みんなでつくる! パチ&スロブログ

2026-10-01 08:10:00 タイホウ熱田店さようなら

熱田区のパチンコホールがまたひとつ灯が消えました。


たしか2000年代には
五番町会館
六番町会館
パチンコ東海
琥珀神宮前
タイホウ熱田六番南店
プレイランドキャッスル熱田店


6店舗くらいあったはずなんですけどタイホウ熱田店ができた時点で五番町会館、六番町会館が潰れました。2010年頃にはパチンコ東海が閉店し、その後熱田神宮にある琥珀が閉店致しました。従ってここ最近は2店舗しかない状況だったのですが…


ついにタイホウ熱田店が閉店致しました。


2003年の12月18日オープンだったそうです。当時僕はキャッスル熱田店が同年の12月5日にグランドオープンし、設備開発課員としてオープン後の3日間は立ち合いに行ってたためタイホウ熱田店がオープンしたことを知らなかった。立ち合い以降は遊技客としてキャッスルに行ってたのでタイホウに行くこともなかったですね。オープンした時はキャッスルもタイホウも換金率は3.0円で同じ。従って同年年末から翌年のお盆休みまではキャッスル熱田店でしか遊技せず。


今みたいにSNSで告知されなかったので知らない情報がいっぱい。


昔は自分の足で探してくるしか方法がなかった。今どきのパチンカーには考えられんようなことですが、其れが故に良い店を掴んだときの恩恵は今では考えられんくらい大きかった。恐らくは知らないまんま1年を過ごしたんだと思う。当時僕は大きな病院がどこにあるかに精通していてタイホウ熱田店がある場所には、協立総合病院があったから

 

 

上の地図の赤い四角い場所に病院がありました。僕はここに協立総合病院があることを知ってたのでこの辺にパチ屋ができるはずがないと思い込んでいて気が付くのが遅れたという次第。自分がこの店の存在に気付いたのは2005年になってからでした。病院が南に移転してその場所に入ったのがタイホウ熱田店でした。上の地図には名古屋掖済会病院も見えますね。


今までに何度も思い出話しを書いてきた場所。パチンコビレッジの歴史はタイホウ熱田店とパチンコ三洋の思い出話しといっても過言ではないくらい書いてきましたので、またひとつカテゴリーを追加しました。


タイホウ熱田店の思い出(6)


思いつく記事を6つほど見つけましたが、まだまだあると思います。今後気が付けばこの分類を増やそうかと思うてますけどタイホウ熱田店での思い出話もまた自分にとっては終活でしょうね。そういう事で今回はタイホウ熱田店思い出のまとめという感じです。
 

これがお店の正面入り口ですね。割と広い道路に面した交差点の一角です。

南側の入口です。朝の入場はこの反対側、換金所があるとこです。
 


立体式駐車場を登りましょう。軽と表示がある位置の右側に車を停めることが多かったけれど、その習性を読まれてBMWの後ろのタイヤを2本ともパンクさせられました。今日確認したけどこの辺には防犯カメラがほとんどついていない。昔は1個だけあったと思うけど記憶違いかな?車から降りてこの階段を登って真っすぐ行くと

 

エレベーターの前に着きます。隣にJOYJOYが見える。中角おばちゃんのグループはパチンコが終わるとここでカラオケ三昧だったらしい。僕は誘われてないけどしょっちゅう行ってたみたいよ。
 

エレベーターで1Fに降りると目の前に

今はフィットネスだけど昔はミスタードーナツと丼ご飯のお店があった。朝はいっつもここでアイスコーヒーよ。

さあ。店内に入りましょうか。

その前にタイホウは白と黒のオセロ柄のタイルを敷いている。ここで僕は1万円札を拾ったことがあるんだなあ。その処理をどうしたかって?…俺に聞くなよ。


俺様の良心を信じろ!

店内に入ってすぐ右ね

先ほどの写真の進行方向とは反対面に取り付けられたる液晶モニタ。これが全てのパチンコ台のスタート率を閲覧できるモニタだったんですねえ。島を選択するとその島が一覧で全部見れるわけ。多分過去5日間くらいのが見れたと思うけど記憶が曖昧。でもこのモニタにかじりついて研究したってのは事実也。タイホウ新聞を貰ってきて気になる台のスタート率だけを記録して家に帰ってたっけ。
 

店内を真っすぐ進むとカウンターに行き当たります。

ここでサプライズ


長年勤務されてる村橋さん


僕の顔を見るなりこんな表情。嬉しかったんじゃないかな久しぶりだから。


村橋さんと蒋野さんにはお世話になりました。蒋野さんはずっと前に退職されてたので会えなかったけれど、村橋さんは開店から今まで勤務してるので1番の古株。23年間お疲れ様でした。蒋野さんて変わった苗字だよね。これなんて読むのって聞いたら「こもの」だと教えてくれました。三重県の菰野ではないんです。


カウンターの左側です。この写真で赤地に白い丸の壁があるのが分かりますかね。昔はこの一角に事務所があってホールコンピュータがあったんですねえ。その近くにタイホウ新聞が置いてあって夕方僕がお目当ての機種を取りに行くと偶になくなってました。蒋野さんに印刷してって頼んだら快く印刷してくれて其れを僕は持って帰ってたんですねえ。

 


ここはカウンターの右側にある休憩室です。
 

事務所をさらに突き進むとトイレがありました。ここを真っすぐ行って右手が朝の入場入口です。

 


 

店を出てすぐ換金所です。朝の並びはこの場所

 

 

換金所の反対側が入口でした。朝はこの辺に並んで常連さんと立ち話ですが、ヤンキーおばさんとの会話をエプロンおばさんに聞かれ、僕がヤンキーおばさんにお薦めした台をエプロンおばさんに乗っ取られバカ出しされた舞台となったのがここ。


この辺で並んでる時にそういう会話をしてると、エプロンおばさんに聞かれるものですから、其れ以降は抽選券の紙の裏に僕が台番号を書いて手渡しするようになったきっかけになった事件。


どれ打ったらええん?

