重圧

大谷選手の2024年が始まりました。今年の彼は打者だけに専念するんで一体どれくらい打つんやというご意見が多いですが、あんまり期待はしない方が良いと思います。二刀流でさえ本塁打王ならば一刀流ならもっと上を目指せるというロジックでしょうが私は打ち慣れたア・リーグから慣れないナ・リーグへの移籍は案外手こずると見ています。


(1)ア・リーグからナ・リーグへの移籍
(2)何よりもオラクルでの試合が6試合組まれる
(3)エンゼル・スタジアムとドジャースタジアムの違い
(4)不振期にはスタメンを外される
(5)弱いチームから強いチームへの移籍
(6)人気チーム故のメディア取材への心労


ネガティブ要素が多いです。エンゼル・スタジアムは左中間が狭いし、右方向も観客席手前のフェンスオーバーで本塁打扱いですからかなり出易い球場だったと思うけど、それがドジャースタジアムに移ってどう変わるのか。まだ分からない点が多いです。カルフォルニアは1年中雨が降らないから、湿度が低くて打者有利だとは思いますけど、それでも1年戦ってみないと分かりませんね。2024年に2023年以上の打撃成績を残せたら彼は神がかってると思うけど、キャリアハイを考えるとボチボチ来そうな感じなんで


来年がキャリアハイになるという予想もできます。


強いチーム、人気チーム故の見えない重圧は物凄いと思います。エンゼルスとは訳が違います。人気チームに入ったが故に苦労された打者の典型的な例が松井選手だったと思いますが、彼は元々阪神ファンだったのに長嶋監督のクジにより読売に入団します。その頃から彼の野球人生は長いキャリアを通じて松井⇒強いチームの圧を背負うイメージが定着。強いチームと弱いチームとの差が松井と大谷の差とも考えられます。

 

1回だけ私、松井秀喜さんに会ってます。時は私が結婚した年。

 

1995年に名古屋キャッスルというホテルで私たち夫婦は式を挙げてるんですけど、文字通り名古屋城のすぐそば。何でここを選んだかというと香川から親戚を呼ぶのに、目の前に名古屋城があると名古屋に来た感じがするけん「ええがや」という私なりの配慮でした。打ち合わせとリハーサルの為この頃は何度も何度も当ホテルに足を運びました。当時読売が名古屋遠征の時は必ず名古屋キャッスルに泊まってましたけど、私たちの結婚式が9/17なんで其れよりちょっと前ってことになるとペナント・レースの佳境に入った時期ですわ。巨人が中日と戦うために名古屋に来た時、当ホテルに宿泊していた松井選手とエレベータの中でバッタリ遭遇してしまいました。花嫁衣装に身を包んだ嫁を松井が凝視すること数十秒。明らかにスケベ目線だったと思うけど、羨ましげな表情を浮かべる彼に打撃のことを話しかけようかと思ったけどその時は打撃不振に陥っていたのでヤメました。素人が野球の話を振ってもプロは面白くないと思うんで配慮。その間は互いに沈黙の何十秒間でした。

 

1994年から1996年までは中日と巨人は激しく争いましたからね。

 

そういうこともあって松井の打撃はその後もずっと追っかけましたが、NYYに入った最初の年に大きく躓きました。日本の野球とは全然違うツーシームとカットボール。ストラークゾーン、球の質。球場の広さどれをとっても本塁打が出難くなる要素ばかりだったけれど、1番の違いは向こうのホームランバッターとの差を感じたことでしょうねえ。当時NYYの3番にはジェイソン・ジアンビー。


2003年のNYYは
1番ソリアーノ40発(元広島東洋カープ)⇒右
2番デレク・ジーター(生え抜き)⇒右
3番ジェイソン・ジアンビー40発(元アスレチックス)⇒左
4番バーニー・ウィリアムズ(生え抜き)⇒スイッチ
5番松井秀喜(元読売)⇒左
6番ホルヘ・ポサダ(生え抜き)⇒スイッチ


