誰もが通る道

成功する人間はどんな人間か知ってる。

一直線に進む人間よ。

 

でももうひとつ大事なことは、現実を知りその上に立つこと。

周りの人間を味方につけて力をふるうことも出来なければ駄目。

 

 

パチンコで勝つために最短距離で走ってきた。一直線に突き進まなくば鉄火場での勝利など有り得ないと思って取り組んできた。でもどうだろう。周りの人間?誰の力も必要なかった。己の力だけで乗り越えられると思って来た。ノリ打ちや出玉の共有など、勝てない人間の最後のあがきだと思って来た。組織の一員として軍団に加わるのは単なる社会迷惑だと思っていた。自称パチプロやパチンコライターを名乗るのはいとも簡単で勝ってる時だけプロといってればそれでいい。勝てなくなったらさっさと足を洗う人たちを見て軽蔑もした。周りの人間を味方につけて戦うということは考えたこともなかった。

 

 

自分ひとりさえ勝てればそれでよかった。

 

 

8月8日、9日の様子を見て今年の盆休みは全休しようと考えた。否、それまでに体調が悪かったということも勿論ある。夏場のパチンコは元々苦手だし、クーラーで冷え切った寒い店内に居座り続けると、ほぼ風邪を引くってのが私の持ち味だ。体調の悪さも相まってお盆休みの釘調整で戦うには不利だと考えた所以であるがそれ以上に重く見たのは沖縄5。期待値が取れない。

 

 

誰もが歩いてきた道を辿ろうとしている。

 

 

私が元々パチンコビレッジで掲載をやろうかと思ったのは、佐吉さんという先を歩いてきた人がいたから。彼が止める前の2年間くらいはほぼ短文掲載で日記というよりは意味のない感想文って感じだった。勝てないことを知っていたし、勝てなくなっていく過程において負けを肯定しない物書きに変化していった様が痛ましかった。もう止めればいいのに。無理しないでというのが精いっぱいで、かける言葉も見つからなくなっていった。誰もが通る道だろう。人間はいつかは勝てない時期がやってくる。

 

これまでの自分にもそれに近いことは今までに経験済である。まずは2016年、320で戦うのはもう無理だと思ったので、意図的にJAPANの239ばかりやるようになった。3個賞球で極端に玉減りするような機械では1/320を相手に戦うのは無理があると思ったからそうしたまでで、同時期に北斗無双が出ても見向きもしなかったのは北斗が3個賞球だったから。北斗無双がもうちょっと遅れて出てくれば。たらればでしかないけど、北斗無双は4個賞球でやりたかった。2016年に一旦は320を放棄した戦いを通したけれど、この年の年末に風向きが変わって、自分のパチンコも変わった。もう無理だと思ってた320でやれそうな風向きになったからだ。

 

慶次の雲が4個賞球

沖縄4が4個賞球

ヘソの賞球が4個ならやれるかもしれない。

 

また前みたいなパチンコがやれるかもしれないなと思って久々に320を相手にしたのが、慶次雲だったしそのあとに出た沖縄4だった。この頃はそこまで説明してなかったと思うけれど、JAPANの320をやらなかったのは3個賞球機で肩に入らず玉の減り方が半端なかったからである。リスク回避できない機械だったので、勝つか負けるかは確率のバラツキに問うしかなかった。JAPAN320はほぼ期待値のない環境だった。

 

そうやってごまかしてきたのが2017年からの4年間だったと思う。

 

 

この4年間は沖縄の賞球が4個だったから何とかパチンコが打てたということである。この機械がなければ私のパチンコ人生は終わってたかもしれない。そしてついに出た沖縄5。この機械を7月に何度か遊技して思った。この機械はいかなる釘調整にしたところで期待値が取れない。いかなるは勿論言い過ぎなれど、現実的に考えて有り得る釘調整では、ほぼ期待値がないということ。ヘソの間隔は最大限13ミリまで広げてみてもスタートはカバーできない。台毎の個体差はあるにしてもヘソが13ミリ開いててもスタートは6.6~6.8ってことが多いと思う。それほどまでにジャンプ釘を取り付けた位置が悪い、悪すぎる。肩の通過チャッカーは元ゲージのまんまでも普通図柄の保留玉は満タンにはならないと思う。いくら頑張って止め打ちをしたところで、ここまでヌケが悪いと玉減りは避けられない。電チューが小さくなったことも影響は無視できない。