どれ打ったらええん?

どれ打ったらええん?


6の付く日と土日が重なる夢舞台。其れが熱田名物六番祭。勿論六番祭は土日だけじゃないけど、僕が参戦できるのは土日祝日だけだから其れほど多くはない。祝日を除くと土日と6が重なる日が年間何日あるか、凡その計算できますか?


末尾6は6と16と26だから必ず毎月3回⇒年間36回
このうち土日は2/7だから72/7で10.3回ね。


こういうのはパッと計算してね。僕がミスターコンピュータと呼ばれるようになったのは2010年くらいから。ということは熱田店の後半の2年間だから70歳過ぎたご婦人方に僕がサービスを提供したのは20回くらいかな。タイホウ新聞に掲載されているデータを毎日店まで取りに行って其れを毎日パソコンに入力して統計分析してるって話をしたものですから。


中角おばちゃんが僕のことをミスターコンピュータと呼ぶようになって、どの台が出るんか教えてくれみたいな話し。中角おばちゃんは必ず中角の台しか打たんもんだから、僕の意見は必要なかったけれどこのおばちゃんがお節介なものですから。他のご婦人方にミスターコンピュータに聞けばええんやと吹聴する。たまたまその話で盛り上がった時に、ヤンキーおばさんに紹介した遊技台をエプロンおばさんが横取りしてしこたま出たものですから話しが誇張されて伝わってしまう。

 

魔法なんかじゃないけどな。たった1回の成功を「神がかり」と思い込み

どれ打ったらええん?

どれ打ったらええん?

どれ打ったらええん?


って聞いてこられるともう笑うしかない。日頃からデータ分析してるのは事実。其れを基にして土日と6が重なる夢舞台には必ず戦に赴いてAとBを最終的に絞り込む。悩みに悩んで自分が遊技する台をAとするとBという標的が残るわけ。そのBを教えてくれっとおばあちゃんが僕の元に殺到する。


Bって1台しかないがな?


敵も心得たものでしてね。最近めっきり当たらんで負けが込んでるっていう婆ちゃんを連れてくる。誰でも良いってわけじゃない。常連のおばちゃま連中もその辺のところは汲んでると見えて、必ず1人だけを僕の元に連れてくる。


どれ打ったらええん?

どれ打ったらええん?

どれ打ったらええん?


ツイてない人だけに与えられる特権か?みたいになってたけど頼まれる僕は重圧よ。紙に書いて渡す番号が貴方の運命を決める訳。そんな責任取れんがなって思いながらも常連のクソ婆の圧力には負けるわ。しつこいことこの上ないからついに根負けし紙に番号をかく私。責任は取れんとよ。


でもこいつ等勝ってたなあ。しこたま勝ってたわ。多分8割くらいは勝ってたと思うけど、偶に負けた人がいても僕に文句を言って来る人はひとりもいなかったですねえ。惜しいとこまでは行ってたと。私に運がないから負けたけど仕方ないわと。なかなか面白い人たちやったわ。普通は他人の言う事なんか信用でけんと思うけど、この店の常連のおばちゃま達は皆一途なり。台移動なんかしないで一途に僕が紙に書いた遊技機と格闘し勝利した後は、「久しぶりやったな」。「こんなに出たんわ」。そっちやったか?二者択一を外した時は悔しいと思うけど、負けて文句言われるよりはマシやからこれも人助けと思うて我慢するべし。


そういう時代に戻りたいねえ。


人と人との触れ合いもまたパチンコの良さのひとつ也。勝てるか勝てんか分からんのに、一途に他人の書いた遊技台番号に辿り着いて黙々と遊技する。その姿を観てるのもいっぱい出されると失敗やったかと思うし、全く出ないと不安になる複雑な心境は推して知るべし。その頃から統計分析能力には長けてるな。僕が勝てると思った遊技台を打てば大抵は勝つからね。

 

これが沖縄2の島やったと思うわ。右側のカド番が752番台。そこから750、738、736、733辺りを打つことが多かった。

2010年の元旦


 

2010年の1月1日。タイホウグループの大タイホウDAYに行った時のこと。僕が736番に陣取り、佐藤さんが733番。どちらも良く回るけどその日は二人とも朝イチ嵌り。僕の方が早くて1371回転目に6連チャンした。丁度その頃合いで佐藤さんには341で並ぶという突確変を引いてこっちを見る目つきが痛々しかった。ようやく当たったよなんですけど、佐藤さんは其れ以前にも年末に別の台で2000回嵌りを食らっていて、その翌日同じ台を遊技しに行くと嵌り台が大好きな常連さんに台を獲られて泣き。またとられちゃったよという嘆き節が島にこだましたけれど当時は嵌り台が大好きな常連さんが多くて、プロが大嵌りした台は常連さんから目を付けられるという事で「回る台」を狙いに来た人じゃない人に先を越される事多し。


この日は736番が23.4/K回りで2万円程のプラス。733番はもっと回ったと思うけど同じように朝イチ4倍嵌りを食らったけれど、僕も佐藤さんも朝イチ1400嵌りからの逆転勝ちで2万くらいの勝ち。勝ったから良かったけれど、この日間に挟まれて遊技していた人が両隣の嵌りを目にしていて気にはなってたらしい。僕が1371,6連チャンした後に147回転でけたたましく直撃音が鳴り響いた時は


「やっぱりそうなると思いました。あれだけ嵌ったら今度は早いと」


まあそうなるとは限らんのだがね。736は普段からメリハリの強い当りっぷりしてたのでこの日もそんな感じだったかな?
 

