平成二年三月五日(月)晴

昨日は左官屋、ソバケンと三時から飲み始め、何と五軒もハシゴしてしまった。パチンコ店への道すがら、何度も足がもつれて、ヨロけそうになる。それでも、十時三分前、定刻通りに目的地到着。ローリングマシーンの352番は、二日間裏切られたので、もうハンドルを触るのさえ嫌だ。今日は新たなアキを見つける一手。と思い、いつものようにローリングマシーンのシマから入ったところ、皮肉にも352番がいよいよ輪をかけてアケられている。風車上誘導釘がお化けのように広い。これでは素通りできない。すかさずタバコを置き、先を見歩く、と、同じ並びにもう一台、337番も風車上のアキ。他のシマは全然いじっていないのに、このシマだけはよくクギをいじる。が、すぐに出ないのがミソ。何にせよ、今日はこの二台のうちのどちらか。どちらかとなれば、またもや352番なのだ。「今日こそは本物だよ」と、台が言っている。で、337番は久しぶりに現れたハダシ小僧にまかせ、自分は352番。

 

 

いざ打ち始めようとしたとたん、気付いたことが一つ。オトシのハカマのてっぺんが昨日よりも若干広げられている。六本クギのハカマでこれをやられたら、まずい。「ムムッ、計られたか…?」とも思うが、気になるほどの程度ではないということ。そしてまた、昨日までがむしろ狭すぎの感のあること、などを理由に戦闘開始。オトシの入りに問題はない。が、このクソ台め、一昨日からVを外れまくっている。二千円使っても、まだ食いつかない。食いつかないといえば、ハダシ小僧の337番も全然食いつかない。「ハマるなよ!」と声を掛けた自分がハマりそう。352番、三千四百円目でようやくかかり、一気に千七百五十個。「デキた!」とおもいきや、またまた裏切られてしまった。ここから延々と千五百個も打ち込み、やっと千個ほど盛り返した、と思ったら、単なる"冷やかし"。打っていれば、玉が全部なくなること必定。

 

一時、七百個持ってレーシングの518番へ。このクギで昨日は打ち止めになった。が、今日は出ない。かかるにはかかるが、モノにならない。もうシビレを切らして、一時半、三百個ばかりの玉をノガミにくれて、ジェットラインの183番へ。グッドタイミング。文字通りの一発逆転。六百円目の首ったまが即左端に決まってしまった。今日は二度目に挑戦せず、ノガミと退店して、将棋。二時。

 

投資額四千円。出玉四千四百個。トータル=七千円のプラス。

 

左官屋:職業・左官業。一見豪快だが、実は神経が細かい。
ソバケン:昔ソバ屋。スケールが小さいので付き合って面白くないタイプ。左官屋と同郷。福島県出身。
ハダシ小僧:いつも素足にサンダル履きというしょぼくれたかっこうをしている。
ノガミ:将棋仲間。インテリ。下戸。貧乏。
※句読点の使い方に気になる部分多いけど原文通りに書きました。

 

 

今から凡そ30年前に、田山さんが池袋の山楽会館というパチンコホールをネグラとして戦っていた頃の実践記録をパチンコ必勝ガイドの日記コーナーに載せてくれないかと懇願され、掲載を始めることになったその第1回目の記事で御座います。ガイドの掲載1回目だったかどうかはあまり自信がないけど、何回かに分けて出版されたパチプロ日記の中で初めて出版した「パチプロ日記Ⅰ」の第1回目の実践記であります。まだこの頃は、店に到着する前の情景が描かれてなくて、私のネグラはブクロにあるS店という「決まり文句」から始まり実践記を描き始めるってのが定番でした。その後S店を放棄して溝の口のB店の頃になると、パチンコ店に着くまでの道すがらを情緒たっぷりと描くように変化していきます。戦う前のワクワクするような気持ちであるとか、店に着くまでの季節の移り変わりと風景の変化及び日常の生活で何気なく目にする気付き点を描写するのが天才的に上手かった為、後から輩出するパチンコライターは皆彼の文章に取りつかれファンになっていったってのが平成初期の出来事でした。この頃の田山さんの文章は、流石東大!さすが文学者!でありながらも心根の優しい良いオジサンでしたね。

