サラリーマン時代の全盛期

当代の実力者として良く知られるミネッチさんとかトラマツさんのプロフィールを調べていると、前者は1982年で後者は1981年生まれという事で脂が乗り切った年齢だと思いました。大体私よりも20年近く歳が離れてるんですけど、彼等が一番勝ったのは年齢が30~33くらいの出来事だったのでなるほどって思いましたね。私にもそんな時期があったけど、自分の全盛期は35歳のとき。みんな30歳を過ぎた辺りにパチンコの頂点が来るのはやはり技術と経験が重なった頃合で、勢いだけでは頂点にならないし、経験だけでもダメってことでしょうね。    
   
   
技術と経験が最高潮に達したとき    
   
そこがパチンカーとしての頂点なのでしょう。    
   
   
この話しは、私がパチンコビレッジを辞める時に書こうと思ってたんですけど、よくよく考えるとサラリーマン時代にパチンコ打ちとしての頂点ということがテーマなので今がその時だと決断いたしました。20代の後半がパチンコやってて一番面白い時期で、その頃パチプロさんになってしまう輩が多いようですが、そこから数年経った頃合に頂点が来るのはみんなの共通点のようです。20代半ばに釘調整をほぼマスターし、権利物と一発台でブッコ抜きしてたのが20代後半。30歳の頃ブラボーキングダムとフルーツパンチに遭遇した時が一番パチプロになりかかった時期でしたし、記憶と記録に残る華々しい勝ち方をしてたのがこの頃ですけれど、実をいうと一番勝ったのはその時期じゃなくそこから数年後にとあるパチンコホールさんに巡り会った時でした。    
   
   
   
星崎のダイマル    
   
名古屋市南区にある中型規模の店    
   
換金率は21個50円で2.38円    
   
消費税前までは20個50円    
   
釘を開ける日は毎週金曜日    
   
   
   
   
釘を開けるのが毎週金曜日ってことが大事なポイントですが、当時のダイマルには近隣に敵がなく、開け幅が半端なく大きかったので毎週金曜日はお祭り騒ぎ。まだパチプロとか軍団とかが、特定日に集中攻撃する時代ではなかったため、専業とおぼしき人は極僅かでした。私の記憶では競争相手はただひとり。私よりも10歳ほどお歳が上のパチプロさんで、いつもジャージ姿でお越しになってた雰囲気からしてお住まいは近隣だったのでしょう。彼とは台被りすることがしょっちゅうあったけれど、それ以外に台が被る可能性があったのは年齢が65歳くらいのお年寄り夫婦。タチが良いってのはこの旦那さんがいっつも使ってた言葉なので、私にも伝染しましたが、まあ彼が言う「タチ」が良いってのは何となく理解はできます。1年間くらいのスパンで見るとTSが甘い台と辛い台とに分かれるけれど、このTSが甘い台が「タチ」の良い台というのが彼の言い分で、そいつの釘が開いたらイタダキなのよってのが口癖でした。ただこの夫婦は爆裂機が好きで、アレジン、大工の源さん(設定付)、冒険島(設定付)をメインにしてたので私とはあまり被ることはなかった。やっぱり被るのは上述したジャージ野郎なので、彼と私はいつもいつも    
   
   
   
フィーバービッグパワフル    
大当り確率が1/330    
確変突入率1/4であと2回タイプ    
9連チャンでストッパー作動。リミッタータイプ    
ヘソ5個賞球。単発当たりが2300個    
2ライン777とオールフルーツでラッキーナンバー(持ち玉)    
タテライン777でアンラッキーナンバー(交換)    
時短なし    
   
   
   
この台単発で当ると時短がないからしんどいって思いがちでしょうけど、持ち玉遊技中に単発で当ると、単発1回分の出玉で400回転回りました。つまりラッキーナンバーさえ引くと、単発でも確変でも玉が増えていくので、勝敗の分岐点はいつ確変で当るかどうかだけでした。無論全部の台が単発400回転回るわけじゃないので、ジャージ野郎と私とで毎土日が釘の甘い台を取り合い。金曜日にパカンと開いたときはかなりの確率でボダ超えとなるのですが、その中でもスタートが9以上ある台ってのは限られており、それを知ってるのは私とジャージ野郎だけだったのでこの2人は激しくバトルしましたねえ。金曜日にパカンと開いて、金曜日に噴いた台だけをその夜に締めるから土曜日はまだスタート9超えの台がまだ残ってる。土曜日も同じようにその日に噴いた台だけを夜に締めるから、日曜日にはまだスタート9超えの台が残ってる。これが1年間続きました。    
   