12/30から元旦の朝までの嵌りっぷりが素晴らしい。


佐藤さんはこの日を境にして実は沖縄2を見限るんですねえ。あまりにも遠い360の世界に嫌気して彼は地中海の島に戻ってしまいました。沖2の嵌りは半端ないですからパチプロさんといえどもメンタルを壊されるほどの猛爆裂機。其れが沖縄2でしたね。


12月18日が周年という事で、この店は12/16の六番祭から12/18の周年までの3日間が激熱スリーDAYでした。毎年この3日間だけはメチャクチャな事やったんで印象深いです。この年の年末も


12/16には沖縄2の752番台は中谷さんが追っていました。12/16、12/17と中谷さんが遊技してて12/18は土曜日だったので僕の出番ですね。
 

 

 

スタートが8.291
スタート率が12.06

これがタイホウ熱田店時代の最高回転率ですね。2005年から最終2012年9月まで。その間で1番回ったのがこの日のこの台。スタート率が12.06ってのは換金率3.0円では殆どないでしょう。2007年にマスクマンがハワイで11.90クラスを叩き出したことがあるんですけど其れに次ぐ数字。ポケットの還元もない中で12.06は凄かったです。其れほどまでにタイホウ熱田店の激熱3DAYは凄かった。


12月16日から
12月18日まではお祭り騒ぎ


今年もこの3日間までは営業して欲しかったです。

 

2005年2月くらいからこの店に来始めて知り合いになったのがエヴァ夫婦の存在。私にエヴァの面白さを教えてくれた人。2005年にはパチプロさんと関わることは少なかったけれど、2006年に竹屋を辞めた頃から

 

沖縄の詐欺攻略法を買った爺
マスクマン1号(パチプロ)
加藤夫婦(パチプロ)
佐藤さん(パチプロ)
重田さん(パチプロ)
中谷さん(パチプロ)
K谷夫婦(夫婦パチプロ)
K谷プロの弟子⇒西谷さん?覚えてないけどそんな人がいた


色んなパチプロの人と話をするようになりました。1番付き合いが長かったのは加藤さんだけど、この人の奥方はフィリピン系。夫婦揃って短時間遊技だったから稼ぎはどうだったのかなあって思ってた。当時は加藤さんの短時間遊技をバカにする自分がいて、何でそんなにヘタレなんやと思ってたけど、其れから何年も経過して


今の自分は当時の加藤さんそのものよ。


あんまり他人の事を馬鹿にするでない。まさか自分が佐藤さんと同じような打ち方をするとは思わなかったけれど


①低換金率から高換金率
②玉積みから個別計数
③海系から爆裂系
④極めつけは煙草を止めた事


①から④の理由に依りまして、私も加藤さんと同じように短時間遊技に徹するようになり今に至る。


タバコを辞めた以上、僕が元の姿に戻ることはないけれど其れを抜きにしても今の遊技機は長時間遊技には向かない。簡単に10枚入る世界にはついていけないから、僕はこれからも短時間遊技に徹すると思う。

 

回転率だけでみるとハワイの海も凄かったですねえ。

 

 

ハワイの海が回ると知ったのはこのちょっと前。マスクマンが右打ちしてて、その台のスタート率を大型モニタで確認すると11.90という数字が出ていました。11.90って凄いと思うけど多分この時代の3円環境としてはMAXレベル。12を切るなんて事はまずないと思うし自分も経験ないんで右打ちは回るんやなあを実感。其れを試したところ上の数字が出たわけですな。


スタート8.115
スタート率12.32

12.32という数字をモニタで見た佐藤さんが「この台誰が打ったんや」」って様子を見に来ると私が遊技してました。鳩が豆でっぽうを食らったような顔をして佐藤さんが俺に言う。「この台あんたが打ってたんか?」


そうよん。マスクマンの真似したら回ったわ。


この日のハワイの島には私の背中側にはマスクマンのお友達がいて回す回す。朝イチからの2600嵌りを食らって平然と打つ姿。天晴でしたね。朝イチからの2600嵌りにも耐えられるほどの回転率を誇ったスーパー海物語INハワイは凄い機械でしたね。


スーパー海物語inハワイ
大当り確率1/370
確変60%、単発40%
時短104出玉1600個


2007年は僕が短時間遊技に向かったきっかけになった年なんですね。


竹屋を辞めて次の仕事を探す時期。急に追い込まれて退社したものだから其れまではパチンコで凌ぐ毎日。ただ単に勝つだけならまだ簡単に勝てる時代だったけど、この頃は子供が生まれて親子三人分の生活費を稼ぐわけ。そうなるとパチンコが重圧に思えてしんどくなりかけた。生活費だけならええんですけど


①家賃
②駐車代
③国民年金
④国民健康保険
⑤県民税・市民税


竹屋を辞めた年の年収が800万くらいあったんか?となるとその翌年の請求は③④⑤がバカみたいに高い訳。①から⑤までで毎月20万円払うのよ。


親子三人の生活費だけならええけど、何にもしないで毎月20万すっ飛んでいくのはちょっと大変だったっすね。パチンコで40万円稼いでギリギリの生活。30万だと赤字だったのでこの生活は無理かなあって思い始めたところ。

 

其れが故に勝ち逃げしたいと思うようになってしまいました。


毎月支払う健康保険と国民年金の支払いとたまに来る県民税の支払いに追われ。この年の7月にはパチンコで極度の不振に捕まりヤバいなあという次第。まともに勝ててるならまだしも、大不振に捕まると生活が破綻するね。


3月に45万勝って
4月に75万勝って
5月に25万勝って
6月に30万勝って
・
・
・
・
7月がプラマイゼロで終って人生が終わりました。


稀に見るスランプに陥り、40万勝ってチャラなのにプラマイ0で終ると赤字が40万円。



 

この国は国民健康保険と国民年金と住民税が


高過ぎますね。この3つで毎月13万円払ってて重荷でした。パチプロさんは国民年金払ってないし。国民健康保険は5000円くらいしか払ってないし、住民税も収入がないからタダみたいなもの。この13万円がパチプロさんと私との生活の差。結局この13万が重荷になって毎月の生活を支えるのが苦痛になってきて勝ってるうちに


