パチンコビレッジへの応募内容
消えかかった火をどうやって灯せばいいのか?
パチンコを取り巻く環境が様変わりした。パチンコと向き合ってもう30年になる。1990年くらいからだろうか。この先徐々にパチンコでは勝ちにくくなるだろうなという思いを強く持っていた。なんていうのか、釘を調整する指針みたいなものが変わり始めた。そのときは分からなかったけれど、今にして思えば、ホールコンピュータ導入に伴い釘師は必要なくなっていたのだ。だから機械的な釘調整に変わっていたのだろう。それを感じ取っていた。⇒(A)
店員による釘調整に変わってから一途にこの業界は衰退していったと思う。それでもまだまだ可能性を残していたところに、あの東日本大震災。パチンコ業界が揺れる。襟を正さなきゃかという思惑かどうかは知らないが、広告規制、イベント禁止。そして極めつけは、貯玉手数料の禁止。この貯玉手数料が駄目だという論理には、正直驚かされたし、今までのパチンコ歴史の中で、もっとも打ち手にとって不利になる規制だったと思う。実質3円店をなくすということに他ならないからだ。これで全国に残っていた数少ない良心ホールが、全て極悪店に変わったに違いない。⇒(B)
この業界を何とかしなきゃいかん。何とかしたい。何でもいいから形に残したいという思いで、一時業界に飛び込んだ。遊技機メーカーで仕事をすることになったのだ。目的は、4個まで減った賞球を7個まで増やすこと。7&15の機械を世に出すことが、自分の悲願だった。でも配属は、機械開発ではなくて設備開発。ここで実績を残して、いずれは機械の開発に携わりたいという思いで死ぬほど働いた。その結果極めて誤差玉の少ないアウトボックスを開発し、世に出すことができた。このアウトボックスの功績は今となっては、全国のパチンコホールから重宝がられているとの情報を得たので、それはそれで満足しているが肝心要の遊技機の世界がなんともならない状況に陥っている。
⇒(C)
この業界を何とかしたい。自分の力ではどうにもならないことはわかっているけれど、その思いはずっと変わらず持ち続けている。そしてこの気持ちを切らないことが明日につながると信じている。この気持ちを、何かで表に出して、そして皆で共感し、声を大きくすることができたらいいなと思って投稿させていただいた。
高換金ホールから低換金ホールへの転換
貯玉手数料禁止の通知があって以来、全国の3円ホールが3.6円や等価店に変わってしまった。規則上止むを得ないことなれどこれによって、回らないパチンコに拍車がかかったことになる。本来パチンコとは楽しくなければいけないというのに、回らないが常識では本末転倒である。回らなくても勝てればいいが本来の姿ではないと考える。正村ゲージがなくなった時点で、パチンコは火が消えたのかもしれない。もはや、この世にパチンコらしきものはないのかも知れない。それでも、パチンコらしさを取り戻さない限り、この業界は活況を呈さないと断言する。⇒(D)
私が思うパチンコとなれば、一言で言うと、お金を使わないパチンコということになるのだが、さりとて1円パチンコのようなミクロの世界は、話が飛躍しすぎていて正鵠を得ていない。やはり4円パチンコが前提で、それでいて投資が少なくてすむというのが正解だと思う。近い将来、消費税のアップが確実視されている。そうすると、高価店では、更に「回らない」悲劇が加速するのであろう。今現在でも千円当り15回転が当たり前の等価店にあって、更に消費税アップとなれば12-13/千円ということになるのか。これではさすがに、パチンコする人もいなくなろう。遊技客がなくなれば店も淘汰されるのだから、やっぱり考えなければいけない時期に来ている。消費税10%時代を考慮すれば、パチンコは一旦換金率を大幅に下げる時代に戻ってもいいのではないだろうか。40個100円で、出玉共有不可。当然のり打ち、打ち子とも認めずとなれば、幾分健全な世界が戻って来よう。これが今考えるパチンコの将来像である。然しここで、パーソナルシステムが低換金率店普及の障害になろう。⇒(E)
