私が地震で学んだことを模索

 

パチンコビレッジをご覧の皆様、今年もよろしくお願いします。

 

年明けから大変な災害が発生しました。能登半島地震の被害にあった方々のご冥福をお祈り申し上げます。

 

また、いまもなお安否の分からない方や避難生活を余儀なくされている方々がいらっしゃいます。一刻も早い生活の復興を願っています。

 

私は東京在住であり、石川県の方に親しい知人も思い当たらないため、直接的な被害はありませんでした。

 

このような事態となってしまい、どうしたものかと悩んだのですが、私は年明け予定していた通りに地元である宮城県仙台市へ向かいました。いわゆる正月の里帰りということになります。

 

 

大きな地震があると、どうしても2011年の東日本大震災が想起されます。

 

当時は仙台に住んでいたのですが、私の家は沿岸部から遠く離れています。津波の被害は皆無でしたので、震災の被害は少ない地域でした。

 

それでも、私の実家を含めてほとんどの建物が半壊(当時の基準としては少しでも壊れていれば半壊という扱い)。

 

電気、水道、ガスといったライフラインは数日ストップ。物流も滞っていて、スーパーやコンビニは営業していない。営業していても品薄で、店先には長蛇の列という状況。

 

しかし、家族や親せき、親しい友人は全員大きな怪我もなく生存したいたことは不幸中の幸いでした。

 

私の命に危険があったのは地震の瞬間だけ。そのあとは不便ではあったものの、復旧に向けた流れの中に身をゆだねるような生活を送っていたような印象です。

 

壊滅的な被害に遭われた方々と比べれば危機感は薄かったです(比べるものでもないかもしれませんが)。

 

そんな落ち着いた復旧生活が送れた要因はやはり、まず第一に命があったおかげでしょう。自分自身の命、家族の命。それが何よりも大事なことだと痛感しました。

 

不便な生活も家族で助け合い、友人と励まし合えば苦ではありませんでした。

 

人と人との絆。あまりにも使い回されている言葉なので安っぽくなりますが、絆の大切さはヒシヒシと感じたものです。

 

本当に大切なものは失って初めて気付くといいますが、「失っていたかもしれない」という事実をリアルに突き付けられたことによって再認識することができました。

 

命と絆の大切さ。

 

これは私が東日本大震災で得た、最大の教訓です。

 

一般論にもほどがあるような教訓ですが、飾り立てた言葉や奇をてらった表現を持ち出す気はありません。

 

大切なものに付け加えるとすれば、「思い出」でしょう。

 

写真など、形に残る思い出の品があればなお良いかもしれません。もしも実際に失っていたとしたら…と想像すると、大切な人との思い出が、その後の人生で掛け替えのないものになるはずです。

 

そして災害に対する具体的な日頃の備えも、もちろん大切ですね。

 

また、教訓とは違いますが復興のために尽力してくださった行政や関係各所の方々には感謝してもしきれません。

 

 

仙台の街並みは数年前からすっかり元通りです。

 

沿岸部でも住居やインフラの復旧はほぼ完了していて、農業や水産業などもほぼ再開しているとのこと。

 

建物や街は建て直せる。東北の復興はその良い証拠になるでしょう。

 

今回の地震で被害に遭った地域も、必ず復興します。

 

微力ではありますが、私も復興に向けてできることを考えていきたいです。

 

とはいえ、自分には自分の生活と仕事があるのでね! 次回の日記からはパチスロの話をしていくのでよろしくお願いします!

 

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