 

ジェットライン

 

ジェットラインに対する思い

 

田山幸憲

 

山楽会館

 

 

平成2年3月5日

多分ボクが田山さんという人に触れ合った最初の時期はこの頃だったと思うんですけど、パチプロ日記Ⅰを書いた初っ端の日付が平成2年の3月5日のことでした。西暦でいうと1990年ですね。この3年後の1993年の9月頃、私はとある会社の研修期間中に東京で3ヶ月くらい過ごすことになりました。会社は目黒区だったか若しくはその近隣だったか良く覚えていないんですけど兎に角池尻大橋の近くでした。ビジネスホテルを借りて3ヶ月暮らしましたけど、その間に東京のあらゆる場所に出向いて街を散策しました。浅草の雷門、上野の西郷さん、動物園のパンダ。東京タワーに歌舞伎町、銀座、渋谷表参道。東京ドームに東京ディズニーランド。何処いったか全部は覚えてないけど、有名な場所は全部出向いて行って東京見物を楽しんだことを覚えています。東京って楽しいなあと思いながらもあとひとつ足りないものは…

 

そうです。田山さんにお会いすること。

 

 

実際にお会いすることはできなかったですが、池袋のS店を頼りに探し求めてまずは東口。全然見あたらへん。ついで西口は歓楽街だったのでこれはもしかと期待すると上記写真のような山楽会館に出くわしたのですね。画像の上から3つ目までは、私が所有しているパチプロ日記Ⅰの162Pと163Pをスマフォで撮影したものなんですけど、このときの写真が田山44歳頃のものだと思います。パチンコ必勝ガイドの末井さんがしつこく口説いて田山を専属のパチプロライターとして起用したってのが何かの本に書いてありました。掲載当初は照れもあったと思うし、パチプロが世に出ていいのか?の葛藤もあったでしょう。何分にもこんなことを企画するのは前代未聞の出来事ですし、需要があるのかないのかも分からず文章の構築も手探りだったと思うのですが、私は当初から「面白い」と感じてたし同じ思いを抱いていたパチンコ愛好家は沢山いたのだろうなというのが後年になってから気付きました。日本で初めてパチンコライターをやったのが田山幸憲さんなのですね。

 

 

自分がパチンコの記事を連載することになった折、田山のことは頭の片隅にはあったけど、彼の文学的才能は私にはないものというのは分かってたので物真似をするつもりはなかった。田山に対する気持ちは「憧れ」というよりは架空の人物みたいに捉えていたところがあって何とも形容し難いですわ。末井さんの熱意がなければ田山も記事を書くことはなかったと思うけれど、村岡さんの熱意がなければ私も記事を書くことはなかった。パチプロの赤裸々な日常生活が世の中に知れ渡った事は大変衝撃的だったけれど、1日僅か4時間労働でうなぎやに出向いて酒盛りをする情景は当時の私には理解できなかった。彼がパチプロ日記に残した言葉や言い回しは、今でも私は使ってるしその点では多大な影響を受けてるのは間違いないけれど

 

真似をしてるつもりはない。

 

厳密に言えば、ちょっとだけ真似を試みた時期はあった。

 

 

ソバケン⇒寝ずの甚八
左官屋⇒スッポン
池袋のS店⇒東海市のS店

 

 