1番ソリアーノは40発40盗塁。だけど打撃に波があるので翌年にはテキサスに放出されます。広島時代には考えられんくらいにホームランを連発するので凄いと思ったけど、反面打てない時はまるでダメだったのでヤンキースには合わなかったかな。この時代は兎角ジェイソン・ジアンビーの長打力が素晴らしくて、松井は彼を見てホームランバッターを捨てようとしたのではと思います。それぞれチーム内では役割がある。当時のジアンビーは既にピークは過ぎていて打率低下を招いていましたが長打力は抜群。ホームランはソリアーノとジアンビーに任せて自分はRBIに徹するというバッティングを目指したのではないかと思いますね。※RBI⇒Run batted in


打率.287
本塁打16
打点106


を見ても打点(RBI)を意識した打撃がうかがえますしホームランを捨てて日本とは違う打者になろうとしたんだと思います。これが常勝軍団の重圧かも知れませんが、40発40盗塁をしても不安定な打撃のソリアーノは必要とされなかったのに対して、本塁打が16本でも堅実な打撃を見せるマツイはNYYにとって必要な存在だった。この辺が大谷と松井との大きな「差」ですけど、読売巨人軍とかニューヨーク・ヤンキースに入団した宿命みたいなものを感じながらの野球人生だったと思う。巨人では松井が柱でその他大勢が黒子だったけど、ヤンキースに入れば松井が主役の座を降りて黒子に徹するというのは本人にとっては不本意だったかもしれないですけど、162試合レギュラーを張るには止むを得なかった。松井と同世代の巨人には元木大輔という選手がいましたが、彼とて甲子園では上宮高校の大スターであり、将来は巨人の看板選手として本塁打量産を期待された長距離砲。でも巨人には松井、清原がいて自分はその役割ではないと黒子に徹しました。


甲子園の4番が巨人に入れば脇役
巨人の4番がヤンキースに入れば脇役


こういうのはこの世界では結構ありがちな事。特に松井が入団した年はジェイソン・ジアンビーとの差を感じたんではないかと思いますが、ヤンキースにはそれ以降も、ゲーリー・シェフィールド。アレックス・ロドリゲス。マーク・タシエラと次から次へと大物ホームランバッターがFAとかトレードで入団してくるので松井の心境は穏やかではなかったはず。彼等には敵わない。

 

2004年のNYYは
1番デレク・ジーター(生え抜き)⇒右
2番アレックス・ロドリゲス(元レンジャーズ)⇒右
3番ゲーリー・シェフィールド(元ブレーブス)⇒右
4番松井秀喜(元読売)⇒左
5番バーニー・ウィリアムズ(生え抜き)⇒スイッチ
6番ホルヘ・ポサダ(生え抜き)⇒スイッチ


2003年に1番を打っていたソリアーノが放出されて、その代わりにレンジャースの超大物アレックス・ロドリゲスに食指。レンジャースがAロッドの給料を一部肩代わりするという条件でソリアーノとロドリゲスがトレードされました。ということでこの年はジーターが1番に入り長打力のあるロドリゲスとシェフィールドが2番、3番を勤め松井が4番に入りました。当時のMLBは3番に1番良い打者を置くのが慣例でしたから松井が1番信頼されてた訳じゃない。彼はヤンキース時代には4番、5番、6番を打ってたけど3番を打つことは1度もなかったですね。この年はジアンビーとウィリアムズの衰えが目立ったので松井が4番に入ったけれど、トーリ監督の思いとしてはポイントゲッターはロドリゲスとシェフィールドでした。


ジーター23本塁打
ロドリゲス36本塁打
シェフィールド36本塁打
松井31本塁打
ウィリアムズ22本塁打
ポサダ21本塁打


この6人で169本塁打。こうしてみるとこの頃のヤンキースは凄い打線。その中で4番の重責を担った松井もある意味凄かったですね。ただ単にMLBチームの4番という訳じゃなくてヤンキース黄金時代の4番ですから。


