり売上させる。其れが決算内容に反映することにつながるから、本社の意向は儲からなくとも予算を達成という事でやるわけだけど、イチ営業マンとしては複雑。そうまでして予算を達成することが僕の為になると言えるのか?

 

何故預かり売上がだめかというと、その答えは翌月に出る。早川に売ったエアコン20台が翌月のどこかで商品が入荷して、今度は売上のない商品がお店に納入されるから。確かに先月は自分の売上に貢献してくれたには違いないけれど、預かり商品が預かり返納されるときは


売上も立たないのに、商品だけがお店の倉庫にあるから。


先月は商品はないけど売り上げが立った。今月は売り上げはないけど商品がお店の倉庫にある。預かり返納により、物流業者はお店の1階までは商品を運んでくれるさ。そうするとお店から商品が届いたからはよ来てって電話が入り、僕がお店に到着するとにっこりして、商品を2階に運べと指示する訳よ。エアコンの室外機は30kgくらいあるんですけど、其れを20台も1階から2階の倉庫まで運ぶのは大変だった。お店の人間は誰も手伝おうとはしない。肉体労働は、メーカーの仕事だって教えられている。真夏にエアコンの室外機を20台も1Fから2Fまで運んだら死ぬで。


だから預かり売上で莫大な売り上げが発生した時は、今月は良いけど翌月は恐怖となる。

 

俺が頼んだわけでもないけどな。そこまでして売上予算を達成せねばならんのか?ってことに疑問を感じ、預かり返納が発生すると気が変になりそうになって商品を2階まで運ぶ。シャープ(株)も、名古屋の拠点であるシャープ名古屋ビルも、当事者の半田営業所も預かり売上によって予算を達成し祝杯をあげるけれど、私個人としては祝杯をあげる気分には浸れない。労働力を提供するのは僕だけだから。付加価値の高い商品を販売して、利益ともども予算達成を喜ぶのなら分かるけど、預かり売上できる「タマ」は全て売れば売るほど赤字の薄利商品なので、赤字を垂れ流して予算達成を喜ぶバカの気持ちは理解できなかった。

 

理不尽なことはまだ続く
 

展示商品の返品を受け入れて、新しい定番商品を置いてもらうって話しの時にGR整備費用という言葉が出てきたと思います。このGRってのは

Good Returnのこと


良品にするための整備に係る費用という意味です。


展示品の返品は当然Good Return。本来ならば買い取ったお店が売るべき商品であり、このような商品の返品を受け入れるのは筋違いというもの。然しながら弱小メーカーのシャープは商品陳列シェアを獲得するために、返品を受け入れて新しい商品を置いてもらえるように努力します。このようにして持ち帰った商品は、そのままでは販売できないので一旦本社に送って、良品整備を行うのです。大抵は外側の樹脂を入れ替えるのでテレビ1台当たり15000円くらいの費用が発生します。この費用がGR整備費用です。GR整備費用は営業所に請求されるから、営業所長は営業マンに八つ当たりします。例え本社サイドの本部商談で決められた指示であっても、GR整備費用は各営業所が費用負担するから。


展示品の返品以外にもあるんです。


不良返品と言われて販売店から持ち帰ると、自動的に本社工場に送られます。そこで商品を精査した結果、「不良ではなかった」と判断されると、本社工場は1級品に仕上げるために部品を取り換える。ここでもGR整備費用が発生します。勿論営業所の費用負担であり、このような事例が発生すると、またまた営業所長は俺に八つ当たりする訳。


お前が店行って費用を請求して来いと。

 

そう仰る。然しながら、客が不良だと販売店に文句を言ってお店が不良を確認する。営業マンもお店で実際に動くかどうかを確認し、動作確認で異常が認められた場合のみ返品を了承するから


客が不良と主張
お店が動作確認して不良と判断
営業マンが動作確認して不良と判断


これでどうやってGR整備費用をお店に請求できる?