寝ずの甚八は、仕事の内容が聞いても良く分からんかった。配達の仕事ということは分かる。夜通し配達をするらしくて、そのあと朝方から休みとなるのですが、彼は配達が終わったあとパチンコ三洋にやってきて朝から晩までパチンコですよ。彼は一体いつ寝てるんだ?ってのが本人に聞いても良く分からんかったから寝ずのなんとか…嗚呼、これは根津甚八にもじってあだ名をつけようってんで私は密かに彼のことを寝ずの甚八と呼ぶようになった。スッポンは兎に角執念深い。基本的には釘を見て足りなかったら最初から打たないは私と同じなのですが、一度食いついてしまえばその後回転率が落ちたり、確変ベースが落ちても止める事はなく殆ど閉店近くまでくそ粘りするので、持ち玉を残して家に帰ることはまずないっていうほどの長時間稼動だった。一旦食いつきゃ止めないのねっていうところがカメのスッポンに似てるからスッポンって呼んでいた。ネグラをひとつに固定して、登場人物を2人ほど入れてやると何となく田山さんのパチプロ日記に似てるやねえってんで書いてたのが2013年の後半から2014年だったと思う。この間は確かに彼のスタイルを真似してるっちゃ真似してるともいえるけど、この時代はそう長くは続かず2015年にS店を離れることになってからは全く別の人生を歩みだした。

 

2014年の10月25日「告白」

2015年の5月23日「バランの足音が聞こえる」

2015年の11月「WHO IS MR STEADY…」

2015年の最後「シャープよ日工組に加盟しろ!」

 

 

この辺からボクはパチンコ実践記の中に、エンターティメント性を求めるようになっていったと思う。2015年の11月初っ端に松井秀喜の記事を2回に分けて書いたことで何かが弾けたしパチンコに限定するっていう既成概念は取り払われました。これを皮切りにして、エンタメの世界へどんどん突き進んでいきます。そしてその年の最後、当時下町ロケットに夢中になっていた僕はあることを思いつきました。言葉に音楽を重ねるとなんだかとっても心地よい。無論これはボクがそう感じただけで、実際にどう思うかはわからんのですが言葉に音楽を重ねるということは、映像にBGMを重ねるのと同じ効果があるぞって思い始めてそれ以降は病み付きです。そんな過程で生まれたのが2018年に書いた冬ソナの記事と、2019年に書いたウルトラセブンの記事(8月24日)だった。冬ソナの記事は大体2ヶ月くらいで一気に仕上げたけど、ウルトラセブンの記事は長かったなあ。今だから冗談みたいに書けるけど、当時は出稿できるかどうかさえも危ぶまれてた。元々2018年に新しいセブンが出るぞって知ったのが2017年の夏だったので、その辺から来年の先行導入を見越して記事を書き始めたのですが発売される直前のスペックを見て唖然。とってもじゃないけど打ち込めるような仕上がりになってないし、何故かこの年のセブンは先行導入がなかった。あれって思ったけど先行はないし、それ以外でも打てる時期は全くなかったのでこの記事は没ネタになりました。せっかく1年がかりで超大作を書いたつもりだったのにお披露目する機会も与えられず、このときの落ち込みようは半端なかったですわ。

 

 

2018年6月9日 追憶から二度目の事故まで
2019年8月24日 行こう!パチンコは我々庶民の手で守り抜かねばならないんだ

 

 

年が明けて夏場に今度は同じセル板でセブンの甘デジが出るってことになったんでイキリたちましたわ。ミドルでは打つ機会もなく、せっかく1年かけて作った記事を没ネタにするのかと思ってたのが甘デジで再登場ですからこの機会を逃してはならぬ。ところがまたしても京楽さんの悪意によって没ネタかと思わさせられたのは、この機械から先行導入の入場順が並び順から抽選に変ったこと。アンタ抽選だと遊技するものままならんがやとガックリしたのは、この機械だけは先行導入の初っ端で花火をぶち上げたかったから。大慌てで普段やらない夜ぱちをやって回転率を確かめた後、週末の抽選で見事に15番を引き入れて狙いの台に陣取ることができました。結果も朝イチ1回転で当るという奇跡から始まって24連チャンで4万円以上勝つということで万感の思いでその日の夕方記事をUPしたというのが記憶に新しいです。まさかあの記事を読んだ人が、この記事を書くのに2年もかかったなんて誰も思わないでしょうが、私はそういうところにも執念を燃やすタイプなので下ごしらえには気を遣います。セブンやウルトラマン、赤影、バビル2世だけは他の題材とは違うんや。

 

 

セブンは違う。

ウルトラセブンだけは特別なんや!