止めたいなというようになっていきました。


従って僕の短時間遊技の始まりは2007年の保険と年金と税金に依る。

 

上記アタックNO.1は普通なら止めないですよ。朝イチ少額投資で実質13連みたいなもの。そこからしばらく停滞したけれどMAX25000個までいって、最後6000個落ち。19570個ですから箱にすると13箱くらいですか。あと1万個飲まれても3万円近く勝つことになるんで最低でも3倍嵌りまでは打たんならんと思うけど573で止めるとはね。実践ではこの後650くらいで当った奴が12連。12連チャンといっても突確変が何回かあるだろうから実質8回から9回は当りを獲れずに終わってる。


この日が短時間遊技の始まりでした。


①低換金率から高換金率
②玉積みから個別計数
③海系から爆裂系
④極めつけは煙草を止めた事


一般的にはこういう理由で、長時間遊技から短時間遊技になっていくんだろうけど、私の場合はきっかけが、保険、年金、税金でしたね。パチプロが羨ましいとは思ったけど。独身が羨ましいとは思ったけど。サラリーマンが退社してパチンコで生計を立てられるのは独身時代までですねを痛感。シャープを辞めた時は微塵にも思わなかった荷物が


支える家族が増えると重い訳。


ある程度年齢を重ねて。会社員としても信頼を勝ち取り、給料も増えて年収が800万にもなると

会社辞めるとその次の年は支払いが大変ね。


ここがサラリーマンとパチプロとの違いでしょうかね。私は国民年金、国民健康保険を滞らせるつもりはなかったので毎月13万円きっちり払ってたけどパチプロは13万円払わない。ずるいぞパチプロ。こういう事があるから、会社員を止めてパチンコとかパチスロで生計を立てようとする人が後を絶たないんですね。ニッポンという国は病んでます。真面目に働いてる人が損をする仕組みを作ってはなりません。


2007年は必殺仕事人Ⅲのデビューイヤーです。


普段は海しか打たなかったK谷プロ(旦那)の方が仕事人の253番台が25/K回ると興奮気味にまくしたてました。遊技台の位置としては右上がりの環境でしたが後々振り返ると仕事人は右上がりの方が良かったかなあという思いです。最初は六番祭のたんびに253番を遊技するK谷プロでしたが、ある時から沖縄の回る台を追っかけるようになって…


この様子を見ていたのが佐藤さんでした。


253が良く回るというのは人つたいに聞いていたでしょうし、大型液晶モニタでも確信してるでしょうし。K谷プロが沖縄に行くや否や佐藤さんは仕事人の253番しか遊技しないようになり、いつしかこの台は佐藤さんという常識になる。こうなるとイベントの日に例え抽選が早番だったとしても253を打つことは躊躇せざるを得なくなり、この時代のプロはこのような。犬が電信柱におしっこをして自分の縄張りを主張するが如く、プロは毎回同じ台を遊技することでこの台打つなよお前らというメッセージを送る。そんな感じでしたね。


2007年の8月26日の六番祭には

 

私が265番に座り夜の9時まで。同じ時間帯に持ち玉を沢山持ってたのは253番を遊技した佐藤さんと僕だけの存在になり2人して祝杯をあげる。この時いつかは俺も253を打ったろかの思いを強くしてその10日後には僕の出番でした。

 



朝イチの85回転目にハンドルがキュキュキュキュインと鳴って8連チャン素晴らしい。流石253番と思いながら最後はじり貧状態でしたけど勝つには勝ちましたね。良く回る良く当たる良く連チャンする。


必殺仕事人Ⅲの253番台は「神台」でした。


多分ていうか絶対、K谷プロも佐藤プロもこの台のことは覚えているはず。其れくらい当店ではデキ良しとして有名な台でしたね。


地中海の672番
七人の侍の635番
仕事人の253番

 

其々の島にはデキ良しがあり。K谷プロの弟子みたいな人がいたけど、彼とは結構遊技台の取り合いになった。原因はそのお方が回る台があると其れしか打たなかったから。先を越された時の二の矢とか保険を持たない人だったのでこの人とのバトルは往生したわ。俺は一歩も引かんから「ちょっと待てや」とか「表出ろや」と言われても意に介することもなくただ淡々と672番と635番を遊技するのみよ。

 

2008年にも印象に残る出来事がありましたね。


恐らくはタイホウ熱田店が繁栄したのは2008年頃までだと思うんです。2009年には徐々に平日の稼働が飛んでしまう日が目立つようになり、六番祭も昔ほどは甘くなくなり、大タイホウDAYも昔ほど甘くなくなり還元の色が薄れていきました。これに関しては海以外の確変機が減った事も一因かと思うけど、同程度の回転率であれば3.0円よりも3.6円の方が良いという事でキャッスル熱田店にだいぶお客を奪われた感じがします。常連客からも、マリオン十番町店に鞍替えしたとか、キャッスル熱田店に鞍替えしたという話を聞くことが多くなり衰退の色が見え始めます。


その色が強くなったのはエヴァ始まりの福音の頃。


従って2008年はまだまだ強かったと思います。時代は初代沖縄と冬ソナ2とRUPIN全盛期。4末に出た冬ソナ2でGWを過ごそうかと思ってたけど初代ソナよりは強くなかったんでGWの初っ端は沖縄から始めます。クソ嵌りの台。これがアカンかったですね。

 


ずーっと弱かった沖縄の756と757番。5/2というGWど真ん中の割には回る釘だったので勝負に行くと没。初っ端から1160嵌って単発。追っていったけど最後に835当らずでおしまい。長期連休初っ端の遊技としては最悪でしたね。


焦りました。


2004年のお盆休みを思い出す。連休初っ端に6万も負けるとやばいって。


 