本社工場の精査によって異常なし判定が出る商品は、一時的に何らかの不具合が発生したと思われるけれど、客が不良と認識し、店も不良と認識し、担当営業も不良と認識し送り返している訳だから、今更その商品は不良でなかったと言っても受け入れられるはずがない。こういうのをナンセンスコールと言いまして、お店もその存在を自覚はしています。然しながらナンセンスコールが発生した場合の費用負担は


①客なのか
②販売店なのか
③メーカーの営業拠点なのか
④本社サイドなのか


の線引きが難しく①から④全て自分ではないと主張するでしょう。

 

メーカーの営業担当者が動作確認を行って不良を確認した以上、客にも販売店にも責任転嫁はできますまい。其れが故に、不良品が出た時は現場で十二分に症状を確認し、怪しければ返品を受け付けないんですけど、不良が認められても本社に送ると「異常なし」という判定結果が出ることがあり、この時のGR整備費用が各営業所の利益を圧迫していました。其れが故に営業所長は営業マンに販売店に請求して来いと怒鳴るのですが、これはいくら怒鳴っても販売店からの理解は得られませんでした。ここでも営業マンは販売店と営業所長の言い分の板挟みとなり


苦しむのは営業担当ということでしたね。

 

常に板挟みの身として生きる販社の営業マンは可哀想です。あゝ悲しき立場也を何度も経験すると、いつかはこの会社を辞めなくば僕の人生は終わりと思うようになっていきましたね。

 

理不尽な販売応援の依頼に苦しみ
代休なし、有給なし、休日出勤手当なしに苦しみ
毎日の売上の詰めに苦しみ
売上未達時の強制的な自腹営業に苦しみ
割り振りに振り回されて
預売上、預返納時の労働力提供に苦しみ
商品入れ替え時の労働力提供に苦しみ
絶対理解されないGR整備費用の請求


店に行けば販売店の奴隷となり
社に戻れば営業所長の八つ当たりの餌食となり


俺は何のために生きてるんだろう?

 

そういう環境の中で、唯一の光はパチ屋でしたね。パチンコしている時だけが誰にも文句を言われない。毎日、誰か彼かに文句を言われながら其れと喧嘩をしながら生きてきた自分。文句を言われなかったのはパチンコホールにいる時だけでした。

 

月火、木金土と地獄のような生活を送っていましたが、水曜日と日曜日が休みだったので年間126日休日。どうしても避けられない販売応援が年間5回くらいはあるんで、其れだけは上に従いましたけど其れ以外は概ね拒絶して年間120日は休んでいました。

 

栄電社の特招会だけは避けられなかった。


栄電社が風邪を引くとシャープは潰れる。ということで、特招会(特別招待会)があるときは、栄電社担当窓口から、〇〇さんは〇〇店に販売応援に行きなさいと指示がありました。シャープ山王ビルを挙げての方針なので、其れだけは逆らえなかったから販売応援に行ったけど、其れ以外のホーエーとかその他販売店からの販売応援要請はほぼ断りました。そうして勝ち取った年間120回の休日が唯一の生きる喜び。

 

パチンコホールの中でしか、私が安堵する居場所はなかった。


店に行けば販売店の奴隷となり
社に戻れば営業所長の八つ当たりの餌食となり
パチ屋にいる間だけが唯一希望の光


悲しき聖闘。本来闘いの場である鉄火場だけが、安堵できる場やなんて皆さまは想像できんと思うけど実際に私が生きてることを実感できたのはパチ屋で輝いてた時だけだった。パチンコしている時だけは全てを忘れられる。パチンコだけが私の味方。

 

パチンコしている時だけが輝いていた。

勝ちまくった。

銀行のATMに行かんでもええくらい。給料に手を付けることもないくらい勝ちまくった。


其れだけが私の自己主張だった。

 

