開幕

WBCの余韻まだ冷めやらぬ自分の心理状態をどうか御理解下さいませ。野球は自分にとってはかけがえのないスポーツだし、小学高学年から野球の魅力にどっぷりと浸かった身としては、今回のWBCは何を書いても書ききれないほどの感動を貰いました。今回のWBCを見てるとやっぱり野球は一番高いレベルでやることを目指すべきだし、そこがプロ野球選手としての頂点であり目標であると強く認識させられました。メジャーこそが野球の原点である。この考えに狂いはなかったと思うし、これまでメジャーだけを解説し続けてきた当サイトの在り方もまた間違いではなかったと思っています。


今回のWBCで1番強く印象に残ったのはやはりメキシコ戦ですが、あの9回の裏


村上の打順で本当にバントのサインを出さなくて良かった。


自分が監督の立場であってもあそこでバントはしないけど、しょうもない勝ちにこだわる監督さんなら。例えば落合監督ならあそこはバントでしょう。バントするために代打出したかもしれんけど、あの場面でバントして1アウト2、3塁の形を作ったとしても。そこから点が入って逆転勝ちしたとしても今回のWBCはしょうもない大会だったと人々の目には映ったのではないだろうか?というくらい重要な局面でした。絶対にバントとかスクイズとかスモールな勝ち方ではイカンと思うし、打ち勝ってこその野球だったと思ってます。村上がゲッツー打って負けてもいいじゃありませんか。村上が三振で負けてもいいじゃありませんか。


あそこはどんな結果になっても彼に命運を託す場面です。


大谷が初球を右中間に飛ばした時点で、このピッチャーザルやなと思うてたし、吉田が歩いて周東に代えた時点で村上が逆転打を打つような気がしてた。その時のピッチャーが投げる球の軌道と村上のバットの軌道がシンクロナイズドスイミング。


完全に軌道は一致してました。


ここは絶対に打つ!

 

そう思って見てた瞬間の出来事。感動的な場面でしたね。打球が上がった瞬間周東の足なら逆転や!って思ったものですから、部屋の中で自分ひとりだけが大声を上げてガッツポーズしまくってたけれど、この日だけはパチンコに行かずに家でテレビ観戦してて良かったです。感動は生で見る時とあとから見る時とでは雲泥の差です。リアルに見ておかないと悔いが残る試合でした。そういう訳で何から何まで万々歳だった本大会ですが、本当に悔いが残るとしたらアメリカの先発投手がザルやったこと。6回、7回、8回に出てきたピッチャーは良かったですけどね。先発陣が弱かった感は否めないので、アメリカ国民にしてみれば投手陣もフル戦力だったら日本には負けないという思いを抱かせてしまったことが今後の課題でしょう。そういうことが改善されない限りは真の世界一を決める大会にはならんと思うから、今大会はそういう問題定義をすることにつながった。良いことだと思いますね。次回大会こそはアメリカの最強メンバーと戦って賜杯を手にしたいものです。


自分が日本のプロ野球界から離れて行ったというのはこれまでに書いてきた通り。


読売巨人軍の個性豊かなV9戦士を見るうちに巨人の虜になりファンになる。他の11球団は全て外国人による助っ人が2人くらいいて外国人頼りのチームだったのに読売だけは純粋に日本人だけで戦うというチーム構成もまた惹かれました。日本人だけで戦って阪神や中日に勝つんやぞ。凄いだろ!ってのが子供心に抱いた正直な感想で当時は巨人ファン以外の選択肢は考えられなかったですね。誰が応援してるとか、テレビ放送が巨人しかないとかよりも単にチームが魅力的だった。

 

巨人が人気チームだから応援してるという気持ちはなかった。

 