   
   
金曜日がMAXで木曜日がミニマム    
   
金曜日に噴いても土曜日にはまだ残ってる    
   
土曜日に噴いても日曜日にはまだ残ってる    
   
土日祝日の年間125日全てがスタート9以上    
   
125日間全てが13時間稼動    
   
   
(1)CRフィーバービッグパワフル    
(2)CR大リーガー    
(3)CR華観月    
   
   
   
その結果私は年間500万円勝ちました。そのお金でBMを買ったってのは過去に書いたとおりです。名鉄AUTOの営業マンを電話で家に来るよう呼び出して値引き交渉。目の前に積んだ550万円で相手の顔をぶん殴るかのように「値引きできるんかどうやねん」って迫ったことが思い出深いです。1997年、時は度が過ぎたパチンコ熱を冷却するために「のめりこみ対策」が実施されまして、これ以降徐々にパチンコでは勝ちにくくなって行くのですが、その年が私にとってパチンコの全盛期でした。休日以外の夜パチはゼロで、サラリーマンが年間500万も勝つってことはなかなか難しいと思います。年間360日パチンコ打ってるパチプロさんからすれば、その1/3の稼動ですからね。フルに働けば年間1500万円勝つことに相当しますから、なかなか達成するのが難しい数字と思います。    
   
   
   
当時は周りに止め打ちする人が殆どいなかったですし、止めても文句は言われなかった。だから玉は増えるし、やりたい放題で毎土日朝から晩までパチンコやって期待日当4万円。土日のたんびに13時間営業をやってたから嫁からは散々文句言われたし、家族の中で私だけが徐々に孤立していくわけですがパチンコに対する熱は冷めることなく1年間継続して期待値マシンと化した私の姿はもはや鬼神。景品に変えるときにカウンターのお姐さんが呆れた顔して、あんたには勝てんわとかあんたが1番やわみたいな捨て台詞を毎度毎度仰るのでちょっとは手加減しといたろか?と思ったこともマジでありました。男性スタッフも私の存在には相当手を焼いていたと思われますが、当時は出入禁止とかそういうのは一切言ってこなかったので恵まれた時代でしたね。    
   
   
   
いくら勝ちまくっても出入り禁止のニオイもない。    
   
   
素晴らしい世の中でした。    
   
   
年間500万がサラリーマンとしての金字塔    
   
   
   
今これを越えるのは不可能でしょうね。若かった、強かったというのもありますが、やはり時代が「簡単に勝てる世の中」だったというのが、一番大きな理由なので今の20代、30代の人達には申し訳ないと思うけれど、私は本当に生まれてきた時代がよかったのです。そんな訳でパチンコで勝つのは簡単を肌で感じ、このまま永遠に勝ち続けられるだろうと思ってた矢先    
   
   
   
私はパチンコから足を洗います。    
   
   
   
   
こんだけ勝ってんなら何で止めるん?って思うかもしれませんけど、その理由はやはり家族からの苦情でした。結婚するまでにギャンブル好きが露見した時、嫁は結婚したらパチンコは止めてねって言ってましたけど、そんな口約束など守れるはずもなく結婚した後も私はずっとパチンコ狂いでした。これに不満たらたらだった嫁は事あるごとに私がパチンコしに行くのを阻止しようとしてましたけど、それを強引に振り切るのが毎週のお決まり事。結婚する前の約束じゃんって言われても、そんな約束したことないっていっつも大喧嘩しながら、段々と妻と私の関係は険悪になっていくのでした。冷え切った家族関係を断ち切るかのように、この年の年末嫁は私に決断を迫ります。    
   
   
   
離婚するかパチンコ止めるかどっちかにして    
   
   
   
   
年間500万も勝ってるのに、今パチンコをやめるのか?って反論したけれど、何年間もパチンコ行かないでと言いながらもそれを無視してやり続けたことによる嫁のストレスと心労は計り知れないほど大きく、「そんなお金は要らないから私と一緒にいて」という嫁の言葉に観念しましたね。嫁がそこまで思いつめているのであれば、このまま自分の好きを押し通すのは人としてどうなんだろう?    
   