其れが故にパチンコという遊びは私にとってかけがえのないものだった。お金を稼ぐための手段であるだけではなく、自分が人間としてこの世に生まれてきたことを実感できる場所。担当の販売店も、半田営業所も岡崎支店も生きた心地のしない場所。パチンコをしていなければ、自分で自分の命を絶つことも可なりというくらい


追い込まれていた。


パチンコだけが味方だった。

 

今でこそ、パチンコには逆風が吹き荒れてますけど40年前とか、30年前にはオアシスだったというお話です。この時代は誰でも勝てる時代だったけど、意外にも勝ってる人間は極めて少数派だった。絶対に今よりも勝ってる人間の割合は少なかったと思う。今ではパチンコで勝てる人間は2割と言われるけど、40年前にはもっと少なかったと思います。恐らくは全体の数%の人だけが、パチンコの勝ち方を理解できているだけで99%くらいはオカルトまっしぐらよ。

 電圧が上がれば一発台に飛び込むし、電圧が下がれば絶対に入らないとか。そんな人ばっかりだったので、今よりも圧倒的に勝ち易い環境だったにも関わらず、今よりも圧倒的に客が負けていたっていうのは事実。SNSとネットワークのない時代。勝てる情報は何もなく自分の手足と頭脳だけを頼りにして、僕は朝から晩まで回転数を数えていた。呼出ランプにスタート回数が表示されないから何回転目に当たったかも分からんけど、僕はメモも取らずに1回1回の抽選回数を記憶していました。朝9時から夜の9時まで12時間を延々とヘソに入った数を数えてる。其れを全部記憶して家に帰ってから大学ノートに書き写す日々。何回転目に何の絵柄で当たってどれくらい景品玉を貰ったかまで(この時は金額)覚えていて、其れを思い出しながら

タイホウ刈谷店、エキサイト麻雀〇〇番台
朝一発目は4500円、176回転で999⇒4800円
2回目は1500円、37回転で555⇒5200円
3回目は7000円、286回転で發發發⇒ラッキーナンバー
4回目は76回転で999
5回目は185回転で333
6回目は45回転で222
7回目は96回転で中中中
8回目は561回転で555
9回目は201回転で666
10回目は175回転で444⇒出玉交換
13000円投資で4800円+5200円+24400円回収とかね
發がラッキーナンバー。4が交換ナンバー制


打ちだした玉がヘソに入るのを見て1,2,3,4…と数えていく訳だからこの作業をメモも取らずに記憶し続けるのは並大抵の集中力ではない。然も数百回転に及ぶまでひとつひとつ数えていきながら当たった時に、そこまでの投資金額と、回転数と絵柄と貰ったお金を記憶して最後に交換ナンバーが出て出玉を交換し、出玉数と換金金額を記憶する。其れを遊技中には自分の脳に置くだけで、家に還ってから脳を辿って紙に転記し始めるのは容易な作業ではなかった。

朝イチから夜の9時までの出来事を走馬灯のように


思い出しながら大学ノートに記録する。そんな事がやれたのは一握りの人間だけですよね。


其れが故、簡単には引き下がれない。

パチンコは永遠にオアシスであると

 

2000年代以降の家電メーカーの凋落は著しい。かつて日本の高度成長を支えてきたのは、車と家電だったのは間違いないと思う。辛うじて利益が取れるクルマはまだ生き残ってるけど、薄利多売の家電は完膚なきまでに近隣のアジア諸国に打ち負けた。価格競争率で勝てなくなっていったというのが一般的に知られている事実と思うけど、長年家電業界に勤務していた身としては其れだけが原因じゃないだろうが正直な意見。1970年代のアトム隊九州上陸作戦から始まった下剋上は80年代後半、90年代までは松下、SONY、東芝とは異なるやり方で大きな成長を成し遂げたと思う。