2009年のNYYは
1番デレク・ジーター(生え抜き)⇒右
2番ジョニー・デーモン(元レッドソックス)⇒左
3番マーク・タシエラHR王(元エンゼルス)⇒スイッチ
4番アレックス・ロドリゲス(元レンジャーズ)⇒右
5番松井秀喜(元読売)⇒左
6番ロビンソン・カノ(生え抜き)⇒左


そして松井にとっての歓喜の年。2009年のオーダーですが、この頃の松井はヒザの怪我で打率を大きく落とし始めました。1番から4番までが皆選球眼と打率が良くて俊足なので打点を挙げやすい打順。特にAロッドが歩いて松井が返すのは何回もあったと思うし、クラッチヒッターとしてNYYのファンの心を掴みましたが、巨人時代は松井、清原が歩いて元木が返す。本当に元木と松井の役割分担は良く似ていて


クラッチヒッターとして巨人の元木とNYY時代の松井は評価が高いです。


ジーター18本塁打
デーモン24本塁打
タシエラ39本塁打(HR王)
ロドリゲス30本塁打
松井28本塁打
カノ25本塁打

 

キラ☆のように光り輝くヤンキースの1番から6番までですが、この中にあっても松井の存在は、他の5人に見劣りすることなく存在感を発揮してたと思うけど日本人からはあまり受けなかったので、この辺はコアなNYYのファンと日本人との評価はまるで別。日本人からの評価は松井よりもイチローの方が上って見られてるのでおっかしくって仕方ない。野球の素人にはこれが伝わらなかったようで、黄金時代のNYYとさびれたLAA,SEAとは比較しようがありません。


この打順の中で常にレギュラーの座を守るため、年間162試合全部に出続ける為にはホームランを捨ててチームバッティングに徹する。


ホームランを狙わずに 
3割100打点を挙げ続ける


松井はヤンキースに行ってからは別人になりました。 

 


 

メジャーに行ってからの最初の3年間の数字です。4年目にレフトフライをダイビングキャッチする際左手首を骨折してしまいその後はDH専門になっちゃったんで4年目以降の数字を比較対象とするのは難しいんですけど、この数字が良いか悪いかですね。


打率.297
本塁打23.3
打点110


3割100打点というのはある程度狙ってたんじゃないかと思いますが、これがどのくらいの数字かというと。

 

 

打率.321
本塁打24
打点102

 

ヤンキースの至宝。ヤンキース不動の4番バッター、バーニー・ウィリアムズの全盛期の8年間です。20年くらいのキャリアの中で彼が最も良かった8年間を取り出した成績ですが、この時代の平均値が松井と良く似ている。打率はウィリアムズの方が高いんですけど彼はスイッチですから左対左がなくてその分も影響はしているはず。万が一彼が右専門だったらどうかなって思うけど、松井の3年間とウィリアムズの8年間は良く似ていますね。

 

 


 

27歳から34歳まで8年連続3割打ったときが彼の全盛期ですけど、この頃はトーリ監督の信頼も厚く不動の4番としてヤンキースの黄金時代を支えましたが、彼がニューヨークにもたらしたものは本塁打ではなくてクラッチヒッター。松井も似たような活躍だったと思うけどこうしてみると打者としての能力は共通点があるように思いますね。

 

4番として162試合レギュラーを維持するためには、毎年のように3割100打点。

 

これがヤンキースというチームにいる選手の宿命なのかも知れませんけど、松井はその中にあって彼らと同様に自分の役割を探し求めていたってのが現実。ジアンビーとかシェフィールドとかロドリゲスとかタシエラにはなれなかったけど、バーニー・ウィリアムズには近づいた。バーニー・ウィリアムズと同等の成績を残して文句言われる筋合いはないでしょう。

 