まだ諦めない。翌日も同じ台を打ちにいきましたが3/1124となったところで我慢の限界でした。この台はいつ打っても弱いし爆裂の気配なし。757番の当りの鈍さにしびれを切らして2箱もってエヴァに台移動。この頃のエヴァはシトフタという奴です。ところがこの判断が致命的でした。元打ってた沖縄の757はしばし小爆発でそのままやってたら4万円くらいのプラス。替ったエヴァは1000回嵌りを食らって結局この日は39000円のマイナス。2日間で10万円を超える大敗を喫して


空襲警報ですね。


昨日嵌った757番を根気強くやっとれば悲劇は起こらなかったと思います。其れが台移動してウラメ。昨日の嵌りから今日の当りの鈍さまでが我慢しきれなかったんでしょうけどこの我慢の足りなさが後々の禍根につながります。

 

 

結局5月は10回遊技して朝イチからの1000回嵌り4回。途中からの1000期嵌り3回という事で一か月に7回も1000回嵌りを食らう事になり357060円の大敗。これまでの人生で1ヶ月間での負けの最大記録となっていますし、この記録は未だに破られておりません。初っ端の躓きとその翌日の対応を間違えた。イライラせずにじっと我慢して付き合えば実る実も途中で台を移動すれば実らない。この頃から1日1台を強く意識するようになりましたけど、台を移動しても当たる保証はないし、今まで以上に回る保証もない。


ひとつの台移動に端を発し


以降毎日のように朝から1000回嵌りを食らってほぼ毎日負けるという事で雪だるまのように負債が膨らんでいきました。初っ端の大きなマイナスが焦りを生んで取り返しのつかない1ヶ月。この時期は辛かったですね。5月に大敗してしばらく良い時期がなかったけれど9月に七人の侍が出てようやく地獄を抜け出したという事。侍を打てば3ヶ月で100万勝ったので最終的に2008年はまずまずの成果でしたけど5月の苦しさは大変でした。

2008年は9月からの逆襲

きやがったきやがったきやがった!
 

VS勘兵衛になるとほぼ当たりですね。

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2009年は加山雄三、八代亜紀、最後のシシャからの11月に沖縄2でマーケットは一気に沖縄に傾いていきました。2010年は沖2から始まって大奥と水戸黄門2が秀逸。年末に中野橋がグランドオープンして2011年は中野橋からの始まりでアグネスミドル。途中沖2に戻ったけれど年末には仕事人Ⅳが出て中野橋。2012年も中野橋メインだったけど大海2の時熱田店で爆裂の時期

同年夏場から休業に入り8月には

換金率3.6円
玉積みから個別計数へ変わり
スタート率の公開を止めて
タイホウ新聞もなくなりました

 

そしてこれがタイホウ熱田店での最後の勝利です。エヴァ7のライトヴァージョン。


これ以降は中野橋に戻って遊技してましたけど、10月におそまつ君を打ちに行ったパチンコ三洋がすこぶる回るということが分かり同年年末から翌年にかけて、私はパチンコ三洋へのネグラ変更を決意するのです。2005年以降、ずっとタイホウを愛してきたけれどタイホウ熱田店の変貌を持って、同店での遊技を諦め

 

タイホウ熱田店⇒換金率3.6円
タイホウ中野橋東店⇒換金率3.3円
パチンコ三洋⇒換金率2.66円


換金率の低い方低い方へとシフト。これを持ちまして熱田店とは縁が切れました。

 


 

この店の南側に南郊公園というのがあります。

自分が嵌った時には夕方この店を抜け出して、公園のオブジェに乗って仰向けになって星を観てました。この嵌りを超えれば何とかなるって思っても夕方の嵌りがしんどくて時々ここで休んでたんですね。この写真のオブジェ湾曲したところに乗ってたんすよ。しんどいなあって思いながらも閉店まで打ち切るにはここが踏ん張りどころだったので、星を長いこと眺めていると心が落ち着いてまた頑張ろうって思うんですね。


時には20分くらいここにいたかなあ。

 

平日この店に偵察に来た時はこの椅子で休んでることが多かった。ここにサングラスの兄ちゃんがやってきて今月はこんだけ勝ってるとか俺に見せる訳。まだ30歳前後の彼はいつも自慢話が好き。
 

店内スロットとパチンコの台数振り分け。スロットが少な過ぎましたね。パチンコは奥までびっしり結構台数がありました。
 

 

2003年から2026年まで勤務された村橋様、お疲れ様でした。


タイホウ熱田店。コンピュータはダイコク電機。補給設備は京楽のサーキット。最初はアウト計数ボックスも京楽さんのものを使ってたと思うんですけど、開店して何年か経った時に中の設備を弄った形跡があります。いつだったか正確には覚えてないけれど、私が竹屋を辞めたあとにこの店での遊技中に玉詰まりで遊技機を開放することがあった。その時目にしたのが僕が開発したアウト計数ボックスだったのですね。目の前にある真っ黒な箱。その中央にはTakeyaのロゴが刻まれており、まごうことなき僕のアウトボックスだった。京楽の島設備でありながら、竹屋のアウトボックスを使う其の訳は誤差玉が少なかったから。これを見るために俺はアウトボックスを開発してたんやという事でしばし感動。タイホウ熱田店には客としても格別の思いでお付き合いしていたけど、こういうところでも縁があった。2005年から2010年まではほぼ熱田店一色。2011年からは中野橋にも食指を伸ばしたけれど、2012年の9月までの8年間お世話になりました。印象に残ってる店員さんは村橋、蒋野さん以外にも沢山いたんですけど名前を憶えていなくて御免なさい。

 

この店での成績です。

2005年初っ端は港KEIZに行ってたので実質2月くらいからのお付き合いです。最初はKEIZで大ヤマト2を遊技してましたが、タイホウ熱田店は換金率が3.0円という事を知りこっちの方が回るを実感。然しながら2005年の大ヤマト2との付き合いは結構大変で朝イチ嵌りは1100回くらいでヤメてましたね。朝イチ2倍嵌りまでっていうのはこの頃からやってた訳ですけど1/500を初っ端から当るまでやり続ける勇気はなかったです。恐らくは朝イチ嵌りは1400くらいが最高で其れ以上深くは追わなかった。大ヤマト2に関しては2006年から当り出したって感じです。