アトム隊九州上陸作戦


アトム隊⇒ATOMはAttack Team of Market。1964年東京オリンピック直前に盛り上がった消費トレンドはオリンピックが終わると販売不況に陥った。所謂オリンピック手前の駆け込み需要でテレビが爆発的に売れたんだけど、その在庫処分の為に発足した組織。商品を作った工場の従業員たちが販売店への販売提案をするとともに、消費者にも商品を勧めるなど「販促のシャープ」の名前を定着させる原動力となった。後にアトム隊は、営業マン研修を主導するプロと呼ばれ家電量販店のみならず、幅広い業界にアトム隊研修という名で恐れられるようになっていく。研修は基本大声で発声せねばならないし喉が枯れて声を失う。声が小さいとアトム隊から声が小さいと檄が飛ぶ。やり直しの恐怖におびえながら参加者たちは皆声を振り絞る。


アトム隊研修は朝礼と夕礼で全員で唱和する項目がある。その一例を示していこう。朝礼、夕礼時には7~8個の項目があって事前に代表となる人物が選出・割り当てされる。割り当てられた人間が皆の前で一列に横並びして、順番に項目をこなしていく。全部は覚えていないけど、口の体操、基本販売用語、服装点検、プロ戦陣訓、熱意を込めてやろう、本日の所感ってのが次の通り。代表者がまず気を付けから号令をかける。


気を付け休め気を付け。只今より口の体操唱和いたします。最初はゆっくり次は素早く
あーえーいーうーえーおーあーお
かーけーきーくーけーこーかーこ
さーせーしーすーせーそーさーそ
たーてーちーつーてーとーたーと
なーねーにーぬーねーのーなーの
はーへーひーふーへーほーはーほ
らーれーりーるーれーろーらーろ
代表者が言えば皆がそれに続く。あーえーいーうーえーおーあーおーと間隔を開けて大声で叫ぶ。これをら行まで

あえいうえおあお
かけきくけこかこ
させしすせそさそ
たてちつてとたと
なねにぬねのなの
はへひふへほはほ
られりるれろらろ
代表者が言えば皆がそれに続く。今度は間隔を開けずに素早く言い切る


気を付け休め気を付け。只今より基本販売用語唱和いたします。
いらっしゃいませ
少々お待ちくださいませ
かしこまりました
あいすみません
申し訳ございません
恐れ入りますが
少々お待たせいたしました
ありがとうございます
ありがとうございました


気を付け休め気を付け。只今より服装点検唱和いたします。二人一組お互いに向かい合って下さい。
髪はきちんと整えているか…ヨッシ
ネクタイはしているか…ヨッシ
服装は汚れていないか…ヨッシ
ワイシャツは白が基調になっているか…ヨッシ
ズボンのしわはきちんと伸びているか…ヨッシ
靴はきれいに磨かれているか…ヨッシ


気を付け休め気を付け。只今よりプロ戦陣訓唱和いたします。
<プロ戦陣訓>
ひとつ、プロは記録に挑戦しつつ目標必達を本文とすべし
ひとつ、プロは同僚相和し組織に忠誠を尽くすべし
ひとつ、プロは仕事商品にほれ込み怠ることなくその技術知識を磨くべし
ひとつ、プロは常に顧客を思いやり管理開拓に徹すべし
ひとつ、プロは自分に負けることなく自己研鑽に励むべし

代表として指名された人間が、先に大声で唱和すると、全員が其れに同調してあとに続いて大声で叫ぶ。

気を付け休め気を付け。只今より熱意を込めてやろう唱和いたします。
半歩構えて手は腰に
<構えて>
熱意を込めてやろう。やれば熱意が湧いてくる。
熱意を込めてやろう。やれば熱意が湧いてくる。

斜め前傾姿勢に構えて、熱意を込めてやろうで拳を握った右手を下げて、拳を握った左手を前に突き出す。これを大声を出しながら全力でやる。全力でやらないとアトム隊の檄が飛ぶ。