カード管理のパーソナルシステムでは、現行のパーソナル導入店舗においては、カードの差し替えでいくらでも、持ち玉共有を容認せざるを得ない形態がある。もちろんその台でしか利用できない等、やり方はあるだろうが、障害になるような気がしている。貯玉手数料が全盛の頃、とあるホールで、パーソナル店で、1回交換の島を作ってはどうかと提案した。やり方は出玉であっても、玉貸しボタンを押すと125個払い出されて、カード上では200個玉が減少するというもの。今ではこの差玉75が、貯玉手数料に当るのでNGといわれるかもしれないが、昔なら可能であった。
理論上、ここで言う1回交換パーソナルシステムが、可能であるならば、この形を自分の理想とするパチンコとして提案したい⇒(F)
この文章は2012年私が村岡さんに送ったドキュメントです。その年の1月くらいにパチンコビレッジの新規ライター募集って告知がありまして、パチンコビレッジからのお題ではパチンコ・パチスロをどうしたらよくなるかという提案をして欲しいという内容だったと思います。そこで私は上記のようなことを提案したわけですが、今から14年前でも既にパチンコの崩壊は始まっていて悲惨な環境でした。そこで僕は1円パチンコではなくて4円パチンコで利益が取れる世界を真剣に考えていたところ、村岡さんから「新規ライター募集」に関しての提案を頂いたわけです。考えられることを色々模索しましたけれど、現時点では結論は「パチンコ」を捨てよという事になってしまいました。14年前には消えかかった灯と思ってた世界が、今では消えてしまったかのように思うのは
店も努力してるけど4円の客が付いてこない。
いくら店が努力したところで遊技機を作ってる側が客の気持ちを逆なでする。
解説
(A)はかなり重要。1980年代後半から1990年代にかけて、パチンコ業界は空前の売上がありました。売上が爆上がりするとともに、勝ち易さも爆上がりしたために一部の客は仕事を辞めてパチンコで飯を食っていこうと本気で考えます。当時は田山幸憲というスターが必勝ガイドにいて、石橋達也が革命的な時代の盟主となって必勝ガイドを支えた。この2大巨匠に憧れてパチプロを目指した人は少なくないでしょう。他人のことをとやかくいうのは好ましくありませんが、この時代はやはり2大巨匠の影響は少なからずあったように思う。其れに付随して安田さん、小野さん、小池さん辺りがその意思を引き継ぐ。年齢的にはちょっと下だけど、アンドレさんとかレイリーさんも似たような思いでパチプロを目指したのではないかと想像しています。
この時代は保留玉連チャン機、ブラボーキングダム、フルーツパンチ。3種の神機があったために私もパチプロになろうかと考えた時期がありました。然しながら1980年代にみられた釘師による釘調整が徐々に失われていくのを感じ取っていた時期でもありました。ともぞうさんとかなべっちさんは分らないと思いますその感覚。1980年初からその後半に遊技していた人間にしか分らぬことですが、パチンコの釘調整は「ホールコンピュータ」が登場してからは明らかに変わりました。
釘師⇒職人の手さばき
店員⇒単なる割数の加減
店長若しくはその上長から指示されて釘を打つ行為と、自分に全責任任されて釘を打つ行為が異なるのは当たり前のことですが、其れが及ぼす影響は小さくありません。パチプロがパチプロである理由は、釘師との戦いだと思っていました。釘師との戦いに勝てば毎日の生活費が与えられる。だけど釘師との戦いに敗れれば引退を余儀なくされる。其れが故、パチンコホールにおける釘調整は死ぬほど
デリケートでした。
誰にも言いたくない。誰にも教えたくない。
釘調整は簡単に他人に教えるものではありません。その技術をSNSとかパチンコ雑誌とかで公開するのはヤメて頂きたい。勿論YOUTUBEでも公開するのはヤメて頂きたい。釘調整は自分にとって「命」だと思っていました。然しながら高度な釘読みをマスターしたにもかかわらず、其れがいつかは無駄になる時が来る。其れを予感させる出来事が「ホールコンピュータ」の開発であり、其れに伴う釘調整の変化でした。1993年に東海市のサンアポロ(現在のZENTスロ専門店)に初めてデータロボが設置されてから徐々に釘調整が変わっていったのです。この頃パチンコ打ちとして感じ取った変化は、いつかはパチンコで勝てなくなる時期が来るということでした。だから今は簡単にパチンコで勝てるけど。今は苦労しなくても月に50は勝てるけど。今はパチプロになっても食うに困らないけれど