2006年の年末に竹屋を退職し、そこから翌年の8月まではプー太郎生活。然しながら私はこの時期にはタイホウ熱田店には基本的には土日だけ。平日はキャッスル尾頭橋に行ってました。常連さんに会社辞めたなって事を知られるのが嫌でできるだけタイホウには近づかなかったんですけど6のつく日だけは平日にも行ってたので分かる人もいたでしょうね。エヴァ夫婦の奥方には気付かれていたと思います。そんな訳でこの年は100日くらいは尾頭橋で遊技してるけど上の数字には、尾頭橋の収入は入っていません。あくまでもタイホウ熱田店だけの数字。2011年からは中野橋にも行き出して2012年は中野橋とマリオン十番町店がメイン。

 

タイホウ熱田六番町南店
遊技した日⇒836日
収入⇒1032万3965円


1店舗当たりの稼ぎとしては自身最高のお店。1997年には星崎の大丸があったけど
タイホウ熱田店⇒1000万
大丸⇒500万
パチンコ三洋⇒260万
パチンコトキワ⇒200万

この4店舗で生涯収入の1/3くらいを占めている。


2026年9月27日タイホウ熱田店が23年間の営業に幕を閉じました。

 

熱田の灯が消えてその思いは中野橋に託すとありましたが、実際には中野橋東店も苦労すると思います。熱田店で味わった屈辱を中野橋で何とかしたいというタイホウの思いは分かりますけど道のりは極めて厳しいと言わざるを得ません。この何年かで一体どれくらいのお店が潰れたか?って思うと低貸しに振った店は悉く潰れております。中野橋が生き残るためには、本日お話しする思いをようく聞いてください。中野橋にとって最大のライバルはキャッスル熱田店です。2番目のライバルは玉越中川店です。近隣には


マルハン中川
KEIZ中川運河
パーラーニューギン
がちゃぽん蟹江


この4つは無視して結構です。然しながらキャッスルと玉越相手にタイホウが勝利するのは至難の業。そしてもうちょっと離れたところにラッキープラザ七宝があります。


キャッスル
玉越
ラッキープラザ


いずれも強敵です。中野橋が生き残るとしたら、中野橋だけの特徴を出さねばなりません。キャッスルはスロメインの店ですけどあそこはイオンの客を取り込めるから土日のスマパチの稼働は半端ないです。大して回っていないけどスマパチでお金を落としてくれるお客が無数にいる。資金力の問題もああるでしょう。話題性のある機械を40台、80台と買い込んで一時的にはお客を独り占めする力は認めましょう。こんな店とスマパチで喧嘩しても勝てっこないです。玉越はパチ優良のお店と思いますね。スマパチもP機ミドルも甘デジも海も甘海もそこそこ回す日があるからお客が離れません。かといって特定日に回すかといえば全然回さない。回さなくても客が稼働する術を知っている、その心は偶に開ける日があるから。甘、甘海、P機、スマパチ全てに於いて微調整の上手さはちょっとやそっとでは追いつけない。タイホウ中野橋が玉越中川に勝てる要素は限りなくゼロに近い。今から中野橋が玉越を目指しても玉越と同じ手法ならば客は移動しません。何故ならば過去の信頼と実績があるから。パチンコを見捨てたと思われているタイホウ中野橋が戦うなら


1パチを捨てなさい。


中野橋は開店当時から、店に入ると右側が4パチ。左側が1パチほぼ半々。利益の獲れない1パチの比重が高過ぎる。1パチをなくせば客を失うと思ってるだろうから一気になくすのではなくて、徐々に1パチの比率を下げて欲しい。ちょっとずつ1パチの島を4パチの甘デジに振り替えていく。最終的には1パチ全部を4円の甘デジの島にして欲しい。ミドルの1円よりも甘の4円の方が儲かるはず。こうして甘デジでは愛知県で1番という地位を築けば、口コミで客が集まってくる。ミドルとスマパチをほぼ捨てて、この両者はキャッスルに任せておいて、4円の甘デジだけでパチンコを形成する。その心は開けても軍団が寄ってこない。軍団は牙狼12とかグール、エヴァハジ、エヴァアスを好む。寄ってたかって確率を均すことができる軍団はスマパチとか爆裂機が好ましいから、甘デジはできれば打ちたくない。従って甘デジを還元する島、還元する日を作っても軍団がこなくてお店のやりたいように営業できるはず。無論ピンのパチプロは集まるけれど其れは問題ないと思う。4円の甘デジに特化した店を作ること。


これが生き残る道


キャッスル熱田店とか玉越中川店には相当優秀な幹部がいると思う。資金力にものを言わせ新台を100台買うキャッスルにはいつも新しめの台には客が集う。回ってなくてもこの店の4円には客がいる。玉越も名古屋では最も成功しているお店のひとつ。甘、甘海、海、P機ミドル、スマパチと満遍なく客が付くのは還元する日が偶にあるから。中野橋が目指すとしたらどちらかというとこの店だけど玉越を同じやり方をしても勝てないと思う。生き残るには独自の道を進むべきだ。2010年末にオープンして2011年の中野橋には多くの客が集まった。当時はニューギンの客が結構この店に鞍替えしましたね。ニューギンの常連客は見れば分かるので、私だけが知っていた。ニューギン⇒中野橋に民族大移動してると。2011年にはまずは大海アグネスがフル稼働状態で3.0円の熱田よりも3.3円の中野橋の方が良く回ってたので私も中野橋に行きましたね。