気を付け休め気を付け。只今より今日の所感唱和いたします。
これは代表者が本日の所感を述べるだけ。朝礼はこれからの意気込み。夕礼は本日学んだことをつらつらと喋っておしまい。発言が終わると皆がヨッシと言って〆る。各々代表者が朝と夕に割り振られ、割り当てられた項目を全員の前に出て唱和する。

そして最後に社歌とシャープセールス隊賛歌を歌って終る。

 

 

セールス隊讃歌
同志とは生命の全てを賭けて悔いなき仕事の仲間
シャープ シャープ
我等はシャープセールス隊


シャープアトム隊研修。受けるのも命がけだ。

 

家電製品というものが、家電量販店を通じて大きな市場に成長する過程で、アトム隊上陸作戦は無視できない事件であったと思う。まだまだ家電量販店よりもショップ店が強かったのが昭和の初期の頃。其の時代において、シャープのアトム隊員が一般の家庭を訪問販売し、大きな成果をあげたのは特筆すべき事件だった。シャープの反撃はこうして九州から始まって次第に大阪、名古屋、東京まで勢力を拡大し、その後のNEBAブームにおいても主役となる地位まで辿り着こうとしていた。


電子レンジにオーブンとグリル機能を搭載したのは画期的な出来事であり、この分野においては明らかにナショナルの製品よりも性能は上回っていた。核となるカラーテレビではブラウン管製造工場を持たぬため、主に日立と三菱からブラウン管を買ってテレビを販売していたけど、SONY,松下に準ずる地位までは確立。電話機とワープロでは業界ナンバーワンの商品と言われ、ファミコンの開発では任天堂に先行されたものの、ファミコン付きテレビという位置づけで一時バカ売れした。ブラウン管がない家電メーカーというレッテルから脱却するために、いち早く液晶の世界で地位を確立し、後に液晶のシャープという名を馳せたのは有名な話。左右どちらにも扉が開く冷蔵庫の開発は、目の付け所がシャープでしょというキャッチを地で行くような商品だった。


松下ができない商品開発を実現できたのは、独創的な技術者が沢山いたって事もあるけど初代早川徳次の先駆者的な考え方が代々引き継がれたという事もあるだろう。然しながら会社は崩れ落ちた。経営は悪化し、台湾メーカーに買収されて液晶のシャープとか目の付けどころがシャープの時代とはかけ離れた存在に落ちぶれている。


SONYも松下も価格競争力を失い台湾、韓国に負けたってのはある。

シャープの凋落は其れだけではなかろう。


シャープという企業がもってたのは、今日書いたような営業マンの自己犠牲によるところが大きかったのではないかと思う。日本全国にいた家電販社の営業マンが、毎日毎日売上伝票のことだけを考えて、自分のノルマ達成に命を賭けていた。営業マンの血のにじむような努力のおかげで会社が成り立っていた。代休取れなくても休日出勤し、販売応援に出向いて自社の商品を売ってくる。別末に数字が足りないと思えば、自分で自社の商品を買って足りない売上を穴埋めする。日本全国の営業マンがケツの毛まで抜かれても、其れを当たり前だと思うように信じ込んでいて営業洗脳されていたことは、会社の利益に大きく貢献していたと思う。僕が朝起きれずに、毎日のように部屋をノックして起こしてくれた伊藤課長が、静岡に営業所長として赴任した後に


数字が伸びず、思いつめて脳溢血で死んだことは自己犠牲に他ならない。


自分を犠牲にしてでも会社を守ろうとする姿勢。自分を犠牲にしてでも売上予算達成に命を賭けた伊藤課長の死は痛ましい。然しながらそうした従業員の血と汗によって会社は成り立っていた。小売店での販売応援が禁止され、家電メーカーの営業マンが量販店を訪問するという形もなくなった。お店はメールで注文するだけで後は全てメールか電話対応。