いつかは死を迎える。
勿論今の時代でも勝ちまくってる方もいますけどね。だけど勝ち方は変わった。自分ひとりでは勝ててないし、この先消費税が15%、20%となったらどうするんだろう。この先パチンコホールで現金への換金が禁止されたらどうするんだろうという問いに対して、明確な答えを持ってるパチプロ・パチスロプロはひとりもおらんと思うんですよ。時代に絶対はないからね。
消費税が20%にならないとは限らない。
現金化が禁止にならないとは限らない。
そうなったらなってから考えるってのはナシだよ。プロは如何なる状況に置かれても飯を食ってけるのが当たり前だからね。だから僕はパチプロを断念した。1993年の頃。30年先のことを見据えて僕はパチプロという道を選ばなかったけれど、その時代僕の同世代でも「選んでしまった人」もいるよね。1995年以降にパチプロデビューした人は仕方ないけど、其れよりも前から遊技していた人がパチプロになるのはダメだと思う。あの時代の釘の変化に気付いていないはずがない。其れを知っててパチプロに甘んじた人は駄目だと思うし、其れに気付かなかったっていったらもっと駄目だと思う。
如何なる理由があろうとも
パチプロって道を選んではいけない。いけなかった。
解説(B)
2011年3月の東日本大震災は誠に悲劇でした。被災地の方々に置かれましては、今でも苦労なさってる方もいるだろうから配慮すべきなんですけど、ことパチンコに関しては配慮すべき点はないものと思っています。日本列島において地震とパチンコのマーケットそのものとは無関係であるべきです。当時は地震が起きて被災者が気の毒だから、パチンコなんかやってる場合じゃないという空気でした。だけど其れは本来は間違っている。
東北に地震が起きても
其れ以外の地域の人たちはパチンコのお陰で飯を食っている人たちが沢山いるから。
東北以外のパチンコホールの店員さんの生活はどうするんだ?
遊技機メーカーの社員の生活はどうするんだ?
その他パチンコに関わって生活している人たちは地震には関係なく生活を続けなければならないと思うし、其れは地震という不可避な災害とは切り離して考えるべきです。この地震によってパチンコの島設備に影響を与えたものがあります。其れは何かというと個別計数です。地震が起きた直後、パチンコ遊技中に島の中に玉積みしてあった玉箱とパチンコ玉の重さによって逃げ遅れた人が命を落としています。従ってこの地震をきっかけとしてパチンコホール内に重い玉箱を無数に積み上げて、人の足場を殺すのはよくないという考えが支配的になりました。勿論、玉下げ、玉上げによる人件費を削りたいという経営上の問題もあるんですけど、其れ以上にお店が考えるのは災害が起きた時に、玉が人の命を奪わないこと。
そしてこの地震が発生した後に起きた出来事がパチンコに関する規制。これは公安委員会毎に規制の内容が変わると思います。この時に私が最もダメージを受けたのがマリオン十番町店の「おすすめ」コーナーに対する規制でした。元々はタイホウ熱田店に集まる客を奪い取ることが目的で始めたパチンコのイベント。島単位でしか実施しませんでしたが「おすすめ」の札を入れると確実にボーダー+3くらいを提供してくれるので有難かった。其れが震災後しばらくするとそのイベントは打ち切りになりました。中川警察では出玉を匂わすイベントは全て禁止ということで、マリオンのおすすめも駄目だという理屈でしたが、この時は何故地震とこれが関係あるのかっていう断腸の思い。これが駄目ならそれ以降にあったプレミアム×パチンカーとか玉道場は全て禁止になりますね。地震で被災地の皆さんが苦しんでいるのにパチンコなんてけしからんという世論の圧力に屈した中川警察。だけど本来は天災とパチンコに関する規則は無関係なはずですね。無論天災があったからかどうかは分りませんが、この時内部では業界に対する新たないじめが起きようとしていました。貯玉手数料を取って営業することを禁止。当時は貯玉に手数料を取ると、そこでお店が「利益」を搾取していることになり通常の営業以外の利益が三店方式に反するみたいな理屈だったけど、私は何度説明を聞いても理解できませんでした。何故貯玉手数料の搾取がいけないのかと?