その巨人一辺倒だった自身に変化が起き始めたのが、1976年と1977年のペナントレースというか首位打者レース。張本が先頭で走る首位打者争いでしたが、早々と130試合全日程を終えた巨人に対して中日とかヤクルトは10試合以上残っているということが問題でした。首位打者のタイトルは優勝が決まったら日程を終えてしまうか、それとも全球団が同じ日に全日程を終わらない限り不公平であります。問題の件は張本選手は巨人に所属するけど、谷沢健一選手が中日に所属するということで試合消化の差がかなりついてしまうということ。人気球団は6月、7月、8月に雨天強行の試合を行うので雨で試合が流れない。中日、ヤクルト、広島、大洋は雨で試合が流れまくる。この差を埋めるための手段を講じない為にタイトル争いをしている選手にとっては不公平な境遇を強いられます。無論不人気球団とか優勝争いに加わっていないチーム所属選手の方が圧倒的に有利な仕組みです。

 

首位争いをしてるチームは最強のローテーションを最後まで組まれます。
人気球団戦は雨で試合を流せば数千万の損失が生じるので流したくない。
不人気球団戦は雨で試合を流して、消化試合となってもあまり影響がない。
優勝が決まった後の消化試合にはザルみたいなピッチャーが先発する。

 


張本は130試合を全力で戦って終盤少し打率を下げて全日程を終えました。一方ライバルの谷沢健一は優勝が決まった後のザルピッチャーに5割以上の打率を打ち込んで最後の最後で打率をひっくり返しました。谷沢が巨人にいたら絶対そのような打率5割で逆転という現象は起きなかったでしょう。張本は翌年も同じように首位打者争いの先頭に立っていましたが、今度はヤクルトの若松勉に同じように逆転されてしまいました。不人気球団有利。優勝争いに加われないチーム有利。雨で試合を流すか流さないかで個人タイトル争いには大きく影響します。


首位打者に関してはこの2年間だけでなくその後も理不尽な戦いは続きます。

 

1981年の藤田平と篠塚との戦い。これは張本の時よりももっと酷くて、残り試合に余裕のある藤田は規定打席ギリギリを狙って休み休み。自分が得意の投手の時だけ試合に出て、例えば先発が左の時は回避するという小汚い作戦に出て130試合が終わったときには規定打席ギリの403打席。369打数でシーズンを終えました。この年の藤田は打率.358で篠塚は.357でした。


130試合×3.1⇒403打席が規定打席です。


中日の田尾と大洋の長崎の戦いも泥試合でした。このシーズンは巨人と中日の激しい首位争いで大洋VS中日は大洋が勝てば巨人の優勝。中日が勝てば中日の優勝がかかった大1番で大洋が取った作戦は、田尾への5打席連続敬遠。バットを振ることを許されなかった田尾は、その試合いに欠場した長崎の打率を上回ることができずに涙の打率2位でしたが、当方としてはそんな事よりも。大洋に試合に勝ってほしかった。結果的に田尾に5打席もの出塁を許したことと主力の長崎を書いた打線では大洋が中日に勝てるはずもなく大敗でこの年は中日がリーグ優勝を決めました。

 

首位打者を取らせるために意地汚いやり方がまかり通るのは


スポーツマンシップに反する。

 

勿論首位打者だけでなく本塁打王、打点王に関しても個人のタイトル争いは不人気球団の方が有利である。残りの試合が多い方がザル投手と対戦機会が増えるので逆転が生まれ易い。1996年に松井が38本塁打した時には中日の山崎が39本塁打でタイトルを取ったし、翌年は松井が37本塁打した時にはヤクルトのホージーが38本塁打でタイトルを勝ち取った。いずれも先に日程が終わる巨人に対して中日とかヤクルトは余裕のよっちゃんで逆転してしまう。山崎vs松井のときは巨人の最終戦が中日で4打席連続敬遠だった。そのような血みどろのタイトル争いが繰り広げられるのは全ては日程の進行速度が異なることが原因だが日本の野球界は一向にそれを是正しようとしない。

 

メジャー・リーグは全ての球団が同じ日に162試合目を戦うよう日程の調整が行われる。


これが日本とメジャーの違いである。


日本のプロ野球はつまらなくて、メジャー・リーグは面白い。

 