店とメーカー販社の関係がドライになっていく過程で

シャープの営業マンには幸せが訪れたか、若しくはリストラにあって職を失った。


営業マンの血のにじむような努力がなくなって、シャープの経営が破綻した。


松下、SONYに関しては価格競争だけかも知れんけど、シャープに関しては決して其れだけではあるまい。


営業マンがケツの毛まで抜かれて、精気を吸い取られたおかげで利益が取れていた会社。超が付くほどのブラック企業シャープは2020年以降凋落し、鴻海に主導権を奪われた。人を駒のように扱い、ゴミのように捨てる会社はいつの日か凋落する。盛者必衰の理の如く。


シャープという会社に20代を全て捧げたけど、その意味はあったのだろうか?

人生をやり直したい。

 

本日のお話では、女性にまつわる出来事がいっぱい出てきたと思うけど、香川県から愛知県に出てきてこの仕事に従事してストレスが溜まっていた。販売応援、売上の詰め、売上伝票、自爆営業、肉体労働、預かり返納、GR整備費用。気が狂いそうになるほど理不尽な生活を余儀なくされて身も心も参っていた。そんな環境の中で、一筋の光はナンパとパチンコという事。きれいな女の子とデートでもしなければやってられない。パチンコで勝ちまくらなければ気が収まらない。運よく女性とのお付き合いに成功し、パチンコでも勝てたので其処だけは救いだったけど、万が一其れもダメだったら自分で命を絶ってもおかしくないほどの荒れ方だった。そこまで追い込まれる人生を送らないかん理由はないと思うけど、バブル時代の日本には「神風」とか「特攻隊」の精神がまだ残っていたのかと思えるほどいかれていた。自衛隊のようなアトム隊研修。ここは日本か?今は戦時中か?今はいつの時代なのか?そんな状況に追い込まれて、生きる希望を見失い、明日をも知れぬ我が身を救ったのは「若い女性」に他ならない。辛い仕事に追われてるさなかに、ユニーに来た女子大生を見ると心がときめいた。トキメキが実を結ぶかも知れないって思える瞬間があるだけで、私は明日も生きるという希望が湧いてきた。こうして付き合いが始まった出会いでは殆どがディープな関係には至らず、短命に終ったと思う。だけど、短命でもそれだけで良かった。誘った時に「良いよ」って行って貰えるだけで生きる喜びをかみしめることができた。一服の清涼剤かオアシスか?こうでもしなければ生きるのが辛かった時代なれど、ヒトをそこまで追い込む会社って何だろう?シャープで8年間過ごした時代は、シャバというよりは監獄の中にいて、営業所長や販売店の奴隷となって囚われの身だったという感覚に近い。その屈辱は未だに忘れることができないほど僕の心の奥深くに残っている。会社を辞めたのが1993年。其れから33年経過しても、未だに悔しさがいっぱいだからこそ、こうして文章化してるんだけど


この企業が大量の日本人を廃人にした、その責任を問いたい。


シャープアトム隊研修

シャープセールス隊讃歌

あってはならないことですよ。
 

名鉄半田口を降りてすぐのところに岩滑っていう交差点があるけど、岩滑の交差点を東海市の方に向かった先にスカイホームがあって。岩滑の交差点を東の方向に歩いて1kmくらいのところに半田営業所があった。今は建物だけが健在だけど、外壁はよごれて青く汚い。その4Fに私が住んでる部屋があって、其処にスカイホームのねえちゃんが泊りにきた訳。目の前には喫茶店があって、信号を挟んだところがゲームセンターでその隣がラーメン屋だった。仕事が終わるとこのゲームセンターでコナミのプロ野球ゲームを古江ちゃんとか上野山さんとかでやる訳。この時に真剣に戦っていた古江ちゃんの奥方が私が5分間もディープキスをした相手。まあまあ変な雰囲気で毎回戦っていたさ。その隣のラーメン屋さんの奥方がメッチャきれいな人で、旦那さんと母親との経営。偶にこの奥方が中日VS巨人戦の切符を手に入れてくれるんで一緒にナゴヤ球場まで行って激しく応援した。この若夫婦も巨人ファンだったから。野球観戦も