最近になって
貯玉手数料は解禁されました。
だからイワンレンドルですね。最初から貯玉手数料の搾取は何かに違反してたわけじゃなく、警察の嫌がらせということが分かりました。これが解禁されたということは、2012年に貯玉手数料がアカンという理屈でゴリ押ししたことは、やっぱり震災と関係あるのではないかと疑っています。パチンコ業界に対する規制は、業界に対するいじめ。震災で多くの人が苦しんでいるのに、パチンコなんてけしからんという世論に何某かの形で答えようとした警察庁の腹黒い考え。其れが故に
(1)タイホウ熱田店3.0円⇒3.6円
(2)マリオン十番町店3.0円⇒3.6円尚且つおすすめの禁止
(3)タイホウ中野橋店3.3円⇒3.3円は変わらず外税の店へ
(4)キャッスル尾頭橋店3.0円⇒3.6円
(1)から(4)までの優良店が全て死にましたね。この2012年のゴリ押しはパチンコホールだけじゃなく、私もまた優良店を失って路頭に迷う有り様。
解説(C)
時代は遡りますけど1997年に仕事しながら休みの日だけで年間500万円も勝った私は、達成感とは裏腹に何故か虚無感がありました。あまりに根詰めるとパチンコの稼ぎは多く頂いたものの、脱力感が半端ない。嫁のたっての希望もあって嫁との暮らしを優先し、私は1998年から2001年までパチンコを一切打ちませんでした。そこで再び戻ってきたのが2002年の事でしたが、過去の繁栄は既にありませんでした。のめりこみ対策後の業界は崩壊寸前。この時感じた1番の問題点はベース規定に違反しているということ。元々パチンコは
デジパチ登場以来
(1)1982年から1985年くらいまで⇒ヘソの賞球は13個
(2)1986年から1993年まで⇒ヘソの賞球は7個
(3)1993年から2002年まで⇒ヘソの賞球は5個(CR確率変動)
(4)2002年から2004年まで⇒ヘソの賞球は4個(時短100容認)
(5)2004年から2016年まで⇒ヘソの賞球は3個(確変50%撤廃)
(6)2016年から2019年まで⇒ヘソの賞球は4個(唯一の逆転現象)
(7)2019年から2020年まで⇒ヘソの賞球は3個
(8)2020年以降⇒ヘソの賞球は1個が主流
何故こうも客をいじめるのですか?
私が遊技機メーカーに転職したのは2002年の事。其れが本文の「一時この業界に飛び込んだ」という件。既に4個賞球までいじめられていた遊技機を何とかして7&15に戻したいと思って遊技機メーカーに就職いたしました。私の願いは機械開発でしたが、配属されたのは設備開発の方。然しながら機械開発の人間が行っていた仕事を垣間見ることもあったけど、奴等は客を騙すことしか考えていなかったですね。
T1Yが1800個あった時代
1700個まで減らしても大丈夫か?
1500個まで減らしても大丈夫か?
1350個まで減らしても大丈夫か?
このような実験に明け暮れていたので唖然とした次第。客のことなんかなあーんにも考えていなくて、お店の利益をどうやってとるかだけを考えていました。残念ながら私が機械開発の現場に行くことは叶わず、志し半ばで退社を余儀なくされましたが、万が一私が機械開発をやっていたら、ヘソの賞球だけは増やそうとしたと思いますね。恐らくは皆から猛反対されてヘソ10個賞球の機械など作らせては貰えなかったと思うけど、私の気持ちは常にヘソは10個賞球ですね。
規則に書かれているベース規定。大当たりと電サポ中の出玉の合計は7割以下であること。
勿論4個賞球、3個賞球の遊技機でも営業ベースが3割を超えることはありませんね。2002年当時から遊技機の営業ベースは激低なので規則には抵触しています。これを解決するために遊技機メーカーが保通協の適合試験に機械を持ち込むときは、10個くらいあるポケットの入口を意図的に釘を曲げてバカ開けにしていました。普通の状態では適合試験に合格するはずがないので、試射試験を実施する時だけ、ポケットの釘調整をバカ開けにして高ベースと見せかける。だけど其れでは営業できないので、ご丁寧にポケットの入口をパチンコメーカーの社員が潰してからパチ屋に納品する。この習慣が遊技機メーカーが悪の片棒を担いだということで、大問題となり、釘調整は違法であると大騒ぎして業界は破滅の道を進みました。
だからこそ