 

 

JAPANを放棄した時と同じ状況が目の前にある。

 

 

2016年と同じ状況に戻っただけだ。如何にお店が特定日に釘調整を甘くして還元しようとしても期待値は出ない。大きく負ける台が小さく負ける台に化けることはあってもそれ以上を望むことはできない。逆に言えばどんな釘調整にしてもお店の利益が確保できる台に仕上がっており、それを目指した遊技機開発だったのだろうと想像している。ここまでのことが7月の段階で全てわかってしまったから落胆の度合いが大きい。だから海依存度を下げるようにと思って来たけれど、今の私にはその対策が十分ではない。何年も前から脱海宣言をして勝てる道を探す必要があったと思うけどそれを怠ってきた自分の不徳だと思う。恨むのは遊技機メーカーではなくて才能のない自分の方だ。世の中の大多数の人間は釘調整で遊技機の割数は何とでもなると思っているようだけどそれは間違い。昔みたいに1日で2ミリも動かせる時代には、確かに悪いゲージを釘でカバーすることは可能だったけれど今は0.01~0.05で動かす時代である。動かせる幅がことのほか小さくなれば、釘調整よりも最初っから作ったゲージ構成とか遊技機のスペック(賞球数)の方が勝ち負けを左右する。いかなる釘調整にしても客が負ける台は現実に存在するし、そのような遊技機にいち早く気付くことが今のパチンコでは重要。厳密にいうと沖縄の場合は1本だけ期待値を大幅にUPする釘があるけれど、その釘をプラスに振る店は

 

限りなく

限りなく

 

限りなく少ない。

だからこの台は勝てぬのである。

 

 

7月25日からずっと体調が悪く未だ万全な状態ではない。ずっと家に居て何もしないでいると、治るものも治らないのかそれとも別のことなのかは分からんが、今はチャングムを見始めると止まらないという状況でパチンコどころではない。このままずっとやらないでいても問題はないのだが3日間も家で寝込むとそろそろ体が動き出そうとし始める。当てがあるわけでもないので明菜の続きでもやろうかと思って出かけようとするとスピードパスがなくなっていることに気付いて一大事だった。樹脂の一部が破損してしまったから一旦契約を解除して再度作り直したがこの辺の処理に手間取って店に着いたのは11時ごろ。3台ある明菜の真ん中だけが空き台になっていたのでしばし長考。金富士の99と明菜くらいしか打てそうにないけれど今日は明菜をやりたい気分だった。2個賞球でもやりたくなるほどこの台には中毒性があるけれど、一旦打ち始めると2個賞球が効いてきてイヤンなってくるのはこの前とおんなじ。結局スタートもこの前と同じくらいのレベルだったのでほどほどのところで止めておく。打ってる最中右隣のジジイがやけに連チャンしてたけど一旦連チャンが終わっても50回転過ぎ(実質的には数回転)でまた次の当たりを引き入れてまたまた連チャンし始めたたからちょいと羨ましくなってくる。このジジイのクソみたいな引きっぷりを目の当たりにして、自分の台は即死。2連。4連というおとなしい展開で何とも自分らしいST消化。こんなもんだと自分に言い聞かせて久しぶりに座った感覚を味わったが、まだ体がいうことを聞かない。リハビリ中みたいな感覚に陥り4連の後即止め。ついでに言うと2連目に明菜で初めて次回まで確変というのを頂いた。全回転リーチで最後はAが三つ。この間だけは至福の時間だった。10Rに偏ってくれると甘デジとは思えないほどの差玉性能があるけれど、その分時短という概念がないからね。大当たり確率は時短の恩恵がないことを考慮すれば決して甘い台ではない。でもやりたくなるのは何故だろう?

 

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第48話_クミョンの告白

 

それが私

一族の一員としては迷いを捨てきれず

かといって自分の意思を貫くこともできず

心から自分を信じることもできず

心から自戒することもなく

 

 

曇りのない才能を持つこともなく

曇りのない真心を持つこともなく

ひたむきな想いを寄せられることもなく

ひたむきに恋に生きることもできず

 

 

それが私

自分に曇りのない才能があれば、こんなことにはならなかった。

パチンコビレッジの記事の投稿でこんなに苦しむことはなかった。

週末が来るたびに期待して待ってくれている人を裏切ることもなかった。

 

 

結局私にはパチンコの才能なんて欠片もないのである。

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