   
   
離婚か?パチンコか?    
   
   
   
思い悩んだ挙句、私は嫁の言葉を受け入れることにしました。離婚すること自体が、人としての道を外れてるとは思わないけれどその原因がパチンコであるならば真摯に受け止めます。恐らくはこの決断を飲まなければ、私は間違った道を歩いたと思うし仕事を捨ててパチンコで生計を立てる方に向かったと思いますね。家族として皆で仲良く暮らすのか?それとも1人ぼっちになって生涯独身なのかの選択で、私は思いとどまったのです。思えば何度か人生の岐路に立たされたときに、パチプロかサラリーマンかという選択で、悉く私は思いとどまってきたように思います。パチンコが好きだから、パチプロになる人が多いけど、パチンコが好きだからパチプロにはならないっていう選択もまた味わいのある人生じゃああーりませんか。    
   
   
   
このようにして、パチンコを止めたあとは家族サービスに専念して、嫁をドライブに連れてったり、買い物に付き合ったりの生活が続きますが、この頃自分の仕事で環境の変化があって新しいことを始めるようになりました。会社の中でアドバタイジングを任されるようになり、プロのカメラマンとかプロの写植家、デザイナーとのお付き合いが始まります。これがキッカケでアドビシステムズのアプリケーションを知ることになるのですが、最初は見よう見真似でPhotoshopをやり始め、その後Illustratorや3Dimenntion、Streamlineと手を広げていき最終的にはPremiereとかAfterEffectまでやり始めるということでアドビさんの商品は殆ど使用するようになりました。パチンコを止めて何もやることがないって思うんですけど、このフォトショップとイラストレイターというアプリは自分自身が幼少期に気付いた絵心をくすぐりまして、のめりこんでいきましたね。元々絵を描くのが大好きで画家になろうと思ってたくらいだから、フォトショップとイラストレイターをフル活用するお仕事はまさに天職。カメラマンに依頼するのは自社の商品撮影でそれをポジフィルムに焼いてもらいます。このポジフィルムをスキャンして、不要な絵を切り取ってからが勝負です。商品の外枠ができると、次はアルミ部分とプラスチックの部分に切り分けて別々のレイヤー層を作ります。そして机の上に実際の商品を置いてパソコンでにらめっこしながら色を実物に近づけていくわけですね。ポジフィルムをスキャンした画像データでは、実物の色と比べると赤みが強かったり、緑が強かったりと様々でそれを部品ごとに手直しする訳ですよ。A4サイズで100ページを超える総合カタログに掲載される画像点数は、恐らくは4000を超えるでしょう。商品だけならそんなにないんですけど、商品ごとに付属品がいっぱいありますし、実際に商品を使ってる作業シーンを撮影した写真も数多くありましたから点数は4000点くらいになりますね。その4000枚のポジフィルムを全て自分ひとりでスキャンして、画像処理したので全部の処理が終わった頃には、フォトショップを使うことに関しては職人技でしたわ。そんなわけでパチンコを止めたあとは、フォトショップとイラストレイターにのめりこんでいったので時間を持て余すことはありませんでした。

 

   


青緑色のプラスチック部分。金属(鉄)部分、金属(アルミニウム)、電池パックの4つに分解しておきます。こうしておいて、それぞれの色を実際の色に近づけるわけですが、特に青緑のところはカメラのレンズが見た色と人間のレンズが見た色の色差があるし、フィルムに現像したときに出力される色とスキャナで抜いたときに出力される色にも色差が発生するので、これをフォトショップを使って色補正します。

 


 

4つを合成したときの写真です。

 


 

 

元の青緑色のプラスチックは自由自在に色を変えることができます。これを現物の色に近づけていくわけですね。こういうことをやるのが楽しかったのでパチンコを再開する気は起きなかったし、アドビのアプリを堪能した4年間でした。