自分が遊技機メーカーに就職して悪の習慣を断ち切りたかったです。
解説(D)(E)
パチンコらしさを取り戻さない限り、業界は活況を呈することはないと断言する。この場合のらしさとはお金を使わない遊技のこと。1パチは邪道なり。何よりもパチンコホールへの利益還元度合いが低いので、たとえ1パチで高稼働を実現できたとしてもお店は儲からない。お店が利益を獲得して裕福にならない限り、お客への釘調整には反映されないので、1パチ繁栄では困るのだ。4円パチンコで客を呼ぶとなると
お金をいっぱい使う一撃よりも
お金をあんまり使わない遊技機
昔のパチンコ業界が反映したのは、釘師による釘調整があったこととハネモノが魅力的だったから。ハネモノが魅力的な遊技機になる為には出玉無制限ではなくて、4000個打ち止め終了になることが条件と思う。打ち止めというルールがなくなれば釘調整も不要だし、ハネモノは単なる貯金箱になってしまう。お金をあまり使わなくても長時間遊べるものが「娯楽」であり、娯楽の殿堂だから今のスマパチでは4パチは栄えない。お金を使わない環境ということで、この業界はいつかは換金率が4円から2.5円くらいまで時代を遡らないと駄目だってことが(D)(E)の中で訴求している。
解説(F)
そしてパチンコ業界が繁栄を取り戻す唯一の方法が、1回交換パーソナル環境と結論付けています。
玉積みの時代なら簡単に1回交換というルールにできると思いますが、パーソナルでは難しい。持ち玉遊技になったら貸し玉ボタンを1回押すと125個の玉が排出されて、記録上は200個の玉が減る。こういう形にすればできないことはないけれど、そんなことしたら機械から出てこようとしている遊技球を抜かずに遊技する客ばっかりになっちまう。
其れがスマパチとなると、玉を抜かずとも自動的に出玉を計数し貯玉される。其れが故、現金を投入したものは玉貸し1回で125個の持ち玉とされ、遊技機から出たセーフ玉は持ち玉とされるから容易に区別される。現行のスマパチではセーフ玉は貸し玉ボタンを押さずとも打ち出しを開始できるけど、仕組みを変えればできなくもないと思う。遊技機から出たセーフ玉も一旦貯留され、貸し玉ボタンを押せば玉が減るような仕組みにすれば
現金はワンプッシュ125個
持ち玉はワンプッシュ200個減
できるのではないだろうか?
時代が変わっても工夫すれば、パチンコらしさは取り戻すことができる。其れがこの業界が生き残る道。
罫線を引くまでの文章が2012年に私が送った内容。其れを読んで解説に書いた詳細を全て、村岡社長は理解していたのだと思います。其れだから故、彼は私に記事を書いて欲しいと依頼してきた。2012年と言えば、今から14年も昔のことだけど、その頃書いた文章を今読み起こしても、時代錯誤を感じない。その頃と今と、問題点は何にも変わっていないってことに驚く。
今はただ
初心に帰ったような気持ちでパチンコに向き合います。




コメント
なんだかまあ、頭を抱えたくなるような業界の悪くなりっぷりですね。
もう等価交換はマジでやめてくれ。
絶対に店は回せないし回せたとしても強いイベントの1回限り。
無理ですわこれは。
ホールは全て非等価にしてください。
遊技機についてはね、
一回全て遊技機メーカーにわからせんといかんですね。
誰に食わせてもらってるか。遊技機買ってるパチンコホールじゃないぞ。
パチンコホールで打ってる客だぜって。
最終受益者のことを考えずものづくりをしてんだぞって。
車を運転する人のことを考えずに車のパーツを作る奴がどこにおんねん。
悲しくなりました。
1年しかこの業界に関わってない僕ですら悲しい気持ちになるのに30年も関わってる兄さんの気持ちたるや。
そうね。酷いね。
まあ何度言うても分らんガキは昔からいるけど、パチンコ業界ってのは鎖国ですから、他業界からの参入は絶対に認めないし。
パチンコメーカーが食わせてもろてるのは、客ではなくて店ですから。
店の言う事しか聞かんしな。
そういう世界に風穴を開けたかったけどな。自分の力不足は認めるけど、誰かが風穴開けてくれたらってずっと思いながら生きてきた。
2016年だけは、一瞬だけ日工組の皆さんありがとうって思ったっけ。
時代の流れに逆らったのは、あとにも先にもあれ1回だけやしね。