ウルトラセブンの記事を書くだけで2年も費やしてしまいました。

 

 

特別な思いで書こうとしたセブンの起承転結は、冒頭はやっぱりタケダのコマーシャルから入るべきやなとの結論でお次はウルトラセブンのオープニング映像。絨毯の上に粉を振りかけて埋まっていく文字の映像を逆再生したオープニング映像とそのときの音楽は外せんよなあって思いながら音を合成したのが開始の合図。起承転結の最後は何にする?って悩んだけれど、やっぱり最後はアンヌとダンのやり取りで、「さよならアンヌ」が一番しっくり来るなあということで最初から最後まで練りに練って作ったのがあの作品。もう2度とあのようなエネルギーは沸いてこないでしょう。作れと言われても作れないほどの時間とエネルギーを消耗して記事をUPしたけれど、そのときにコメントしてきた人はひとりもいませんでしたからねえ。ここまでくると私が書いてる内容は田山さんのものとは違う何かを感じるはず。言葉でしか表現できない紙の媒体とは異なり、静止画と音楽を融合させた私の作品は、ネット媒体ならではのもの。決して私の真似をするパチンコライターは現れないだろうって思ってるけれど、自分にしか表現できない独特の言い回しとロジック展開と脚本は8年かかってようやく作り上げた財産ではないかと思っております。

 


世の中にはびこった、TVやCMや音楽をパクって創るので真のオリジナリティがあるのか?って問われるとそりゃあないけど。でも言葉に組み合わせるパロディを考えるのは自分の頭なんで、これでも私ならではの感性があってはじめて生きる物語。言葉に合わせる媒体をどうやってもってくるかはその人のセンスなんで、これはこれで自分らしいと思ってるのです。2018年の10月13日に「あこがれの人」って記事を書いたんですけど、何故か外国人の方はこの話が好きでねえ。横綱輪島を偲んで書いた記事なのですが、今でも毎日のように外国の方が英語でこの記事にコメントをしてきます。日本語がわかる人がコメントしてるのかどうかは知らんのですが、投稿する内容を読んでるとこれがもう「大絶賛」なのですね。記事を丁寧に読んでいると、時々気になるコメントを書いてくる人がおりましてよくあるのが「お前がひとりで考えて作ったブログなのか?」っていう質問です。何人かのブログ編集メンバーがいてグループで作ってるのなら分かるけど、もしお前ひとりで作ってるのだとしたらアンビリーバブルだぜいっていう感じですね。無論私はここに載せる内容は全部自分ひとりで考えてますけど、これからも打ち出の小槌のようにアイデアが浮かんでは記事を投稿するってことになるでしょうね。ゼロから1を作り上げるエネルギーは大変というお話をされる方もいますが、自分はそれが大変だと思ったことはないですね。次から次へと新しい創造意欲が沸いてきて、次から次へとパロディチックな考えが頭に思い浮かぶので売れないお笑い芸人程度のネタならいくらでも作れますわ。

 


誰かの真似をすれば、その人を偲ぶ人たちの為になるけれど

真似は所詮、物真似でしかないのでその人を超えることはありません。

 

 

自分にしか書けない内容を追い求めてここまでやってきたけれど、たまには故人の思い出をここに書き記しても罰は当たらんからということで、こんな記事をUPしてみました。田山さんの記事とパチンコ必勝ガイドを愛読してたというパチンカーは本当に多いから、必勝ガイドにはこれからも紙を売り続けるという重い役回りが付いてくるとは思うけどいつかは紙の媒体は消滅せざるを得ないでしょう。皆さまはご存じないかもしれませぬが、我がパチンコビレッジの代表取締役である村岡さんもかつてはパチンコ必勝ガイドのメンバーだったらしいです。確かこれはご本人から聞いた話だったと思うけど若干記憶が曖昧です。恐らくは彼も必勝ガイドの影響力は承知してたと思うけど、紙の媒体は今後は廃れていくし、これからはネット媒体で一花咲かそうという思いでガイドを離れることにしたのではと想像しております。田山が広めた紙の媒体は、不特定多数の人々に言葉を届けるという役割があったと思うし、それによってパチンコ人口が増加したと思うけどインターネットの登場によってその任務は終わりました。