浜崎あゆみ
ピンクレディ
ハロプロ
地獄少女
必殺仕事人Ⅳ


この辺の稼働は半端ないほど高くて平日でもフル稼働。当時の熱田とか中野橋は新台として導入された機械は最初の2カ月はフル稼働で店も甘く扱っていました。機械代金が高騰した今ではそのようなやり方は無理だと思うけど、中川区の客には中野橋の稼働を埋める潜在能力があることは確かと思います。ただ当時はニューギンの客が中野橋に移動したように常に遊技できる環境を求めて動くので、中野橋の客もキャッスル熱田店とか玉越中川店に移動したと思います。その客を今になって中野橋に振り向けるには、キャッスルや玉越と同じ路線は無理ですね。同じことをやろうとするとタイホウ熱田店と同じ道を歩むはず。熱田で失った信頼を中野橋で取り戻すためには相当な覚悟が必要で、今日私が提案したような


愛知県ナンバーワンの甘デジ店を作る


これくらい大胆な事をしないと数年後には中野橋も潰れます。熱田の死は無駄にしないよというタイホウさんの幹部の意見は有難く受け止めておきますが、キャッスル熱田店と玉越中川店の圧力はとてつもなく大きいです。そのふたつの巨星に立ち向かうには何が必要なのか。どうすれば良いのか。本日私が提案した内容を含めてご検討ください。このままでは中野橋も熱田の二の舞です。

 

タイホウグループの人間に一言だけ小言を言っときますけど

この何年かでパチンコホールが企業として負け組となり閉店が続いたのは

①低貸しに振ったお店(1パチメイン)
②低貸し玉にした店(114,115,116個玉貸し)


其れをやったのが
①マリオン⇒1パチ専門店
②コスモジャパン⇒116個貸し
③東宝プラザ⇒114個貸し
④タイホウ⇒116個貸し
⑤パチンコ三洋⇒1パチ専門店


タイホウ様。客が何を1番嫌がるか分かりますか?


500円入れて114個しか出てこんことですよ。玉貸し個数が減るのが1番嫌なんで、コスモも東宝プラザもなくなりました。タイホウもまた然り。タイホウが116個貸しにしたら他に行くだけですよ。


①コンコルド
②ZENT
③キャッスル
④玉越
⑤ラッキープラザ(七宝だけ)
⑥KYORAKU
⑦マルハン

皆125個貸しですよ。そっちに行きますよ。この中でZENT梅坪だけは115個貸しだけど、其れ以外はみな125個貸し。近隣に125個貸しのお店があれば116個貸しの中野橋に行く訳がない。パーラーニューギンも一時114個貸しにしたけど、客が離れて125個貸しに戻してます。こう考えるとパチンコ店の経営はスロメインなんですけど、パチンコの方針が経営に大きく関わってると。パチスロは外から見た差別化が難しい。イメージとオープンチャットでお店の選別をしてるだろうけど、お店に入って外面でこの店にまた来たいと思えるような魅せ方はパチンコでしかできない。釘調整で選別されるのを嫌うお店もあるけど、釘調整でお客を呼べる可能性もあるのがパチンコだ。店に入ってサンドに116個貸しって書いてあったらそれだけで弾かれる。名古屋のパチンコ屋はタイホウだけではない。タイホウが116個貸しだと思えば皆コンコルドかZENTか其れ以外の①から⑦に行く。肝に銘じてほしい。


パチンコホールの経営には

意外とパチンコの舵取りが重要であり、パチスロの舵取りは思ったほど差が付かない。

この店にまた来たいと思えるかどうかを判断できるのはパチンコだけだ。
 


家から自転車でも行ける距離。2005年から2010年までは熱田にべったり。恐らくは睡眠時間を除けば家で過ごしてる時間よりもタイホウ熱田店に滞在している時間の方が長かったはず。月曜日から金曜日までもほぼ毎日のように店に出向いて店の様子伺いと、タイホウ新聞を貰う日々。タイホウと一緒に暮らす生活。。タイホウがあったから楽しかった毎日。この記事を書いている時点で私自身も涙が溢れて止まらない。2005年に初めてこの店を訪れた時は2026年にこの店がなくなるとは思わなかった。立地は良いし客層も良い。最終日にお店を訪問しいっぱい写真を撮って来た。久しぶりに村橋さんに会ったから、いつ頃からダメになったのかって聞いたらやっぱり


2012年の9月

玉積みが個別計数に変わった時だと。


パチンコは玉積みじゃないと本来の楽しさは味わえないと思う。現代パチンカーの期待値と回転率だけを考えれば個別計数の方が今ある残玉が見えるので回転率は計算し易い。期待値を目で見るために個別計数の方が良いという意見をよく聞くけど、其れは本当の意味でのパチンコ愛好家ではない。パチンコを愛するならばパーソナルよりも玉積みって言わんかい。そう言えない人間にパチンコを打つ資格はない。玉を自分で皿に入れるから良いのよ、常に玉を触っていられるから良いのよ。玉を触りたいのよ。


ほぼ毎日のように行きたくなる店には其れなりの理由がある。常連さんとの会話。パチプロさんとの競争。パチプロには負けたくないというライバル意識と自己研鑽を重ねるには毎日でも行って様子を見ておきたかった。最初はタイホウ新聞に台毎のスタート率が掲載されてあった。其れが途中からタイホウ新聞では割愛されて、大型液晶モニタの中だけで公開していたスタート率。このようなサービスを提供したお店は今も昔もタイホウ熱田店だけだろう。そういう意味でもタイホウ熱田店は


日本一の名店です。


最後に蒋野さんに会いたかったな。

もしもあなたと逢えずにいたら 私は何をしてたでしょうか

平凡だけど 誰かを愛し 普通の暮らししてたでしょうか

時の流れに身をまかせ あなたの色に染められ

一度の人生それさえ 捨てることも構わない

だからお願い 潰さないでね

今は中野橋しか愛せない

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涙なしには語れない。

私が愛したタイホウ熱田店よさようなら

蒋野さん
村橋さん
エヴァ夫婦
中角おばさん
ヤンキーおばさん
エプロンおばさん
サングラスの兄ちゃん
サングラスの兄ちゃんの仲間たち
加藤プロ
K谷プロ旦那
K谷プロ奥方
K谷プロの弟子
佐藤プロ
重田プロ
中谷プロ
勝ってる勝ってるババア
勝ってる勝ってるババアの旦那

みんなさようなら。

タイホウ熱田六番南店は永久に不滅です。

コメント

大谷すき@ポストシーズンがんばれより
  • 2026/10/01
  • PM 7:09

歴史が詰まってますね。
できれば私もこんな店に通いたかったものです。
しかしながらいかんせんわたしは2000年生まれ。どうしようもありませんでした。
まあ、MLBを楽しむしかないですね。まずは地区シリーズ。
ドジャース勝てるんか?僕は今年は優勝はむずいと思います。
師匠はどうお考えですか?