松井選手は最初から重圧のかかるヤンキースではなくてもっとのびのびやらせてくれればどうだったか?って思いますね。打率を捨てても良いからホームランだけを狙いに行けばどうだったでしょうか。パークファクターが打者寄りの球場で、それほど優勝争いに絡んでないチーム。例えばシンシナティ・レッズとかシカゴ・ホワイトソックス辺り。


レッズのGreat American Ball Park⇒本塁打1.44で三塁打が0.76
ホワイトソックスのGuarantee Rate Field⇒本塁打1.25、三塁打0.76
※数字はいずれもパークファクター


(1)上記2チームでHRだけを狙いにいけば
(2)29歳渡米ではなくて25歳で海を渡れば
(3)4年目の怪我さえなければ

 

こうなると松井選手だってホームラン40本打てた可能性もあったと思ってるけど、ご本人がそれを望んでいなかったのでこれは私の勝手な願望でしかありません。そもそも論として松井が巨人を離れたのは、いつかはヤンキースタジアムでプレイしてみたいと強く思ったからで、それは何かの動画で観ました。シーズンオフに渡米してヤンキースのポストシーズンでの試合を観戦して強く思ったそうです。そういう訳で彼がアメリカに渡りジアンビー、Aロッドの特大ホームランを見て自分の役割を知ったということとヤンキースという常勝軍団の中で自分が162試合出る為には、別人にならざるをえなかった事情があって本塁打よりも3割100打点に拘ったと思うんですが、私たち視聴者は


夢を見るから

 

去年までは大谷選手は全くプレッシャーのかからない自由な環境で野球をやらせて貰ってました。DHひとり占め。もうちょっと投げたいと言えば投げるし、疲労が溜まって休めと言われても休まない日々。大谷選手のワンマンチームであるが故の配慮ですが、今年からはそうもいきませんね。銀河系軍団の仲間入りをした身とあれば、打てなければDHを外されるし内外からの重圧も半端ない。今まで通りのパフォーマンスを発揮できるかどうかはやってみなければ分からないので真価を問われるのはこれからです。

 

今まではお遊びだといっても過言ではない。

 

もっとも銀河系軍団の中に入っても、大谷中心のチームになるかもしれないし、そうなりそうだという期待感はある。今まで我々が予想してきたことを悉く裏切り予想以上の活躍をしてきたのが大谷翔平という人間。だからベッツ、フリーマン以上に活躍しチームの大黒柱になるのかも知れないけれど、道のりは容易くはないと言っておきます。皆が思ってるほど甘くないのがメジャーであり、その中での常勝軍団であります。ヤンキースほどの重圧はありませんが、それでもエンゼルス時代とは比べ物にならない。

 

エンゼルスを10とすれば
ドジャースが50で
ヤンキースが100くらいの感じ

 

そんな中で今まで通りの大振りを継続できるのか?


今年は本当に楽しみな1年になりそうです。打者としてのキャリア・ハイが来るとしたら30歳になる2024年ではないかと思ってるけど、バーニー・ウィリアムズがキャリア・ハイを迎えたのは30歳、31歳、32歳の頃。松井秀喜は30歳の年。その他多くのホームランバッターは30歳から35歳のどこかでキャリア・ハイを迎えてるので今後3年間の間にキャリア・ハイが来るのではないかと思ってる。

 

落合博満が2年連続三冠王になったのが32歳、33歳の時
王貞治が2年連続三冠王になったのが33歳、34歳の時


ホームランバッターのキャリア・ハイは割と遅め。大谷選手が万が一三冠王を取るとしたら今後3年間のうちのいずれか。その可能性を見守っていく事にしよう。重圧に押しつぶされればそれだけの人間。重圧を跳ね返して光り輝けば…


ここまでの活躍で既に
松井秀喜とか王貞治よりも


遥かに高い場所に上り詰めてはいますがね。


日本人として初めてのメジャーでのホームラン王ですから。


その上には何があるのだろう?


2024年は初年度に経験した以上の重圧との戦いになります。
 

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