 

昔懐かしい思い出話もたまには書きます。

 

何時かは忘れる時期が来ると思うけど、今はそれを心地良いと受け入れます。

 

PS 改めて冒頭の田山さんが書いた文章を読むと、自分が普段書いている文章とかなり似ている点があることに気付きました。真似をしているつもりがなくても無意識のうちに真似をしているようです。多分僕は死ぬまで彼との思い出が頭から離れられないのでしょう。

コメント

  1. ユリアより:

    youtubeに田山プロの動画があって見入りました。
    プロなのに優しいというと語弊がありますが、余裕のある人だと感じました。大崎さんも田山プロの動画を上げてました。最近、ゴーニィ様の記事の書き方が変わった気がします。ここ4記事くらいから。吹っ切れたような余裕のある様な感じがします。
    いつもと同じだわさ!適当な事言うな!だったらすみません....
    私はアグネスアマ、貞子アマ、アイマリンアマ、沖海5のみに絞っています。黒、黒、黒、赤字が続いています。めちゃくちゃ楽しいです。文でしか読めないけども、ゴーニィ様の真似してます。見様見真似もできないので自分なりの理解ですが。

    2021年9月29日 AM 1:22
  2. ゴーニィ より:

    ユリア様

    彼は語弊ではなくて、本当に優しい人間でした。

    書き方が変わったのは、遊技後必ず実践報告してたのをまとめてするように切り替えたから。毎回書くと、切羽詰まった感じが文章にも出てしまいます。今週の報告はとやると心に余裕が出ますね。

    書き方はまだまだ試行錯誤の途中です。

    私は常に変化を求めているし、今の場所にとどまらない人間なのでこれからもどんどん変わります。それが嫌だという人もいるけれど、変化に慣れる人もいる。貴殿がどう感じるかはときどきコメントして頂きたいですね。

    黒が続くと楽しいですね。是非今の状態をキープして良い年末をお迎えください。

    2021年9月29日 AM 6:27
  3. 村上亀吉より:

    私はあまり必勝ガイドを買った事がなかったのですが

    当時のコラムは少なからず業界全体への辛辣なメッセージもあった様に感じられ、大型店による寡占・高交換率と大量出玉をウリに遊戯からギャンブルへと突っ走った結果、業界自ら現在の苦境を招いた状況を早くから見越していたと思います

    さて私は6日連続でまどマギを打ちトータル2,000発マイナスでした
    万年養分の私にしては上出来ですが、まどマギの歌が脳内でエンドレスに流れ続ける後遺症を発症致しました

    2021年9月30日 PM 3:40
  4. ゴーニィ より:

    村上亀吉様

    1990年代は彼が書く実践記を読みたいがために必勝ガイドを買っていました。毎月ではなくて多分月に2回発行だったと思うけど、390円のガイドを月に2回買ってました。他の記事はどうでもよかった。ただひたすら田山さんが書いてくれる実践記を読みたい。田山さんは毎週月曜日の稼働を実践にあげる日と決めていたから、ガイドに掲載された記事は月曜日×2週分の記事。あらかじめ決めた日の遊技記録を掲載するということで公平さを維持していました。

    そういうことなんですよ。

    今の私の記事に毎月390円払ってでも読みたいという人がいるでしょうか。多分そんな人はいないと思うけれど金払ってでも読みたいと思わせるような記事でなければ価値はないんですよ。だから定期投稿から不定期投稿に切り替えたけれど、私の記事なら不定期で十分だと思うのです。毎週決まった日に読みたいと心から願う人が生まれることを目指して精進しますわ。

    6日連続まどマギ?確か貴殿は年に10回程度のパチンコと聞いていましたが?