 

1976、1977年意地汚い谷沢、若松の首位打者を見た頃日米野球の為にシシナティ・レッズが来日します。

 

1978年の11月。この頃はレッズの全盛期でしたが、日本に来たメンバーが凄かったのでテレビで日米野球を見るにつけ徐々にメジャー・リーグの野球に染まっていく。そうするうちにメジャー・リーグの球団名にも関心を持つようになりましてそれが上記の画像です。当時は東地区と西地区だけの組み合わせであり中地区がありませんでした。アメリカン・リーグが14球団で、ナショナル・リーグが12球団ということで全26球団の名前を丸暗記。都市の名前が出るだけで条件反射的にそのあとの球団名が出る。それくらいこの26球団は完璧に覚えていたし、今でも全てソラで言えるほど記憶に残っています。勿論この26球団は殆どそのままの名前で残っており、モントリオールがワシントンに場所を移転してワシントン・ナショナルズに変わったことやクリーブランド・インディアンスのチーム名がガーディアンズに変わった。カリフォルニア・エンゼルスがアナハイム・エンゼルスに変わり今ではロザンゼルス・エンゼルスに変わるということはありますけれど、殆ど当時のまま残っているということで当時覚えていた記憶は今でも無駄にはなっておりません。現在はアメリカン・リーグにはタンパベイ・レイズが加わり、ナショナル・リーグにはマイアミ・マーリンズ、アリゾナ・ダイアモンド・バックス、コロラド・ロッキーズが加わり30球団。そして東と西だけでなく中が加わり5×3地区の2リーグ制となっております。

 

 

MLB東側⇒20球団
ミネアポリスはミネソタ・ツインズ。DCはワシントン・ナションルズ
赤系の○印は東地区。緑系の○印は中地区球団
色が濃い方がアメリカン・リーグで淡い方がナショナル・リーグ

 

 

MLB西側⇒10球団
アーリントンはテキサス・レンジャース。デンバーはコロラド・ロッキーズ。
フェニックスはアリゾナ・ダイアモンドバックス
色が濃い方がアメリカン・リーグで淡い方がナショナル・リーグ
ヒューストン・アストロズは以前はナショナル・リーグ中地区。今ではアメリカン・リーグ西地区

 

日米野球でレッズの凄さを目の当たりにして関心を持つようになったのがキッカケですね。


ピート・ローズがいて
ジョニー・ベンチがいて
ケングリフィ・シニアがいて
トム・シーバーがいる。


私がメジャーに興味を持つようになったのは1978年の頃からなのですが、この日米野球の最終日にとある事件が勃発します。1978年の11月21日。空白の1日。江川事件です。

 

高校3年間で江川投手が魅せた圧巻のパフォーマンス。プロの目は誰もが江川を欲しいという争奪戦になることが予想されましたが、当の本人は慶応大学を目指して結果は法政大学。この時慶応に行ってればと思うけど、もっと思うのは大学なんかに進学せずに即プロでやって欲しかった。慶応というブランドが欲しくて大学を目指したけどそれが叶わず法政という時点で卒業したら巨人一択という思いが強くなったのかもしれません。

 

江川は巨人以外の球団には入ろうとしなかった。

 

1977年のドラフトで江川を引き当てたのはクラウン・ライターズ。今の西武でした。それを拒否して彼はアメリカに留学するのですが1年留学したところで翌年にも激しいドラフト争奪戦が繰り広げられるのだから巨人に入れるという保証はありません。それでも彼はクラウンを拒絶してアメリカに渡ったけれど今にして思えばそのままメジャーを目指すべきだった。そして運命の11月22日が1978年のドラフト会議なのですが、その1日前


日米野球の最終戦が行われた日

読売と江川はとんでもない記者会見を開いたのです。

 