全てを忘れさせてくれるひと時だったなあ。
 

 

あの日見た悪夢の事を今も 覚えているから
嫌なことで躓いても どうにかこうにか生きてきた
僕が生まれた時から 求め続けていることは

ひとつだけ

la la la love somebody tonight
 

まともな人生を送りたい

ただそれだけだ

/postcontent-editor/uploads/22/files/SOUND/%E3%80%8CLove%20Somebody%E3%80%8D%20.mp3

 

僕が20代を過ごした半田・岡崎時代の8年間は今でも忘れない。あの日みた悪夢を覚えているからこそ、どんなに辛いことがあっても耐えられる。今の20代、30代の人たちがいとも簡単に会社を辞めていくのを見て笑える。そんな簡単なことも我慢できないようなら、この先の辛いことには耐えられまい。人生は長い。辛くて苦しい時期もまた長い。

 

コメント

村上亀吉より
  • 2026/09/06
  • AM 4:25

ゴーニィ様
怒涛の投稿ご苦労様です

私は最期を頼まれて居た15歳上の従兄弟が先月下旬に亡くなり、葬儀に続き役所の手続きに加え、各種公共契約の解約や問い合わせに追われ、仕事はそっちのけです

親子と違い、4親等離れて居るので、公正証書は残してくれたものの手続きはなかなか進まず、おまけに片付けが出来ない人だったので、3度目の訪問でようやくエアコンや照明のリモコンが見つかるレベルの散らかりようで、夏場の生ものの処分やら必要書類の捜索やらで疲労困憊MAXです

この労働に見合う位のものは残してくれましたが、人生終盤の過ごし方を考えさせられました

ゴーニィ様もどうぞお身体お大事にお過ごし下さい

ゴーニィ 名無しさんより
  • 2026/09/06
  • AM 10:05

大変でしたね。

人生の最期は本当に考えます。自分もそっちの世界が見えてきたので
色々と考えることはあるけれど、どちらかというと私のことよりも残された家族の方が心配です。

労働に見合う財産を手にできたのは何よりです。

パチンコビレッジへの投稿も最後のご奉公です。遊技報告は殆どしないと思いますが、私が生きてる間はお付き合いください。まあまた1か月くらいは間を開けると思うけど、次回投稿時にはまた

まとまって

最近は週末ごとの遊技を書かなくなったのでそんな感じですかね。

コメントを投稿する

名前※必須
コメント※必須

プロフィール

ゴーニィ ゴーニィ

基本パクりと物真似と替え歌だからオリジナリティゼロだけど、それでも自分が面白ろいと思ったことを正直に書いてきたつもりなので自己満足という点ではアリだな。お笑いのネタが無尽蔵に湧いてくる。なんでやろ?パチンコじゃなくてお笑い芸人を目指せばきっとボケと突っ込みでボケの方。

パチンコが好きか嫌いか言うたら「好き」の方やと思うけど、昔ほど夢中ではないし好きでもない。1個賞球増えてきて、玉の出ない(循環式)パチンコばかりになるとパチ続ける自信 が持てん。パチばっかりやってる人は早いとこ就職した方がええと思うで。

パチプロなんて自分がパチプロと思い込んでるだけですからwww

  • 職業:まだ会社員
  • 生年月日:6月27日
  • 性別:男性
  • 血液型:O型
  • 活動地域:香川県生まれ、愛知県暮らし
  • パチンコ歴:長い
  • 好きなパチンコ機:アメリカンドリーム
  • パチスロ歴:やらないかも知れん
  • 好きなパチスロ機:見つからんかも知れん
検索
導入日カレンダー
もっと見る