 


そんな頃私のパチンコ人生に一筋の光が差し込みます。

 


娘の誕生でした。子供が生まれてからは嫁の態度が徐々に変わっていきました。今まで私に降り注がれた愛情は、全て矛先が娘に向かっていき私の存在がないがしろになり始めます。ちょっと前までは絶対にパチンコ屋には行ってはならんという頑なな態度だったのに、娘ができると今までとは別人のように私の相手をしなくなりました。何年か経つと私の行動を束縛することが徐々に薄れていきまして、私が家に居ても居なくてもどっちでも良いという雰囲気に変わっていきました。

 

1998年   
1999年   
2000年   
2001年   
  
  
  
この4年間は本当に全くパチンコはしてないんですね。遊技していないどころかパチ屋にも足を運んでいないというくらい徹底してパチンコを遠ざけるようにしました。なかなか難しいことだったと思いますね。大体年間500万も勝てる人間が、そんなに簡単にパチンコから足を洗えるのか?嫁には止めたと言いながらも、こっそり隠れてたまには遊技するってのが殆どの人間じゃないでしょうか。パチンコで勝ち難い時代ならいざ知らずやればなんぼでも勝てるわという時代にあって、約束は約束といえでもバレなきゃええんじゃろ的な邪まな輩が99%。私みたいに本当にキッチリと足を洗える人間は極僅かでしょう。年間500万勝つのはとっても難しいですが、それ以上に難しいのは止める事。   
  
  
  
  
パチンコで勝つこと以上に難しいのはパチンコ止める事。   
  
  
  
  
殆どの人間が止められないと思いますね。勝つことは努力すれば叶うかもしれないけれど、止めろと言われて止めるのはなかなか難しい。この点については褒めて頂きたいと思ってるのですが、ウソ偽りなくこの4年間は本当にパチ屋に1回も足を運んでいないんです。だからこの間に進んだのめりこみ対策の効果とか徐々にパチンコがダメになっていく過程を見ることなく数年後には浦島太郎状態。遊技機の開発の方も、知らぬ間に液晶の巨大化とステップアップ演出が主流になっていた。初代天才バカボンと必殺仕事人は打ったことがないので、当時の遊技客の気持ちは理解できないのですが、作り手の意思としては楽しませるというよりは、回転率が落ちたことをどうやって誤魔化すかという発想だったのではと思っております。この時の対策は、過熱したギャンブル依存を抑えるために回りすぎる遊技機を回らない遊技機にすることで客離れさせることが狙い。従って遊技機の演出変化は、換金率2.5円⇒4円にシフトする過程で必然的に生まれた方向性だったと思います。このような空白の4年間があったから今の私がいる訳ですが、娘ができてからの嫁の態度は本当にそれまでとは別人みたいになっちまった。私が家に居ることがかえって疎ましくもなりパチンコの解禁ということになっていくわけです。   
  
  
  
  
如何だったでしょうか?松井や大谷のキャリアハイは30歳前後。プロ野球選手の打者としてのキャリアハイは殆どの人が30~35歳くらいに集中してると思います。それと同じように、パチンコの腕に関しても30歳から35歳くらいの間に絶頂期が来るようです。今20代の人間はもう何年かしたら全盛期が来るものと思って、今のうちから準備をしておくべきです。今オカルトに染まっているようでは今後何年たってもキャリアハイどころか相変わらずの負け戦を強いられてるでしょうから何も変わりませんよ。35歳頃には頂点が来て、そこから目には見えないけれど少しずつ技量が低下していきます。40歳を過ぎたころから徐々に低下のスピードが速くなっていって、50や60になるともう手遅れ。地の底までパチンコの技量低下が進みますね。無論個人差あって努力すれば技量の低下は遅らせることはできるかもしれないけれど、所詮人間の能力はどうあがいても劣化するものです。自分の場合はパチンコ三洋を離れた時が分岐点となりました。   
  
  
  
ジグマを諦めて多店舗良いとこ取りをしようと試みたことで、徐々に長時間遊技から短時間遊技にシフトしました。それは何故かというと遊技台との付き合いが、シークエンスから一期一会に変わったから。台に固執することがなくなったからです。   
  
