パチンコ懐古録【CRニューロードスターV】パーラーコスモとその周辺の追憶

ニューロードスターの懐古録とは書いてみたものの、これはともぞうの20年前の高田馬場界隈での思い出話です。
3月末日で高田馬場駅前にあるコスモが閉店されるそうです。
コロナ禍と、パチスロの6号機問題等ホールには厳しい情勢が続いていることと思います。

 

ともぞうが20代の青年だった頃、パチンコと旅行が大好きで、しかもそこまでお金がありませんでした。
どっちも楽しみたいとなると、本業以外にパチンコで勝たないとやっていけないよね。
当時は、今みたいにLCCなんてありませんでした。
だもんで、安い飛行機に乗ろうと思ったら、当時出始めたばっかりのスカイマークを、羽田から乗るしかなかった。
羽田までは深夜バスや夜行列車。
これは今殆ど無くなってしまったけれど当時体力だけはあったから安く上京するのに必須アイテムでした。
脱線するけれど「ムーンライト」と名が付く列車は殆ど乗りました。
えちご、ながら、松山、出雲、九州…お世話になりました。

 

大学に行っていないともぞうは、学生街にある種の憧れがありました。
東京だと神田は神保町界隈の古本屋街、吉祥寺、そして高田馬場。
自分と同年代の若者が集まる街はある種の活気が漲っていました。
20年の年を経た今は、新宿や上野、浅草に惹かれるのはそういうお年頃だからか?

 

まあ、上京すると遊びに行くのは安くて同年代の若者がたむろしている雀荘や、タイムサービスで何とかなりそうなホールがある地域でした。
昨今パチンコ始めた方は、タイムサービスと言ってもピンとこないかもしれません。
今と違って2.5円位の低換金が多かった。
1回の大当たり出玉が2000個以上きちんと取れて大当たり絵柄が分かりやすかった。
こんなことから、特定図柄で継続して遊戯できる現在の遊戯形態になるけれど、特定図柄で当たらなかったら大当たり1回ごとに出玉を流さなきゃいけない時代があったんです。
羽根物だと、3000個とか、4000個とか出ると打ち止めになったりね。

 

こんなルール設定のデジパチで、朝2時間以内に初当たり引くと一日持ち玉遊戯が出来る権利が貰えたのが高田馬場駅周辺のホールでした。
他の地域にも同様のルールのホールはありました。
この界隈、暇な大学生のこづかい稼ぎに恰好の釘調整がちょっと探せばそこかしこにありました。
朝一ホールに居る平均年齢が若く感じたのがこの地域。
ともぞうが住む地域で朝一のホールに駆け込むのはおっさんおばさんが多かったのでホールの平均年齢の若さも新鮮でした。

 

東陽会館、ニッタク、国際センター、そしてコスモ。
朝一ホールに入るのはいつもワクワクしていました。

時代は1997年。今から24年前か。
コスモは地上2階地下1階の3層ホール。
当時は地下がパチスロ、1階と2階にパチンコが設置されていました。
2階にはフィーバークィーンとCRデジパチとCRニューロードスターV(以下ロスタV)、CRフルーツパッションなんかがありました。
うろ覚えなので記憶違いがありましたらご容赦下さい。

[caption id="attachment_3131" align="alignnone" width="300"]DSC_1036DSC_1036[/caption]

ともぞうが住む地域にはギンパラタイプのCR機や2回、3回権利物はあったのですが、ロスタVはなくて、新鮮味もあって勝負度外視で打っていました。
簡単にスペック紹介。

 

フルーツパッションの確率違いですw
ちょっと不親切なのでもう少し。

 

大当たりには図柄揃いと真ん中がAの1ラウンド当たりがあって、図柄揃いだと次回まで確変で16ラウンド。
大きな違いですが、1/2の偏りに翻弄されながら上京の折には短時間勝負で楽しんでいました。
フルーツパッションと違ってデジパチライクな台なので取っつきやすかった記憶があります。
大当たり確率は3段階あって、1/119、1/131、1/141でしたが多分通常営業は一番低いヤツだったでしょう。
まともに勝った記憶は殆どありません。

 


リーチは、図柄を送るノーマルリーチから始まって、図柄の上を星がクルクル回るスペシャルリーチ、錐もみながら図柄が落ちていく竜巻リーチがありました。
ノーマルリーチも少しは当たりましたが、大当たり確率が高いだけにスーパーリーチはシンプルながらきちんとアツかった。
たまに5連荘とかするとお土産が豪華になったり。
負けるとやっぱり近くに合った雀荘の「たぬ」や「ポリエステル100%」に小銭を握りしめて打ちに行った記憶が。

写真のソースは、ともぞうが昔購入したプレステソフト「パーラープロ2」。
古いものも取っておくとたまには役に立ちますなw
こちらのソフトには3回リミッターの華観月Xが同胞されています。
これも思い出深い機種なので今後機会を見て懐古してみます。

 

 

前述の雀荘は既にありません。
高田馬場界隈も実は10年以上行っていません。
今上京して遊ぶのは、新宿や上野。時々新橋から銀座。
きっと年を重ねて「街」から卒業したんでしょう。
いつまでも変わらない町なんてありません。
しかし、ともぞうの中での高田馬場はコスモがあって、たぬ等の安レートの雀荘がある勢いのある学生街なんだよな。
コスモの閉店は地元の行きつけのホールが無くなるのと同じくらい寂しいな。
コロナ禍が落ち着いたら久しぶりに当時を思い出して高田馬場の町を歩いてみたいと思います。

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