11月22日の1日前は、クラウン・ライターズの交渉権が失効する日。この空白の1日を狙って読売は江川と入団交渉を行って入団させようとしたのでした。たった1日だけ江川がドラフト制度の対象にならない日があることを知りその日に契約。馬鹿げておりますわね。その日はある種保険みたいな日ですがそんな重箱の隅をつついてまで江川を強奪しようとした読売巨人軍の悪巧み。世間をあっと驚かせる入団契約の記者会見が行われたときテレビで見てたけど、子供ながらにもこんなやり方は卑劣極まりないと思った。絶対に許されるものではない。


世論もそれに同調。


金子コミッショナーが読売と江川の契約は認めないと宣言したため巨人側は激怒して翌日のドラフトをボイコット。その結果江川の交渉権を獲得したのは阪神タイガース。もう江川は阪神に入るしか道がなくなりました。それからしばらく時が経過したけれど…


読売の主張と

コミッショナーの主張とで折り合いをつける妥協案が提示され


1979年の開幕までに江川は一旦は阪神と契約して入団するが

そのあとですぐに巨人のエース小林繁とトレードして巨人に入団する。

 

こうやって江川は巨人に入団したのであります。

 


日米野球でメジャーリーガーの素晴らしいパフォーマンスに酔いしれてメジャーに対する憧れが芽生えた頃合いで、日本のプロ野球は何をやっとるんじゃい。当時の阪神ファンと巨人ファンはこの件に関しては憤りを感じるとともに日本のプロ野球界に対しては疑惑の目を持つようになっていった。勿論一番苦しかったのは巨人の大エースとして活躍してた小林投手が新人投手が入団するだけで、なんで俺が阪神にいかなならんのじゃいっっていう気持ち。当時の小林繁の気持ちをおもんばかれば形容しがたいけど、彼はそんな逆境にめげず阪神のエースとして獅子奮迅の活躍。この年の小林は巨人戦に先発して多分8勝0敗。1度も負けなかったと記憶してるけどまさに巨人戦には鬼の形相。彼が投げると勝てる気がしなかったですわ。

 

そんなことがあったためにこの頃から日本の野球界には愛想を尽かし、徐々に日本からメジャーへと気持ちが乗り移っていきましたね。

 


江川事件を知らない人は今でも日本のプロ野球を純粋に愛し、贔屓球団を真剣に応援できるんかもしれんけれど私はもうダメ。張本勲の2年連続首位打者逃しから始まった日本プロ野球界に対する不信感は、江川事件でより一層強くなりその後は今ある通り。徐々に徐々にではありますが日本のプロ野球からメジャーへ

 

メジャーリーグに対する関心は
(1)1978年の日米野球
(2)1990年代のフジテレビプロ野球ニュースでのパンチョ伊東さんの解説
(3)2003年の松井秀喜ニューヨーク・ヤンキースへの移籍
(4)2018年大谷翔平ロサンゼルス・エンゼルスへの移籍
(5)2022年NHK BS1放送による大谷の試合観戦

 


そんなわけで日本プロ野球はどこが優勝しようが、誰が活躍しようがあまり興味はないし、かつては猛烈な巨人ファンだった自分も今では愛着のある球団はむしろ中日ドラゴンズ。中日と巨人が戦ったら中日が勝った方が嬉しいくらいまで変化してきてるので本当に様変わりしました。今後私が巨人を応援することは多分ないと思うけどそこまで変わったのはこの国の野球に対する姿勢が営利第一主義だから。

 

儲けだけを優先する日本のプロ野球界に愛想


確かに球団を運営する利益なくば成り立たないのですが、それでももうちょっと見てる人を楽しませる公平さが欲しかったです。

 


3月31日にはいよいよメジャー・リーグが開幕します。

 

大谷に関してはケガさえなければそれでいい。特に体重増加による膝への負担。もしかしたら彼はこのままエンゼルスで終った方が良いのかもしれない。他球団に移籍しても162試合DHのポジションを彼の為に開けてくれるだろうか?万が一DHじゃなくなった時に外野の守備とか内野の守備につかなくなれば膝への負担が心配だ。彼にはこのまま投手とDHだけに専念してもらいたい。それが大谷翔平が長く野球を続けられるやり方と思う。松井が清原が膝の故障で選手生命を脅かされたのと同じように体の大きい選手は膝への負担が命取りになることが多々ある。松井秀喜が膝への不安を訴えたのは、人工芝でセンターを守っていたことが主因と考えられている。100kgを超える体重を支えるのはそれほどまでに大変だ。