  
パチンコ三洋時代⇒10時間稼働   
2015年⇒6時間   
2016年⇒6時間   
2017年⇒一時的に長時間   
2018年⇒6時間   
2019年⇒5時間   
2020年⇒4時間   
2021年⇒3時間   
  
  
  
2015年からは意図的に短時間遊技に切り替えてきましたが、それはやっぱり何か自分なりのアドバンテージを持ちたかったから。パチプロさんは当然長時間遊技に拘るだろうし、パチもスロも追ってくだろうからどうあがていても遊技機会は彼らには劣る。ではどこで勝とうかなって考えた時に私ができることは「勝率」と「時給」しかなかった。足し算の土俵では到底かなわないから、割り算の土俵で彼らに負けないだけの数字を求めてきたし、そこに拘った7年間だったと思う。その結果勝率7割と時給2000円なら毎年稼げるだろうくらいのとこまでは到達した。でも今の自分としてはそれでは物足りない。確かに永久に土日パチンカーならそれでもええけど、もうすぐプー太郎パチンカーになるので遊技姿勢を見直していこう。   
  
  
  
長時間遊技⇒短時間遊技に切り替えるのは至極簡単だったように思います。勝ってるうちに止めりゃ良いんですから誰でもできる芸当ですが短時間遊技⇒長時間遊技に切り替えるのは物凄く難しいですよ。経験上、終日追っかければミドルでは5日に1回くらいは5万クラスの凹みがあり大きな負債とどれだけお付き合いできるかが肝。勝ってるときでもお決まりのように夕方嵌りがやってきて遊技者を苦しめますね。4時~6時の嵌りを乗り切れるか乗り切れないかはその日の死活問題であり、いくら5万円以上勝ってるような日でも、一時的にはチャラ線付近まで落ちこむことは少なくありません。5万円の勝ちからゼロまで落ちてまた挽回するだけの勇気があるか否かが問われます。昔は毎日のように夕方嵌りに付き合って、毎度毎度夕方嵌りを脱出してヤレヤレだったけど、いつの間にか夕方嵌りを乗り越えることができなくなってきた。   
  
  
  
これが年齢か?   
  
  
  
年齢による弱さは勿論あるけれど、そこは苦しみながらも年齢に抗いながら戦うってことになると思う。皆さん勘違いしてるけど、勝ち逃げ勝ち逃げっていう作戦は自分が回ると思って座ったのに、予想とは裏腹に回らなかったという時限定なのね。回ってるのに勝ち逃げするのは単なるバカなのでこれは勝ち逃げとは言わん。敵前逃亡だ。戦える戦力が十分揃っていて、味方の軍勢の方が圧倒的に有利なのに敵に恐れを為して逃げる行為は愚の骨頂也。今まで勝ってたのに追い過ぎて負けちゃったという結果論ばかり論じる人は、多分遊技している台を深追いすべき価値があるのか、ないのかの区別がついておらんと見える。価値なくば即止め。価値あれば深追い全飲まれはOK牧場。そこがハッキリと見えてればそのような愚痴はこぼさぬが、事の本質を波というアナログで捉えるのではなくて、回転率というモノサシで捉えると止め時を後悔するようなことはなくなるだろう。負け犬にならないためには、夕方嵌りに立ち向かっていかなきゃどうにもならんという事はハッキリしてる。短時間遊技を長時間遊技に戻すってことは大変なことなので、プロは逃げずに長時間遊技を続けています。一度短時間のクセが付いてしまうと本当に厄介な病に捕まってしまいそこから抜け出せなくなります。今の自分がそんな感じなので、これからは意図的に長時間遊技を目指していきますが、その辺の映像表現はするかしないかちょっと迷ってます。自分の遊技方針としては決まってるのですが、どこまでお伝えできるかは分かりません。プー太郎パチンカーになると隠匿せざるを得ない状況が増えてきます。   
  
  
  
全盛期を目指すとは言わんけど、   
近いレベルまで追い込んでいかなきゃパチンコは勝てません。   
  
  
ウリンが時を巻き戻す。少しずつ少しずつ。   
  
  


 

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