ゴーニィ 名無しさんより
  • 2026/10/01
  • PM 7:39

そうね

こういう店があれば君も楽しくパチンコが打てたろうけど。

残念です。涙が出るほど辛い出来事でした。

LADのポストシーズンはディビィジョンシリーズが鍵ですね。NLDSでATLがきても、PHIがきてもしびれるような展開なので。

でもLADのピッチャーは過去2回よりも今回の方が良いですよ。

てんてんより
  • 2026/10/03
  • AM 8:29

ゴーニィさま

日々の稼働お疲れ様です。
ゴーニィさまは六番町のヒーローだったのですね。私もイベント日には頻繁に顔を出していたとは思うのですが、ゴーニィさまのお姿には全く気がつきませんでした。 年々パチンコ屋が無くなっていくのは寂しいものですよね。特に頻繁に通っていた店ともなると尚更。この流れを止めたいですよね。4パチの甘デジ強化の話はとても興味深かったです。

ゴーニィ 名無しさんより
  • 2026/10/03
  • PM 7:04

会わなかったですね。

貴殿は100回くらい行ってると思うので会ってたことは間違いないけど、話す機会がなかったですね。その頃会ってたらまた色々あっただろうけど。

2014年の東海市
2015年の昭和橋
2016年の中川運河

今の新銀

にしても新銀は回らんね。もうあの店駄目かな?

村上亀吉より
  • 2026/10/04
  • AM 12:29

ゴーニィ様
今月も渾身の投稿ご苦労様です

愛知の地理が分からない私には流石にちんぷんかんぷんでしたが、当地と違いホール同士でしのぎを削る様子が伝わってきました
こちらは中心部のホールが随分少なくなりました

私は今年、ホールへは1度しか足を運べず暫定勝率10割なので(笑)今年はあと何回行けるかな?と言うレベルですが、痔の手術やら歯科医通いやら大腸ポリープ切除やら一気に押し寄せた身体のメンテに加え、亡くなった従兄弟に関係する様々な解約や問合せ、納税や税理士との打ち合わせなど慌ただしい日々でした

今後はチョロチョロ1パチを触る程度でしょうが、適度に楽しみたいですね

どうぞお身体お大事にお過ごしください

ゴーニィ 名無しさんより
  • 2026/10/04
  • AM 6:05

そうですねえ。

熱田区はまあまあ変則的な街。熱田神宮が区の真ん中にあるため。この頃は毎日熱田神宮を左手に見て走ってました。

お互いに身体に気を付ける年齢ですね。

タイホウ熱田店はまだまだ継続すると思っていただけにビックリでしたね。パチンコ三洋がなくなった時とはまた違う感情。最後を〆るのはやっぱり時を流れにでしたね。熱田から中野橋までは3kmくらいしか離れていないと思います。

ビッグドリームより
  • 2026/10/07
  • PM 10:28

熱田六番南店お疲れ様でした。

自分がまだパチンコエンジョイ勢の時に(今も)銀河鉄道物語で50000発出たお店の印象しかありませんでしたが、数年ほとんど稼働しには行っておりませんでしたが、閉店になるのはかなり寂しいです。

しかもたまたま閉店最終日に前を通りかかって、店内入りました。懐かしい反面寂しかったですね。
ゴーニィさんがここまでこのホールに思いれがあったとわ。
お疲れ様でした。

ゴーニィ 名無しさんより
  • 2026/10/07
  • PM 11:32

銀河鉄道物語は

潜伏確変落ちが拾えた台でしたね。多分大ヤマト2の後継機械だったと思います。

タイホウ熱田店は自分の家みたいな感覚でしたからね。この店さえあれば一生パチンコで困らないって思ってました。

2012年の貯玉再プレイ手数料禁止が痛かったですね。換金率が3.0円から3.6円になって、玉積みが玉積みじゃなくなって徐々にダメになっていきました。


元々は素晴らしい店だったんですけどねえ。

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プロフィール

ゴーニィ ゴーニィ

基本パクりと物真似と替え歌だからオリジナリティゼロだけど、それでも自分が面白ろいと思ったことを正直に書いてきたつもりなので自己満足という点ではアリだな。お笑いのネタが無尽蔵に湧いてくる。なんでやろ?パチンコじゃなくてお笑い芸人を目指せばきっとボケと突っ込みでボケの方。

パチンコが好きか嫌いか言うたら「好き」の方やと思うけど、昔ほど夢中ではないし好きでもない。1個賞球増えてきて、玉の出ない(循環式)パチンコばかりになるとパチ続ける自信 が持てん。パチばっかりやってる人は早いとこ就職した方がええと思うで。

パチプロなんて自分がパチプロと思い込んでるだけですからwww

  • 職業:まだ会社員
  • 生年月日:6月27日
  • 性別:男性
  • 血液型:O型
  • 活動地域:香川県生まれ、愛知県暮らし
  • パチンコ歴:長い
  • 好きなパチンコ機:アメリカンドリーム
  • パチスロ歴:やらないかも知れん
  • 好きなパチスロ機:見つからんかも知れん
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