 

吉田正尚は張本勲の生まれ変わりと思ってるので必ずやれるはず。彼がボストンを選んだということは広角に本塁打を期待されてるわけではないってことが証明されている。フェンウェイ・パークのレフトスタンドには左打者が本塁打を打つのは無理だし、センターから右中間までもかなり深くえぐられているので容易には入らない。唯一入るとすればペスキーズ・ポール際。非力ペスキーズでも本塁打になるからこの名がついたけどライト線ギリギリならかなり期待できる。そしてレフトの外野が極端に狭い球場だから吉田の守備範囲でも通用すると踏んだボストンの目は正しいと思う。フェンウェイでやるときは吉田はレフトを守り、他の球場に行ったときはDHで使うのではないか。何せこの球場のレフトにはマニー・ラミネスが守ってたくらいだから。


吉田のバッティングなら打率.320、打点100、本塁打15くらい可能

 


鈴木誠也は正念場。ケガから始まる2023年だけど今年は2年目。去年の本塁打の数はまあまあだがあんな打率を期待されて入団した選手じゃないと思うので今年は3割目指すくらいの覚悟でやらないと見切られる可能性がある。メジャーは待ってくれない。2年間レギュラーで出続けて普通の数字なら出されると思う。日本球界に出戻りにならんことを願うけれど、鈴木クラスの選手でさえメジャーでは通用しない可能性があるから今年は結構怖い年になると思う。

 


大谷の成績が飛びぬけてるのでみんなメジャーに行っても活躍すると思われてるかもですが、基本デストラーデがメジャーでは日本の半分しか本塁打を打てなかったことを考えると日本の長距離砲がメジャーではダメってことは大いにあり得る。筒香辺りを見ていてもそれは明らか。そんな中でできるだけ日本人には頑張って欲しいと願うけどいよいよメジャー・リーグが今週開幕します。2018年に大谷翔平が海を渡った時から彼のことは応援してきた。張本が江本が野村が日本野球界の重鎮がこぞって彼の二刀流を非難してたけど、私だけは必ずできるできると言い続けてきた。否できるのではなくて駄目でもダメ元でトライして欲しいという気持ちで応援してたってことが本音かな。できるのかできないのかは正直分からなかった。

 

どうだったでしょうか?


私が何故日本のプロ野球には関心を寄せずにメジャーメジャーと言い続ける理由が分かって貰えたでしょうか。

 

姑息な手段で江川を強引に招き入れた巨人のやり方は今後は二度と通用しないと思うし、当事者としての江川も小林も幸せではなかったように思う。高校出てすぐプロ入りの力ならもっとやれたと思うけど大学4年間と留年生活の1年で合計5年間もの遠回りはあまりにも遅すぎた春。最初のドラフトでクラウンに指名権が行った時点で読売と江川本人の間でそのような密約が交わされての留年生活だったのか、それとも1年の海外渡航は江川本人の意思によるものかは定かではないけれど、いずれにせよこの事件から日本のプロ野球に熱が冷めた人も大勢いるはずでそのような背景から偏った野球の記事になってるとは思う。だけどもう2度と日本のプロ野球界に関心が注がれることはない。

 


今週いよいよメジャー・リーグが開幕します。

 

やっとこの時期が来たって感じですかね。今年1年間も最後まで大谷、大谷、大谷一辺倒の記事で参ります。パチンコビレッジ「ゴーニィ」の記事もようやくスタートラインに立ったような感じです。日本のプロ野球に関しては一切触れず、ただひたすらMLBに特化した野球ネタを書いていきます。書くなと言われても書くし、読まんと言われても書く。


野球こそ吾が人生なり

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