    ルーティーンが変わったのでしょうか?何にしても6日連続ミドルのまどマギを打てるというのは幸せなことですね。遊技台のBGMが頭から離れないって事も羨ましいです。

    2021年9月30日 PM 8:52
  5. 村上亀吉より:

    緊急事態宣言中で仕事にならず、転居以来4年近く足を踏み入れなかった近所の中型店に行った次第です
    予想よりはスタート調整がましだったので、今後は遊戯の機会が増えるかも知れません

    ようやく明日からは仕事に出ますが、再度の緊急事態宣言にならない事を祈るばかりです

    どうぞお身体にお気をつけ今後もご活躍下さい

    2021年9月30日 PM 10:18
  6. ピカ吾郎より:

    私も例に漏れず必勝ガイドの読者でありましたが、田山プロとゴーニィさんの文章そのものが似てるというか、正直さ?みたいなものが現れているなと勝手に感じておりました。

    私は物書きではないので上手く伝えられませんが、やっぱり書くとなると多少盛ったり、大袈裟に伝えたくなるものではないかなと思うのです。

    しかしゴーニィさんのブログを読む限り、そのような描写がなく(もしあったらすみません…) 読んでいて情景が浮かぶのが楽しいなぁと思っております。

    あともう1つ田山プロとの違う点がありまして。
    それは一生懸命伝えようとする熱意が私には見える気がするのです。

    私はとりわけ数学や算数が大の苦手なので正直分かっていない点が多々ありますが、それでも細かく砕いて伝えてくれる姿勢が私を含め、別の読者の方にも伝わっていると思います。

    追記
    吾郎も五郎も同じようなものなのでどちらでも大丈夫です(笑)

    2021年10月1日 AM 2:09
  7. ゴーニィ より:

    村上亀吉様

    そういうことですか。

    緊急事態宣言の解除に伴い、少しは事業が報われることを願っております。国の努力なくして成し得ないコロナ対策ですが、再び緊急事態宣言が出されないことを切に願います。ワクチン接種。1回目、2回目、3回目、4回目辺りまで積極的にやって欲しいと思います。ただし夏場でさえ東京単独で5000人を超えた感染者数だったのが、これからウィルス生存率の高い冬場に向かっていくのでかなり心配ではあります。

    福岡は低貸しの強い街という印象です。低貸しで回す店は多いハズ。

    2021年10月1日 PM 10:16
  8. ゴーニィ より:

    ピカ吾郎様

    初めて投稿されたときから貴殿の「優しさ」には気付いておりましたが、そのときは別のお方だと思っておりました。

    お付き合いの初っ端はみんなそんな感じ。投稿して良いのか?敷居が高い。そう思ってコメントを躊躇する人が沢山おられますが、一度殻を破るとコメントをするのは案外簡単だ。

    一般的なパチライターの悪いクセっていくつかあるんですけど典型的な駄目パターンがこれ。一見メシウマだと思うような書き出しから始まって自分は下手くそだから、自分は引き弱だから、いっつもいっつもこんな感じで大苦戦なんですよと思わせておいて最後は大逆転でドヤーっていう記事を書きたがること。本人は得意げになって投稿するんですけど読み手にとってはこういう書き方が最もストレス溜まる。どういう書き方をすればストレスが溜まるかを研究し、そうならないようにと配慮してきたつもりです。

    パチンコの実践記は、身の上に起きた出来事を忠実に再現すること。

    誇張もいけないし、ウソもいけない。たとえハイライト編集型の記事になっても勝ったときの記事に寄せるのは最低。

    そう思いながらやってきたことが、田山の正直さに通じてるのかも知れませんね。

    長い付き合いになりそうな予感がします。どうかこれからも気兼ねなく投稿願います。

    自分が意見を書くことが、書き手の労に報いる馳走と思って頂きたいですね。

    2021年10月1日 PM 10:17

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